石棺のふた、元は1枚の石 吉野ケ里遺跡調査で判明 [蚤の市★]
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佐賀県は6日、吉野ケ里遺跡(吉野ケ里町、神埼市)で発見され、先月から調査している弥生時代後期の石棺墓のふた4枚のうち、3枚は元々1枚の石だったと発表した。「×」のような線刻を片側一面に施した後に分割されたとみられる。県文化財保護・活用室は「弥生時代の葬送儀礼を考える上で重要」と説明、当時の死生観を考えるヒントにもなるとしている。
ふたは4枚の石からなり、全長約2.3m。このうち3枚のふたには、石をまたがる形で×に似た文様が刻まれていた。3次元計測データを組み合わせると、断面が合致し、1枚の岩にまとまった。
3枚のふたの重さはそれぞれ100~200キロ程度とみられる。
2023年07月06日共同通信
https://www.47news.jp/9553419.html ×印は盗掘者が「盗掘済だよーん」ていう事を示すためのマークだろう 上に神社が建ってたぐらいだもの
フツー古墳の上には神社を建てない
とっくの昔に盗掘されて遺体が無い空っぽの状態になってたのさ >>10
ちなみに最初に掘った時最初に出てきたのは少弐氏の城郭跡
神社との関係ならソッチの方がまだあり得る 新たなる卑弥呼の墓が今後発見される期待が
ふくらんでいる、というところだね 36cm程度の幅しかないんだろ
こんな物ヒトの墓じゃないよ魑魅魍魎を閉じ込め封印したんだよ 盗掘したから、たたられないように上に神社をたてた。 ということは同時期に3つの石棺が作られたのね。
大きな戦いがあったのかも。 線刻が星空を描いてるのでは?って一昨日のニュースでやってた
天文学者、国立天文台の人が「天体を学んでる人なら思い浮かぶんじゃないか」みたいなこと言ってた
夏の大三角を示してた このころ日本を訪れた李氏朝鮮の使臣・申淑舟の著書『海東諸国記』にも肥前国最大の勢力として千葉氏の名を挙げている。
Csaba? 左上はどこに行ったんだっていうのと、密度の違いが気になるな あらゆる階級 農民も常に武装してた700年以上の戦乱の世が終わって江戸時代は平和で暇になったので縄文遺跡もかなり掘られてて土偶が江戸時代にかなり掘り起こされたという
古墳もこの時代にかなり盗掘されたんだろ >>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の九州否定説★★★
邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html
伊都国(福岡県糸島市)
↓
↓百里
↓
奴国(福岡県博多湾付近)
↓
↓百里
↓
不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)
↓
↓水行二十日
↓
投馬国(不明)
↓
↓水行十日、陸行一月
↓
邪馬台国
まともな地図を作れなかった古代では距離や方角を常時正確に測ることは難しかった可能性が高い。
しかし、古代であろうと水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい。
ということは、もうこの時点で方角に関係なく、不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が
一番最初に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている。
九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい歳した大人がいつまでもみっともないよ。
もういい加減あきらめようぜ。 へぇわざわざ一枚の岩を割って蓋にしたのか
形の調整なのかそれとも宗教的意義があるのか
面白いな 邪馬台国とか言う馬鹿話はともかくとしてこの棺の印は面白い
周辺遺跡からも同様の物が出てるからこの地域特有の儀礼だった可能性があるな >>10
ちなみに大阪府柏原市にある天湯川田神社は古墳の上に建っている >>37
と言うか古墳の上の神社なんて全国に大量にあるよ
その人がもの知らないだけ >>39
とりあえず具体的な事例を挙げておけばいいかなと >>1
そりゃそうだろw
どうやってくっつけるんだよw 1枚200kgてことは蓋全体だと600kg以上あんの?
重すぎじゃね しかしこの線の刻み方見ると法則性も何も感じないな
適当な落書きみたいに見える
実は宗教的意味なんてなんてなくてただのメモ書きとか、刻んだ道具の試しとかの可能性もあるんじゃないかね 弥生時代の文字的な物だったりしたら面白いんだけどな 近くの別な遺跡でも似たような線を描かれた棺があると言う話だけどそれ見たいな
この地域だけの儀礼や文字?的なものかもしれない
面白いな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています