群馬大学病院の外科は、多くの大学病院が伝統的にそうであるように、大学教授の率いる講座ごとのナンバー制をとり、第一外科と第二外科に分かれていた。第一外科は1944年、医学部の外科学講座教授をトップに診療を始めた。第二外科はそれに遅れること10年、1954年に別の教授が新しく開設した講座を母体としている。

その後、第一外科は消化器外科、第二外科は乳腺外科の分野を中心に発展してきたといわれるが、それぞれに外科の各種診療分野を抱えつつ併存してきた。群馬大学病院の臓器別再編が行われた2002年4月、第一外科、第二外科の消化器外科は名目上、一本化され、第一外科教授が診療科長に就任した。

この頃、国立大学法人化の影響で、各地の大学は、学部より大学院に重点を置いた体制に組織改編を進めていた。群馬大学もその波に押され、外科系の講座を、大学院医学系研究科の病態総合外科学講座(第一外科)、臓器病態外科学講座(第二外科)という編成にリニューアルした。同じ時期、一部の大学では、講座と病院の診療科を臓器別に整理して役割分担できるよう組織編成がなされたところもあった。しかし、多くの大学ではそれが進まないままだった。群馬大学でも診療科の一本化は看板の掛け替えで終わり、実質的には、講座ごとに二つに分かれた第一外科、第二外科の各診療科が、それまで通り別々に同種の診療を行う体制が続いた。

第一外科、第二外科は、それぞれに医局員やOBのいる「関連病院」と呼ばれる縄張りを持っており、医局からアルバイトや常勤の医師を派遣するネットワークとして結びついている。関連病院にとって、医局が再編されることは医師の供給が途絶える不安と背中合わせで、簡単には受け入れられないという事情があった。医局側にとっては、患者を自分たちのところにスムーズに紹介してもらうための仕組みとして、また、医局員のアルバイト収入の確保先として、関連病院が重要な役割を果たしていた。「医師を派遣した病院からは、医局に派遣料が入る」と、裏金の存在を指摘する関係者もいた。

2015年4月、前年11月の報道で第二外科の手術死続発が表面化したのを契機に、二つの外科が非効率に分立している体制に批判が高まり、病院の診療科は統合された。それまでは、第一外科には消化器外科、呼吸器外科、乳腺・内分泌外科、移植外科、小児外科の各診療科があり、第二外科には循環器外科、消化器外科、呼吸器外科、乳腺・内分泌外科、移植外科と、同種の診療科をそれぞれ独立して二重に運営し、連携もほとんどない効率の悪い診療を長年にわたり続けていたのである。

「一外と二外は、いわば『犬猿の仲』。いがみあっていたと言ってもいい」

内部の関係者はそう語る。

伝統的に対立関係にあった両者は、古くは服装や雰囲気まで、がらりとカラーが違う時代もあったほどだったという。一外は「紳士たれ」がモットーで、ネクタイ着用に革靴。「現場主義」の二外は、ノーネクタイでスニーカーやサンダル履き……といったふうに。近年は、さすがにそこまで極端ではなかったが、それぞれに特徴が異なっていた。

「一外と二外は術式も違いました。一外はオーソドックスな手術しかやらないんですが、二外は変わった手術をやるのが好き。スタンダードじゃない手術をやりたがる傾向がありました」

そんな病院関係者の話もある。

これとは別に、群馬大学病院には、大きく分けて二つの勢力があると言う人もいる。一つは、東大出身者を中心とした旧帝大系、もう一つは、群馬大学を卒業し、大学病院に残った生え抜き組中心のグループだ。しかし、それは、東大をはじめ旧帝大出身者によるポストの侵食を快く思わない生え抜き組からの見方であって、旧帝大出身者は決して結束が固いわけではなかった。「仲がいいとは言えない。いや、むしろ仲は悪いと言ったほうがいいかもしれない」という認識を持つ人もいる。冷徹な利害打算によって離合集散していただけ、とでも言おうか。その一方で、生え抜き組には、旧帝大出身のエリートたちに負けまいと共闘する意識があった。

※以下リンク先で

高梨 ゆき子(読売新聞論説委員)

現代ビジネス2023.04.21
https://gendai.media/articles/-/108369