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●怪物メデューサの美術表現が大人しくなる文明発達の美術史

ヨーロッパ、メソポタミア、地中海文明では、メデューサを自然事象や天災の象徴として投影表現する。
一方、日本の場合なら自然を龍神様として、天災と恵みの両方をもたらす中立的な神として畏怖崇拝すべき存在である。
欧州、地中海の天災観に龍神様のような崇拝概念はなく、自然とは人間社会に災いをもたらす悪で征服すべき存在だ。
象徴メデューサは、古代には重要な死活インフラに鬼瓦のような魔除けとして「目に力」のある威圧レリーフとして設置される。
文明が天災を制御できるようになるにつれ、ルネッサンス期のメデューサは討ち取られ制圧された絵画表現になる美術史だ。
人類が自然に勝利したという心の余裕ができ、首斬りの「視線のそれた」メデューサとして美術表現に安心感の社会心理が出てくる。

天災に対して欧州人の安心感が美術史に出たように、バイオ大学の暴挙女たちが、
実はサイコパス状態で獲物とみなした相手の都合が、高次脳機能障害で分からないんだと、
怖いもの知らずの盲目なんだと、私はようやくメカニズムを理解できるようになった。
サイコ女たちが富裕層を憎悪する人と手を組んで、富裕層に拷問求婚することが私にとって理解不能で怖かった。
健常者の女であれば、弱い立場の男へ拷問求婚すれば、男が面従腹背になり婚約し、後で合法的に反古することが予測できる。
それなのに、サイコパス女たちは拷問求婚してくるので、私はサイコ女たちへ暴挙の翻意を促す労力を全投入して疲れ切る。
私の頭の中は不安だらけで、私は大変重いノイローゼになる。
サイコ女たちは、獲物とみなした相手を馬鹿にして近視眼になり、相手の都合が読めないと理解できると、余裕ができる。
サイコの欠陥を逆手に取る中瀬ゆかりさん作戦や大久保佳代子さん作戦が思いつく。
同じような危機にあったとき、まだ遠い人間関係のサイコパスを「目的語を抜く話法」などで遠巻きに逃げ、自己救済できる。
芸術が人の心を癒やすように、サイコパスの性質を逆手に取る机上の自衛策が、トラウマをほんの少し癒やすセラピーになる。