戦時中に決死の任務を与えられた部隊・特攻隊(特別攻撃隊)。この特攻で陸・海軍あわせて約6000人が亡くなりました。その特攻隊員が出撃前に最後の食事として口にしていた可能性があるというのが“覚醒剤入りのチョコレート”。記録に残されなかった『覚醒剤チョコ』を取材しました。

■「菊の紋章」が入っていたという“覚醒剤チョコ”

 アメリカ軍の艦隊に次々と突撃していく若き日本軍兵士たち。特攻という無謀な作戦により6371人の尊い命が奪われました(日本側の戦死者:(公財)特攻隊戦没者慰霊顕彰会による)。実はこの特攻には知られざる悲劇が隠れていたのです。

 梅田和子さん(91)。終戦の年の1945年2月ごろ、疎開先近くの茨木高等女学校に転校しました。学校は兵隊の食料工場になっていて、梅田さんはチョコレートを紙に包む作業を命じられたといいます。そのチョコを上級生から命令されて食べた日が忘れられません。

 「(チョコを)食べた瞬間にカーッときましたね。ちょっとおかしい、普通のチョコレートじゃないなとわかりました。チョコレート(を食べたら)クラっとしたと(父に)言ったら、父は『ヒロポン(覚醒剤)でも入っているんだろうな』と」(梅田和子さん)

 チョコレートにヒロポン(覚醒剤)が入っていたというのです。

 「(先生からは)『軍隊へ兵隊さんに贈るんだ』と言われましたね。上級生は『特攻隊員が死ぬ前に食べていくんだよ』と言われましたね。だから大事なチョコレートだって」(梅田和子さん)

 特攻隊員の最後の食事だったという覚醒剤チョコ。どんなものだったのでしょうか。梅田さんに絵を描いていただきました。

 「これがチョコレートです。菊の御紋が押してあるんですよ。『天皇からの贈り物』だと」(梅田和子さん)

 チョコレートは長さ15cmほどの円柱で、天皇の象徴である菊の紋章が入っていたといいます。ただ、この学校で覚醒剤チョコが作られていたという記録は残っていませんでした。

(中略)

■特攻隊員に覚醒剤を注射していた元軍医『本当にかわいそうで仕方ない』

 その答えを知る人が新潟県にいました。蒲原宏さん(98)は、1945年、多くの特攻隊員が飛び立った鹿児島県にある海軍の航空基地で軍医をしていました。そこで「出撃前の特攻隊員に覚醒剤を注射していた」と証言します。

(中略)

 上官の命令で約300人の特攻隊員に覚醒剤とは知らずに注射をしていたといいます。その目的は…

 「眠らないためということが主目的でしたね。戦闘力というか興奮させるといいますかね、そういうものを増進させることが目的だったようですね」(蒲原宏さん)

 鹿児島の基地から戦場の沖縄までは戦闘機で3時間ほどの距離があり、夜間の出撃で眠ってしまわないようにする狙いがあったといいます。

 注射された特攻隊員の多くは平静を保ったまま出撃しましたが、中には…

 「真ん中あたりに指揮官が乗るわけですよ。それが日本刀を振り回して滑走路を飛んで行くのを見たことがあったが、今考えると(覚醒剤で)興奮したのかなと思うけど、わからないですね」(蒲原宏さん)

 特攻隊員に贈った覚醒剤チョコの存在も知っているのでしょうか。梅田さんが書いた絵を見てもらいました。

 「これは見たことがありませんね。(私のもとには)実際来ていませんね。陸軍はチョコレートに(覚醒剤を)入れたなんてことを言っていたけど、海軍はもっぱら注射だけでしたね」(蒲原宏さん)

 特攻隊員に使われた記録はありませんでしたが、陸軍では覚醒剤チョコを作っていたというのです。

(中略)

■悲劇の背後に隠された“不都合な真実”

 特攻という悲劇の背後に隠された覚醒剤。軍と覚醒剤について長年研究をしている相可文代さんは、覚醒剤チョコの記録がほとんど残っていない理由を次のように指摘します。

 「戦後、覚醒剤のヒロポン禍と言われる、いわば幅広く中毒者が出た事件があったんですよね。(特攻で)純粋な気持ちで亡くなっていった若者たちが、実は覚醒剤を摂取して出撃していたんだなんて、そんなことは絶対に認めたくないと、当然遺族はそう思いますよね。周りもそれには触れない。軍の上層部もそんなものを与えていたとは知られたくない。不都合な真実だと思いますね」(相可文代さん)

(以下ソース)

8/17(水) 15:37配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c63cd44eed3b5424a6f3893429131666ad1767af

★1:2022/08/17(水) 19:14:52.81
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