【宗教】「天皇制が性差別などのあらゆる差別をつくり出している」 日本聖公会、日本キリスト教会など「政教分離」訴え声明★11

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0001樽悶 ★2019/03/11(月) 23:50:49.88ID:/q65NqfM9
 日本聖公会主教会、正義と平和委員会は2月21日、今回の天皇の代替わりに関する一連の行事も、基本的な考え方や内容は、大嘗祭を公的な行事と位置づけ国費を支出した前回を踏襲するとの閣議決定を受け、抗議声明を安倍晋三首相に宛てて送付。声明では大嘗祭を公的な行事とし国費を支出することが日本国憲法20条の「信教の自由の保障・政教分離」に反すると指摘。また大嘗祭を公的な行事と位置づけることにより、天皇が特別な存在であること、さらに神格化のイメージを植え付けることを危惧し、強く抗議した。

 2月27日には、21日に安倍首相が天皇に内奏をしたこと、及び翌22日に皇太子を訪問したことについて、日本キリスト教会靖国問題特別委員会(古賀清敬委員長)が安倍首相に抗議声明を送付。象徴である天皇は政治に一切関わってはならないとする現憲法に対する重大な違反であり、天皇の政治利用であると指摘するとともに、政治報告をなすべきは国会であり、政治的責任を果たすよう強く求めた。

 また、2月28日には日本キリスト教婦人矯風会が抗議声明を安倍首相や菅義偉内閣官房長官、山本信一郎宮内庁長官らに宛てて送付。声明では、宮中祭祀は日本の文化であるため政教分離に抵触せず、また国費の支出は必要経費である、とすることは日本国憲法20条の「政教分離」、89条の「公の財産の支出又は利用制限」に違反すると指摘。即位礼、大嘗祭などの儀式を国の行事として行うことに強く反対した。

 同日、日本パブテスト連盟性差別問題特別委員会は安倍首相に宛てて声明を送付。天皇の皇位継承が男性天皇、男系天皇しか認められていないことなどを指摘し、天皇制が性差別、セクシャルマイノリティ差別などのあらゆる差別をつくり出していると批判。代替わりを前に、一人ひとりの人権が大切にされる歩みへ踏み出せるよう求めた。

キリスト新聞 2019/03/09
http://www.kirishin.com/2019/03/09/23767/

★1:2019/03/10(日) 16:55:33.46
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1552294605/

0952名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:35:33.48ID:3M4lmuIs0
>>951

https://ja.wikipedia.org/wiki/平田篤胤
平田 篤胤(ひらた あつたね、安永5年8月24日(1776年10月6日) - 天保14年閏9月11日(1843年11月2日))
は、江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。出羽国久保田藩(現在の秋田県秋田市)出身。

復古神道の成立
その霊の安定を神道に求めたのであり、それゆえ、神道は従来以上に宗教色を強めたのである[6]。ここで篤胤は、
天主教(キリスト教)的天地創造神話と『旧約聖書』的な歴史展開を強く意識しながら、天御中主神を創造主とする、
きわめて首尾一貫した、かつ儒教的・仏教的色彩を完全に排除した復古神道神学を樹立したのであった[3]。篤胤によれ
ば、天・地・泉の3つの世界の形成の事実、そしてそれについての神の功徳、それは「御国(みくに)」すなわち日本が
四海の中心であり、天皇は万国の君主であるということを、国学を奉ずる学徒の大倭心の鎮として打ち立てた柱、それ
が「霊の真柱」なのであった[2]。

出定笑語
平田は『出定後語』の理論を借用して『出定笑語』を書き、文章が平易通俗的であったこともあり、幕末以前、
1820年代、1830年代、1840年代の多くの人に読まれ、明治維新に至る王政復古運動、さらには廃仏毀釈の思想原理になった[16]。

民族宗教の体系化
復古神道においては、日本の「国産み」においてこそ天地創造がおこなわれる。日本は「よろずの国の本つ御柱(みはしら)た
る御国(みくに)にして、万の物、万の事の万の国にすぐれたるものといわれ、また掛(かけ)まくも畏(かしこ)き我が
天皇命(すめらみこと)は万の国の大君(おおきみ)にましますこと」が自明のこととして主張される[3]。

篤胤は、村落の氏神社への信仰や祖先崇拝といった、従来、人びとが日常レベルで慣れ親しんできた信仰に、記紀神話の再編に
もとづくスケールの大きい宇宙論を結びつけ、さらに幽冥界での死後安心の世界を提示した[10]。

幽冥論
また、現世は仮の世であり、死後の世界こそ本当の世界であるとした。これはキリスト教の影響である。篤胤は、キリスト教の
教典も、『古事記』や仏典などと同じように古の教えを伝える古伝のひとつとして見ていたのである。

「御国の御民」論と「みよさし」の論理
一方、現実には神孫たる天皇と将軍を頂点とする支配体制とをいかに整合していくかが求められるが、これについては、
「みよさし(委任)」の論理が用いられた[3][10]。

0953名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:36:15.73ID:3M4lmuIs0
>>952

https://ja.wikipedia.org/wiki/平田篤胤

平田国学・復古神道が立論の根拠にしたのは古伝であったが、『古事記』などの古典に収載された古伝説に
は齟齬や矛盾、非合理がふくまれているため、篤胤は古伝説を主観的に再構成した自作の文章を注解すると
いう手法を用いて論を展開した[9]。また、古伝の空白箇所を埋めるために、天地開闢は万国共通であるはず
だという理由から諸外国の古伝説にも視野を広げた[9]。古伝説によって宇宙の生成という事実を解明し、幽冥界
の事実を明らかにしていくのが彼の関心であるかぎり、これは自然なことであったが、漢意の排除と
文献学的・考証学的手法の徹底を旨としてきた本居派からすれば、かれの手法は邪道であり、逸脱にほかな
らない[9][11]。しかし、篤胤はそもそも古代研究を自己目的にしていたのではなかった[3]。彼は、自身も含め
た近世後期を生きる当時の日本人にとって神のあるべき姿と魂の行方を模索したのであり、そこで必要な神学
を構築するためにこそ『古事記』『日本書紀』その他の古典および各社にのこる祝詞を利用したのである[3]。
『霊能真柱』は篤胤にとって分岐点ともいえる重要な書物だったが、本居派の門人達は、この著作の幽冥観に
ついての論考が亡き宣長を冒涜するものとして憤慨し、篤胤を「山師」と非難したため、篤胤は伊勢松阪の鈴
屋とはしだいに疎遠になっていった。

0954名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:37:42.65ID:3M4lmuIs0
>>953

https://ja.wikipedia.org/wiki/復古神道

平田篤胤は本居宣長の書に啓発され、古代史を明らかにし、皇道の正当性を天下に示すなど、
復古神道の形成に大きな役割を果たした。また、幽冥界・霊魂など、霊界に関わる研究で著名
な成果をあげ、法華宗や密教、キリスト教、道教などの他宗教を参照した「平田派国学」を大成さ
せた[8]。この平田派国学の流れから後に、本田親徳、川面凡児その他の、「古神道系」宗教家が多く誕生してくる。

その後、明治になると、明治政府に入った平田派国学者らは、神仏分離と神道国教化を推進した[9]。
また、同じ明治の本田親徳や、本田の弟子の長沢雄楯、またその系譜に連なる出口王仁三郎らは、人間の
心は根源神の分霊である「直霊」(なおひ)が「荒魂」、「和魂」、「奇魂」、「幸魂」の4つの魂を統御
するという日本古来の「一霊四魂」説を体系化した。[10]

https://ja.wikipedia.org/wiki/一霊四魂

一霊四魂(いちれいしこん)とは、人の霊魂は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂から成り立つ、という、
幕末の神道家の本田親徳によって成立した本田霊学の特殊な霊魂観である。

各魂の名称は記紀などによるもので、『日本書紀』の「神功皇后摂政前紀」には新羅征討の際に神功皇后に
「和魂は王身(みついで)に服(したが)ひて寿命(みいのち)を守らむ。荒魂は先鋒(さき)として師船
(みいくさのふね)を導かむ」という神託があったとある[1]。また、神代には、大国主命のもとに「吾(あ)
は是汝(これいまし)が幸魂奇魂なり」という神が現れ、三輪山に祀られたとある[1]。『古事記』では、
神宮皇后が、「墨江大神(すみのえのおおかみ)の荒御魂」を国守神(くにもりのかみ)として新羅に祀ったとある[1]。

だが、それらの記述には、神には四魂があるとはどこにも書いていない。ゆえに、それらは別個に活動すること
があるとまではいえるが、四魂があるとは言えない。一霊四魂説は、本田親徳とその後継者たちの神学的な解釈
から生み出されたとみることもできる。 なお本居宣長は、「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」
に、三輪山の神は大国主命の和魂だとあることなどを根拠に、魂には大きく荒魂と和魂の2種があり、和魂にはさら
に幸魂と奇魂の働きがあるとしており、四魂としてまとめてみるようなことはしていない

近世になって、一霊四魂は本田霊学系の後継者によって、古神道の霊魂観として重視され、本田親徳や大本教の
出口王仁三郎、また出口王に三郎の弟子らによって、構造や機能が詳述されていくこととなる。

0955名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:39:01.53ID:yd/Za0bw0
韓国系異端はカトリックに入れずプロテスタントな

0956名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:41:26.05ID:PI8lnKc80
なんだ?このゴキブリ宗教。

0957名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:43:45.69ID:bSbP5C470
プロテスタントは変わってしまった

0958名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:44:07.55ID:3M4lmuIs0
社会主義的、儒教的衰退によって停滞する日本の現状において改革が無ければ経済はいずれは崩壊するだろう、その際に発生するクーデターや内戦
にはキリスト教が有用となるだろう

愛国自慰烈士が発狂してキリスト教を攻撃してアメリカが動き出すシナリオでも
経済が崩壊してクーデター・内戦が起きるケースでも日本がキリスト教国化する結果は変わらない

圧倒的な力でねじ伏せられるのを防ぐ力が神道の神や仏にないなら、お好きな道徳的勝利を確信して死ねばよいではないか?
道徳的勝利で勝てると信じるなら行動すれば良い。いずれにしても廃棄物を一世処分できる好機到来であることに変わりはない

0959名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:44:09.36ID:bSbP5C470
ほんと

0960名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:44:40.06ID:bSbP5C470
失礼だろおい

0961名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:45:17.08ID:bSbP5C470
まったくもう

0962名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:46:09.06ID:0r16HUW70
あははは 反天連のダニどもはキリスト信者か

0963名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:46:46.01ID:3M4lmuIs0
国学・神道の融合による朱子学化を推進した結果として尊王攘夷運動という時限爆弾が荒れ狂い自滅することになった水戸藩は、
弱小国の分際で世界最強国アメリカに無謀な戦争をしかけた戦前日本に重なる

http s://ja.wikipedia.org/wiki/諸生党
戊辰戦争以後
慶応4年1月(1868年2月)、戊辰戦争が始まると、諸生党に対する追討命令が朝廷から出された。これにより水戸藩に戻った本圀寺党を
はじめとする天狗党の残党と諸生党の間で再度抗争が起こり、今度は賊軍となった諸生党はたちまち勢力を失い、市川らは水戸を脱して
会津へ向かった。武田金次郎ら天狗党が藩内での権力を掌握すると、諸生党やその家族に対して激しい報復が行われ、各地で多くの
諸生党士民が処刑されたり投獄されたりした。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/松山戦争
背景
元治元年12月(1865年1月)に関東を劫掠していた水戸藩天狗党の乱が鎮圧された後、水戸藩の藩政は市川弘美ら
中心とする諸生党が掌握し、水戸に居た天狗党の関係者は諸生党によって次々と処刑された。

ところが翌年将軍徳川家茂が死去すると、翌年には天狗党本隊のうち武田金次郎ら遠島に処される予定であった者共
が赦免され、さらに孝明天皇崩御の後、天狗党と共謀関係にあった長州藩が鳥羽・伏見の戦いで勝利すると、天狗党・本圀寺党
の訴えにより諸生党が一転して朝敵に指定された。

経過
天狗党は翌7日から9日にかけて八日市場近隣の村々に押入って金品を強奪し、各村の名主・組頭を縛り上げて拉致し
身代金550両を奪取した上、銚子など周辺の町を次々と襲撃して略奪を繰り返した後、水戸へと戻っていった。飯高寺
の『向城庵記憶帳』は、この時の有様を「辰年十月中旬、水戸藩士天狗共国元にて戦争の上〜八日市・佐原・銚子・東金
などの町家へ乱荒し必死難渋の沙汰」と記している。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田金次郎
1864年の天狗党の乱には、祖父や父と共に参加する。のちに乱が鎮圧されて祖父など376人が死罪に処せられたが、若年を理由に遠島処分となる。
1866年、金次郎ら110名は小浜藩に預けられ、佐柿(福井県美浜町)の屋敷に収容されて謹慎したものの、准藩士格として厚遇される。1868年、
王政復古によって朝廷から罪を許され、水戸への帰藩を命ぜられた。

帰藩した金次郎らは、朝廷の威光により藩の実権を掌握。通称「さいみ党」と呼ばれた金次郎らは、仇敵であった諸生党残党に復讐をすべく、
白昼堂々に襲撃・暗殺し、藩内を極度の混乱状態に陥れた。

香川が栃木県の塩原温泉を訪れたとき、物乞い同然のみすぼらしい小屋で暮らす、体の不自由な金次郎と出会った。驚き哀れに思い、香川が金銭を渡すと、
金次郎は喜び、ひれ伏したという。このあと、金次郎は水戸に戻され、3か月後に亡くなった。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田耕雲斎
家系
武田耕雲斎の家系は清和源氏のひとつ、河内源氏の傍系である跡部氏の一族であるという。

0964名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:49:22.31ID:3M4lmuIs0
生瀬騒動では400人程度を無差別に皆殺しにしたとの伝承が残る。つまりこの程度では公的記録に残らないというわけだが、これを「大日本史」・藩史に書けないところが
朱子学朝鮮坊侍達の限界と言える。不祥事を隠蔽したら、失敗を繰り返さないための分析と進歩もないわけで、これでは都合の良い情報だけを収集するいかさま考証と言われても反論できないだろう し
正史に対する信頼も完全に失われる

水戸藩はその他にも農民に対する秘密警察なみの監視をしたり、徳川光国から想起される水戸藩のイメージからはかなりずれる

朝鮮朱子学による神道の改造によって作文された国学によって水戸藩は廃仏毀釈の先駆者となった。天狗党の乱以前から藩内は些細なことや家格の差で
内ゲバをしている。天狗党の由来は成り上がり者が生意気という意味らしいが、徳川斉昭を擁立した下士派となっている主なものは儒学者である藤田・会沢を除き血筋は上士以上の没落士族もいるため
藩内序列と血統序列による特権意識マウンティング合戦が起きていた可能性は多いにあるだろう

https://ja.wikipedia.org/wiki/水戸藩
1607年(1602年、1615年とも)の秋に、小生瀬村(現:大子町小生瀬)で、年貢を巡る農民と藩役人の行き違いにより、
藩が小生瀬村の住人を皆殺しにする事件が起こった(生瀬騒動)。藩の役人が年貢を取りに来て農民は納めたが、また
別の役人が年貢を取りに来たこと(年貢の二重取り)に対して怒った農民たちが、後から来た役人を偽物と判断してその一人
を殺害した。これに対し10月10日、蘆沢信重が藩兵を出兵させて生瀬村の農民を皆殺しにしたという。この事件に関しては、
藩の公式記録には一切触れられず、伝承と関連した地名が残るのみである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/結城朝道
かつて朝道によって失脚させられた斉昭や改革派の恨みは凄まじく、彼らがやがて復権を遂げると、嘉永6年(1853年)10月16日に
朝道は拘禁されることとなった。やがて朝道は水戸藩の支藩の筆頭・高松藩の藩主で、幕府内においては譜代大名の井伊直弼ら保守派
との関係が深い松平頼胤が宗家の家督を欲しているのを知り、慶篤を暗殺して頼胤を藩主に迎えようと画策した。しかし計画は露見し、
その3年後に死罪に処せられた。享年39。子・種徳も拘禁され、絶食のために獄死した。

0965名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:50:16.44ID:3M4lmuIs0
水戸藩の佐幕派は家格門閥で、尊皇攘夷派は下級武士という説があるが、家格門閥とはあくまでも血筋とは無関係の水戸藩における家柄のことであり
(儒者を除外した)正統な血筋による序列主義を重んじる朱子学的思想に、血統門閥が加わったことで、血筋・血統マウンティング抗争が発生する余地は十分にあった

尊王攘夷派
https ://ja.wikipedia.org/wiki/田丸稲之衛門
田丸氏は村上源氏の名門北畠氏の庶流である。田丸氏は、戦国時代初期の伊勢守護・北畠政郷の四男・顕晴が度合郡田丸城に入り、田丸の苗字を称したことにはじまる。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田耕雲斎
武田耕雲斎の家系は清和源氏のひとつ、河内源氏の傍系である跡部氏の一族であるという。
武田金吾 耕雲斎の七男。慶応元年(1865年)3月25日、水戸で斬首。享年3。靖国神社合祀[4]。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/戸田忠太夫
清和源氏の一門にて河内源氏の棟梁・鎮守府将軍・源義家の七男・源義隆(陸奥七郎義隆)を祖とする。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/安島帯刀
本姓は藤原氏。家系は贈正二位鎮守府将軍・藤原秀郷を祖とする安島氏。
戸田三右衛門忠之の次男に生まれ、母方の叔父・安島彦之允信順の養子となった。三河譜代の名門戸田氏の嫡流・戸田松平家の分家の出自であるが、佐竹氏旧臣の血筋である母方・安島氏の家督を継いだ。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/里見四郎左衛門
四郎左衛門の祖は清和源氏新田氏流里見氏の一族の里見義成の四男・義直を初代とする家系である。

佐幕派
https ://ja.wikipedia.org/wiki/市川弘美
水戸藩士・市川弘教(1000石)の二男として生まれる。弘教の長男・弘業の死去後の1843年に家督を相続。

水戸藩名門
https ://ja.wikipedia.org/wiki/小田氏
小田氏は鎌倉時代、源頼朝に従って功績を挙げ、常陸守護に任じられた藤原道兼の玄孫、八田知家(八田太郎、宇都宮宗綱の子)を祖とする。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/結城朝道
本姓は藤原氏。家系は鎮守府将軍・藤原秀郷を祖とする小山氏の同族・結城氏の血筋。

0966名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:51:07.67ID:3M4lmuIs0
なぜ水戸藩だけが戦前日本の集団中庸パニック症候群に酷似した状況に陥ったかだが、幕府に近い大藩というだけでなく名門中の名門、
門閥の血筋の藩主と藩士達が主導する正統学問の中心という自負と特権意識による藩内序列、血統序列のマウンティング抗争が勃発したからだろう
その根本原因は朝鮮朱子学・神道と結び合わさったのが原因と推定できる

伊藤博文、山県有朋は名門どころか社会の底辺出身であり朱子学の身分差別からは這い上がるべきでない下民であったし、さらに賊軍・朝敵になった後は初期の(上級武士による)朱子学色は払拭され陽明学ないし西洋的リアリズムで
軍事クーデターによって国体も含めて政権をひっくり返すという意識が芽生えたわけであり、尊皇攘夷もあっさり捨て、政権奪取後の天皇親政運動も封殺した

薩摩も逆賊・朝敵である長州と同盟をする点において大義名分からかけ離れ、幕府を滅ぼすことに熱中し、王政復古より幕府の滅亡を優先し政治的協議でなくリスクの高い内戦を選んだ

福沢諭吉「我が国の人民は,数百年の間,天子あるを知らず、唯これを口碑に伝ふるのみ。維新の一挙以て政治の体裁は数百年の古に復したりと称すと雖も、王室と人民との間に至密の交情あるに非ず」

維新以前は天子の認知度は低かったが、廃藩置県があっさり通った段階で五箇条の御誓文は忘れ去られており、明治天皇と宮中、側近の天皇親政運動(五箇条の御誓文とは全く正反対の儒教原理主義)はその流れを象徴した
現実は伊藤博文と山県有朋は、世襲カリスマである明治天皇の意向をいつでもひっくり返す軍事力を持つだけでなく、国民と皇室が疎遠な事を理解して、大義名分論の天皇親政を退けた現実主義者だったと言える

伊藤や山県の死後、薩長では天皇や側近に薄気味悪さを感じさせる(怯えさせる)ような人材を輩出しておらず、教育勅語で元田永孚(熊本藩の上級武士出身)がしかけた時限爆弾に
よって国論の儒教化・朝鮮朱子学化の圧力が急速に強まっていくことになる。朝鮮朱子学の暴走の歯止めとなっていた明治の元勲が消えたことで、止め金が失われたわけだ

0967名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:51:36.49ID:3M4lmuIs0
民度マックスの水戸藩士達は些細な差で内ゲバを起こし、フランス革命に匹敵する凄惨な同士討ちをした(3歳の幼児を処刑)
内紛・内ゲバの経緯を見ると、水戸藩士は見事なまでに朝鮮人の特徴である中庸徳を会得しており、まさに日本国に現出した朝鮮・中華が水戸藩だったと言える

徳川光国の主導による「大日本史」の編纂の過程において国学が生まれ、水戸藩は神道・国学・朱子学研究の中心地となり、
明治維新に先んじて廃仏毀釈を行うことになる

会沢安あたりは神道からの大義名分論を導き出し、今日の(朝鮮朱子学に洗脳された)愛国烈士の教祖のような存在だろう
弘道館は他にも神道系の国学者を輩出しており、大政奉還・王政復古のプランは水戸藩の貢献が大きいが、同時に内紛による
熾烈な虐殺事件は儒教中庸の強さを証明している

藤田東湖の尊皇攘夷と、元田永孚・佐々木高行の天皇親政は、朱子学をルーツにする点において同祖と言え
国体(天皇を頂点とする国家体制)を作ったのも水戸藩や朱子学者であり、朝鮮朱子学をベースに儒学の官学化を推進し神道と儒学を融合した林羅山からの伝統と認めることができる

0968名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:52:51.52ID:3M4lmuIs0
天皇親政運動を明治天皇の意向を受けて主導した元田永孚による朝鮮朱子学から生まれた国学を用いた天皇儒教権威の強化によって、
戦前は神風神話・神明に加護された神州不滅思想のような神話が生まれた

結果として無様な敗戦をきっする前までは天皇になにか超人的な力(超能力や霊力)があると期待していた宗教的風潮があったと見られるが、戦後に神国神話は
敗戦という現実によって粉砕されごく一部の狂人しか信じるものはいない

https://ja.wikipedia.org/wiki/神州不滅
江戸時代
江戸時代末期、藤田東湖は「神州誰君臨、万古仰天皇」と述べ、「支那」は革命を主体とする国家で王朝交代があるので「正気観念」にも変動があるが、
日本は万世一系の皇室を頂いて永遠に変わらないので「正気観念」にも変動が無く、そこに日本民族の特徴があるとした[1]。藤田東湖は「正気」とは
一般的には道義、特殊的には忠義であるし、更に「正気」の粋を集めた「神国日本」のその皇風が世界に広がり、皇室の御聖徳は太陽にも等しい、とした[1]。
藤田東湖の「正気歌」は吉田松陰や、明治の広瀬武夫にも影響を与えた[1]。平田篤胤の思想と、この水戸学の勤皇思想が混ざり、幕末に「神州不滅」の思想
が巻き起こった[2]。

明治以降
大日本帝国憲法では、日本は万世一系の天皇が統治し、天皇は神聖と明記された。

昭和および太平洋戦争終結時迄は、軍部によって「神国日本」「神州不滅」など、民族主義、精神主義、宗教などの傾向を持つスローガンが広く使用された。
また「神州不滅」の理由として、日本は神国であるから国家の危機の場合には元寇と同様に神風が吹く、とも説明され、神風特別攻撃隊も組織された。

0969名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:56:14.00ID:3M4lmuIs0
伊藤博文・山県有朋が明治天皇の親政の希望を断ったのも事実ではある。プロイセン・ドイツ流の国家主義はカルテル経済のハリボテであったので
両名に対する批判はもっともであるが、伊藤博文が傀儡として天皇を利用しなかったならば国体が廃止されていた可能性は否定できない

明治維新が天皇親政に向かおうとした場合は、薩長や雄藩の軍人による武力行使によって国体(天皇を中心とする国家体制)が消滅していた可能性もゼロではない

https://ja.wikipedia.org/wiki/孝明天皇
その後、幕府・一会桑・薩摩藩・長州藩等の諸藩・公家・志士達の権力を巡る争奪戦に巻き込まれていくと、孝明天皇自身
の権威は低下していくことになった。

1865年(慶応元年)、攘夷運動の最大の要因は孝明天皇の意志にあると見た諸外国は、艦隊を大坂湾に入れて条約の勅許を
天皇に要求したため、天皇も事態の深刻さを悟って条約の勅許を出すこととした。だが、この年には実際には宮中のみに留
まったものの西洋医学の禁止を命じるなど、保守的な姿勢は崩さなかった[注 2]。

このような状況の中で、次第に公武合体の維持を望む天皇の考えに批判的な人々からは、天皇に対する批判が噴出するよう
になる。第二次長州征伐の勅命が下されると、大久保利通は西郷隆盛に宛てた書簡で「非義勅命ハ勅命ニ有ラス候」と公言[5]し、
岩倉具視は「国内諸派の対立の根幹は天皇にある」と暗に示唆して、「孝明天皇が天下に対して謝罪することで信頼回復を果た
し、政治の刷新を行って朝廷の求心力を回復せよ」と記している[6]。こうした中で1866年10月8日(慶応2年8月30日)には、
天皇の方針に反対して追放された公家の復帰を求める廷臣二十二卿列参事件が発生し、その後薩摩藩の要請を受けた内大臣・近衛忠房
が天皇が下した22卿に対する処分の是非を正そうとしたことから、天皇が近衛に対して元服以来の官位昇進の宣下をしたのは
誰か、奏慶(御礼の参内)は何処で行ったのかと糾弾する書簡を突きつけている[7]。

0970名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:56:26.64ID:N6A7wSUr0
>>802
うへぁ、すげー基地外発見。
あの手を振るしか能の無い税金泥棒朝鮮人一族がイスラエル人の子孫なわけねえじゃん。
馬鹿は休み休み言え。
疑いの余地も無くコテコテの朝鮮エベンキ顔。
ユダヤの血など一滴も入っていない。
公開遺伝子鑑定を国民の前でやれ。
絶対に朝鮮とモンゴルのミックスの朝鮮エベンキ族朝鮮部落民の子孫に違いない。

0971名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:57:34.05ID:bSbP5C470
まったくなに考えてんだ

0972名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:57:56.07ID:bSbP5C470
はっきり言って

0973名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:58:24.73ID:bSbP5C470
失礼だろ
はっきり言って

0974名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:59:00.31ID:sPnTKxlZ0
【裁判官】昭和の日を「無責任の日」と批判 名古屋家裁の判事(55)、反天皇制をうたう過激派参加団体で活動も★2
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1552458873/

名古屋家裁の男性判事(55)が「反天皇制運動連絡会(反天連)」に参加 裁判法に抵触も ネット「公安監視対象にしとけ」
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1552468333/

0975名無しさん@1周年2019/03/13(水) 22:59:10.37ID:bSbP5C470
ウリスト

0976名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:00:06.76ID:3M4lmuIs0
>>919
>キリスト教が南米で殺したのは桁の違う一億人なんだけど?
>南米の文明なんか全滅させてるじゃん(笑)

人類の歴史において劣った技術力・科学力・経済力・軍事力を持つ文明が滅びるのは常だが(もっとも日本もこのまま衰退すれば滅びかねないが)
南米の文明喪失については同化政策と疫病が原因だ

ユーラシア大陸の天然痘、肺ペスト、腺ペスト、マラリア、インフルエンザ等の疫病に対する
免疫がなかったことで大量死が起きたことは知られている

https://ja.wikipedia.org/wiki/コロンブス交換

コレラ
インフルエンザ
マラリア
麻疹
ペスト
猩紅熱
天然痘
結核
腸チフス
黄熱
百日咳

しかし原住民の人口は現在でも7000万人を超える(これに混血は含まない)

https://en.wikipedia.org/wiki/Indigenous_peoples_of_the_Americas

コロンブス以前の人口は学者コンセンサスで5400万人程度とされ、同化政策は失敗し多くの現地文化は保存されている

0977名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:00:29.37ID:3M4lmuIs0
>>976

ペストは中国で発生しヨーロッパの居住者2,000万-3,000万人を殺した

https://ja.wikipedia.org/wiki/ペスト

14世紀の大流行
詳細は「en:Second plague pandemic」および「en:Black Death」を参照

中世ヨーロッパにおけるペストの伝播。
ポーランドでは被害が発生しなかった。
472年以降、西ヨーロッパから姿を消していたが、14世紀には全世界にわたるペストの大流行が発生した。
この流行はアジアからシルクロードを経由して欧州に伝播し、人口の約3割を死亡させた。全世界でおよそ
8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2に当たる、約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。

14世紀の大流行は中国大陸で発生し、中国の人口を半分に減少させる猛威を振るったのち、1347年10月(1346年とも)、
中央アジアからイタリアのシチリア島のメッシーナに上陸した。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミが媒介し
たとされる。流行の中心地だったイタリア北部では住民がほとんど全滅した[3]。1348年にはアルプス以北のヨーロッパ
にも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。

0978名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:04:51.17ID:3M4lmuIs0
(明治維新の序章となった尊王攘夷の)水戸朝鮮朱子学が巻き起こした狂騒は宮家や公家、門閥一族・宗族にとっては最初で最後の復権チャンスだった
葵の御紋の権威は維新戦争での敗戦で失われたが、菊の御紋や血筋で全ての欲望が満たすことができる時代は無様で悲惨な敗戦と共に終わった

門閥貴族の特権意識で戦後資本主義を生きるのは大変な困難だったろうが、それでも縁故資本主義の日本では何のバックもいない貧乏人に比べれば遥かに生きやすかったことだろう
しかしその門閥のアドバンテージも日本の豊かさの源泉であった技術競争力の低下によって経済が崩壊する見込みのある現在では無効となる見込みであり、従来の利権を守ろうとすればするほど
あらがいようのない運命・対流によって深い沼に引きずり込まれ徐々に落ちて、もがき苦しんで死ぬことになる

https://ja.wikipedia.org/wiki/水戸黄門
この講談話の始まりについては、一橋慶喜を将軍職に就けるため、父である水戸斉昭が裏で動いて、水戸徳川家は「天下の副将軍」であるという話を世間に広めようとしたのだという説がある。
しかしながら光圀が正すのは局所々における役人の不正であり、時には身分制度の掟で結ばれない恋人同士に粋なはからいを示すことなどはあるが、身分制度の矛盾を根本的に正す社会改革にまで踏み込んだ対応を試みようとすることはない。

印籠で平伏するような人間は今の時代いないし、存在しない権威を振り回して暴れたり、洗脳やビジネスツールとして低能を信じさせるための詐欺に使う内質は幼児退行であり、現実逃避に過ぎない
悔しいなら門閥・貴族の一族が本気を見せて日本の経済や競争力を回復させれば良いだけだが、そんな実力がないのは本人達が重々承知しているだろう

なぜ安定して繁栄してきた日本が不運に見舞われ、失敗し続け、衰退中かということだが、それは国民を家畜にしてきたからだ。自由と正義を自ら放棄するような国民は自ら考えることをやめて家畜化され、
上位者である無能で下劣な品性しかない門閥や宮家の残りかすである愛国自慰廃棄物を模倣する。二言目に忠君や国体を連呼するような無能依存体質が下の重層的身分階層に下方伝播・伝染するという至極当然な道理に過ぎない
つまり底辺まで腐りきった儒教的衰退と言える

皮肉なのはアメリカは真剣に日本人が自由を持ち人間としての尊厳を取り戻せるよう願っていたことであり、それが実現すれば門閥一族は一定の権威を保つことも可能だったかもしれないことだ
しかし所詮は飼いならされた家畜しか望まない儒教政府では限界があり、自らの無能という印籠紐によって首がしまって窒息寸前という実に同情が不可能な醜態をさらしているのが現在の状況だ

国難時の力の源泉は皇室や国体の失われた権威ではなく、優れた武器と金となる。それを誰よりも持っているのは言うまでもなくアメリカであり、日本がアカく染まって中国の属国となり日本の血の中国人化が進む前に
アメリカは介入するだろう

0979名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:06:19.66ID:3M4lmuIs0
明治維新の前哨戦において薩摩藩は勅令と軍を使い幕府老中の(殺害)脅迫・強要をして要求をのませたという(文久の変)
さらに小御所会議では優勢な論を展開した山内容堂に対して殺害をほのめかして黙らせた。この当時、勅令・勅書はヤクザ顔負けの強引で理不尽な要求を
押し通すための恐喝・脅迫に使用された小道具だったが、長州は平気で朝敵・賊軍となり戦争を継続し薩摩も裏で強力をしているため勅書など全く意にかいしないものが多くいたということだ

今なら勅書など発行しても銃弾・爆発物で消し飛ぶ、頑張って劣化楠正成を探そうとしても勅書程度に自らの人生を振り回され、生命の危険のリスクをとるのは相当な知恵遅れだけだろう
科学的軍事理論を学んだ連中に勅書などは到底通用する理屈ではなく、血統世襲理論で印象は最悪になるので効果はむしろマイナスとなる

山内容堂や老中の例でも分かる通り武家の名門・門閥一族は自らの命が危機に瀕すると見るや下級武士の脅迫に対してあっけなく屈する腰抜ばかりで、名門の誇りもあったものではない
薩摩藩と長州藩の強さは青白い顔の名門では思いつきさえしない、下級武士ならではの脅迫や暗殺、テロを平気でやってみせる決断力と実行力にあった
つまり薩長の物理的脅迫は現代でも十分に通じる表現方法だということだ

だが薩長の下級武士も道徳面では特権に安住して腐敗しきった公家よりはおそらくマシだった
そして没落する上級武士を横目に下級テロリスト武士が栄達し実権を握ることになる
武士どころか下民出身の伊藤博文と山県有朋が最高指導者に栄達する

https://ja.wikipedia.org/wiki/猪熊事件
公家衆乱行の発覚
左近衛権少将・花山院忠長は、ある時後陽成天皇の寵愛深い広橋局(武家伝奏・大納言広橋兼勝の娘)に懸想した。
そこで宮中深くまで出入りを許されていた歯科医の兼安備後(妹の命婦讃岐も宮中に仕えていた)に仲介を頼んで文通を始め、
それをきっかけとして二人で逢瀬を重ねていた。その話を漏れ聞いた猪熊は、俄然興味を持ち、かねてから懇意の飛鳥井雅賢
をはじめ、言葉巧みに他の公卿・女官をも誘い出し、様々な場所で乱交を重ねることとなった。
しかし、このように大人数の乱行が発覚しないわけはない。飛鳥井には恨みを含む女性がいた

0980名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:07:21.45ID:02D9TvDF0
キリスト教会は昔から悪だからね。

0981名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:07:22.13ID:3M4lmuIs0
伊藤博文は百姓、山県有朋は奉公人の出身と記憶しているが、明治維新の長州閥に限定すれば大規模な身分変動があったことになる
足利尊氏のように賊軍・朝敵になってから政権を奪取したりする例はあるが、百姓・奉公人の血筋からの出世では豊臣秀吉以来と言えるだろう

王政復古・明治維新後には公家や宮家が権勢を振るう可能性があったが、権力を得たのは伊藤博文と山県有朋を筆頭にテロリスト兼反乱軍(元賊軍)・一揆軍部隊長のような指折りの危険人物
ぞろいであったため明治天皇や側近・皇族・公家を差し置いて実権を握ったのは長州・薩摩の勢力となった。伊藤博文と山県有朋は天皇親政運動を封殺して天皇から実権を剥奪したが
元田永孚や公家からの圧力を受け教育勅語において妥協をしている

伊藤や山県の死後、薩長では天皇や側近に薄気味悪さを感じさせる(怯えさせる)ような人材を輩出しておらず、教育勅語で元田永孚(熊本藩の上級武士出身)がしかけた時限爆弾に
よって国論の儒教化・朝鮮朱子学化の圧力が急速に強まっていくことになる。朝鮮朱子学の暴走の歯止めとなっていた明治の元勲が消えたことで、止め金が失われたわけだ

儒教・朱子学は短期的に社会を安定させる効果と、長期的に停滞をおこし社会を過激な動乱に導く滅びの笛であり、定期的に動乱の渦に国が呑まれていくことになる

https://ja.wikipedia.org/wiki/元田永孚
朱子学的な大義名分論を日本の現実社会に徹底化して、修身と治国の一体化を図ると共に皇室への崇敬を一種の「国教」として確立することを
目指した元田の「政教一致」路線は、教育勅語を通じた天皇制国家の確立によって実現されていく。

0982名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:07:55.63ID:3M4lmuIs0
明治天皇は儒教的専制君主となるよう積極的に動いていた時期があった(大久保の暗殺後に政治空白が生まれ宮中での天皇親政運動が強まる)
明治天皇とその側近である侍補グループの天皇親政運動は五箇条の御誓文や維新革命後の政治体制に反する存在となった為に伊藤博文が介入した。最終的に軍の支持を受けた伊藤
の封殺案に抵抗する術はなく、侍補は廃された。宮中グループはその後も教学聖旨によって儒教君主化を企んだが伊藤博文はこれも頓挫させた

「〔明治13年〕11月3日(東京)天皇誕生日。この国の人民がその君主に寄せる関心の程度が低い有様をみることは情けない。
警察の力で,家々に国旗を立てさせねばならないのだ。自発的にやるものは、ごく少数だろう」(エルヴィン・フォン・ベルツの日記より)

憲法の制定後は明治天皇の権力はさらに制限され、親政の希望は失われたが、伊藤博文は傀儡となった天皇の権威を最大限利用すべく動き
最終的には西欧におけるキリスト教の役割となることを期待し、操り人形の前提で天皇崇拝を強化した
明治天皇の信任が厚かった宮中グループも、朝鮮朱子学による天皇儒教権威の強化、儒教的・絶対的な天皇中心主義が教育勅語に組み入れられたことで満足(侍補達の権威アップ)し、その後はおとなしくなった

https ://ja.wikipedia.org/wiki/明治天皇
若い頃(とりわけ明治10年代)には、侍補で親政論者である漢学者・元田永孚や佐々木高行の影響を強く受けて、西洋の文物に対しては懐疑的であり、また自身が政局の主導権を掌握しようと積極的であった時期がある。

教育に関しては儒学を基本にすべしとする元田の最大の理解者でもあり、教育行政のトップに田中不二麿や森有礼のような西洋的な教育論者が任命されたことには不快感を抱いていた。特に明治17年(1884年)4月下旬に森が文部省
の顧問として御用掛に任命されることを知ると、「病気」を口実に伊藤(宮内卿兼務)ら政府高官との面会を一切拒絶し、6月25日まで2か月近くも公務を放棄して引籠もって承認を遅らせている。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/機務六条
宮中側は明治天皇が儒教に基づいた東洋的な専制君主として「天皇親政」を行うべきであると主張し、明治天皇への帝王教育もその路線で行ってきた。これは将来的には天皇を西洋的な立憲君主として近代国家の中枢に据えようとす
る太政官の方針と矛盾したものであった。このため、岩倉や伊藤らは侍補を廃止して親政路線を停止しようと図ったが、明治天皇自身が元田永孚・佐々木高行ら侍補に心を寄せて彼らを私的なブレーンとして遇し、彼らが期待する君主像を実現させようと試みた。

1879年(明治12年)3月10日、明治天皇が「勤倹の聖旨」を公布して政府の財政路線を批判し、続いて元田に「教学聖旨」を執筆させて教育政策を批判した。伊藤らは天皇と宮中側の関係を改めさせようとしたが、急速に立憲制が確立することで
公家出身の門地に依存してきた自分の地位が危うくなることを危惧した三条や岩倉は、元田や佐々木らの宮中側勢力を完全に抑えることには消極的で、大隈財政末期の外債発行問題などでは宮中側と連携して太政官側を動かそうとする動きも見せたのである。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤博文
お雇い外国人であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツは『ベルツの日記』の中で、伊藤が会議の席上、半ば有栖川宮威仁親王の方を向き、「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。
生まれるが早いか、到るところで礼式の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と言いながら、操り人形を糸で踊らせるような身振りをして見せたことを紹介している。

0983名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:12:12.32ID:3M4lmuIs0
かつてナチスドイツは、全体主義的政策の代名詞とも言える大規模公共事業によって失業者を減らしたが、
女性労働者(女性は家庭にいるべきとのナチスの方針)とユダヤ人・反ナチス系ドイツ人を労働人口から
取り除いて成人男性の仕事を増加させたことは良く知られていない

統計をいじった結果として名目上の失業率は36%から14%にまで下がった
しかしナチスが意気軒昂な発表とは反対に1935年時、実に労働者の半数が貧困ライン以下の賃金での生活を余儀なくされていた

増えた雇用の質にも大きな問題があった

例えば多くの労働者は最低賃金レベルの賃金に固定されており、(1933年のレベルに固定)
例外としてナチスの党員が豊かになる(ナチスにとっての理想)社会システムとなっていた
ドイツの一般家庭の家計は最も成功した時期でさえ1928年レベルだったとする説もある

賃金の下値固定はインフレ回避に資したが、豊かになったかというそういうことは無い
食料価格は1933年から1935年で8%増えたとされるが他の統計と一致しない改竄と指摘されている
小麦は30%、肉・卵は50%、ジャガイモは75%程度の価格上昇(公的な記録)があり、食糧危機という用語が頻繁に使われるようになった

ヒトラーが政権をとる前の金保有量は9億3700万マルクだったが、4年間で7200万マルクにおち、
政府の負債は雪だるま式に膨れ上がり、この多くが公共事業や、再軍備に当てられた

ナチスは自律的経済を謳ったが、資源国でないドイツが公共事業を行えば行うほど、庶民の生活は窮乏した

ナチスの自律経済とは資源国を侵略して略奪せねば、台所が破綻する追いこまれた経済政策であり理想からは程遠い

0984名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:12:29.05ID:3M4lmuIs0
ユダヤ人は、ナチスが生み出した固定低賃金ドイツ人(約半数のドイツ人が貧困線以下の暮らし)
にとってのスケープゴートとなったわけだが
事実はユダヤ人を排斥した後も貧困は根本的には解決せず、ドイツ人の暮らしは苦しくなる一方だった

さらに巨額の財政赤字によって、財政破綻は目の前であり、そのために戦場に送られる羽目にあった

日本で言うなら非日本国籍の生活保護の打ち切りだけで解決する問題を、全ての問題解決となる
ような幻想をプロパガンダによって信じ込まさせたわけだ

0985名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:12:40.49ID:3M4lmuIs0
https://ja.wikipedia.org/wiki/ナチス・ドイツの経済
これらの政策によって登録労働者は1933年のうちに200万人減少したが、奉仕活動的な雇用や統計操作を
含むものであり、再軍備や軍需拡大による雇用創出が行われるまでの時間稼ぎ的な性格のものであった[26]。
一方で企業に対して租税減免措置がとられ、自動車産業に対する保護育成策もとられた。また低調であった
民間投資を集中するため、重点的事業でない繊維・紙パルプ・ラジオ・自動車部品製造などの分野には投資禁止措置がとられた[27]。

中略

この一方でヴァイマル時代からの外貨不足状況は変わっておらず、原材料である生糸や綿の輸入が進ま
なかったため、消費財分野の主力である繊維工業は停滞し[37]、消費財分野全体の雇用者もほとんど増加
しなかった[29]。また、統制による賃金抑制は国内消費水準回復の遅滞を招いた[38]。また、同時期には
食糧相リヒャルト・ヴァルター・ダレが推進した血と土イデオロギーに基づく農本主義的農業政策が行わ
れたが、自立小農民を保護する政策は経営合理化を妨げ、増産につながらなかった。また農地の長子単独相続を
定めたために次男以下の離農が進み、農業振興とは逆行する事態が発生した[39]。この事と天候不順が重なり、食料輸入が1936年代の課題となる。

中略

「帝国アウトバーン会社の設立に関する法律」によって6月30日に、ドイツ国営鉄道の子会社帝国アウトバーン会社(de:Reichsautobahn)が
設立され、技術者であったフリッツ・トートが「ドイツ道路総監」に任命された。アウトバーン関連には1935年6月までに4億マルクが投資され、
最大12万人の雇用が行われた[40]。ただし、アウトバーン関連労働者の一部に対しては少額の手当と衣食住の支給が行われたのみであり、
賃金と呼べるほどのものは受け取っていなかった[41]。

0986名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:12:56.04ID:3M4lmuIs0
ナチス共産主義者が社会主義を実現しようとしたが敢え無く失敗し、略奪を決意したのが先の大戦の発端と言えないでもない

https://ja.wikipedia.org/wiki/ナチス・ドイツの経済
四カ年計画
しかしドイツ国内の資源類は偏っており、また軍需産業への労働力集中は農業人口の減少を招き、
食糧自給が困難になった[60]。1937年11月5日の秘密会議でヒトラー自身も完全な自給経済体制構築
は不可能であると述べ、自給が可能であるのは石炭・鉄鉱石・軽金属・食用油にすぎず、食糧にい
たっては「まったく無理」であるとした[61]。ヒトラーは食糧自給のためにはヨーロッパ内での
領土獲得が不可欠であると述べ、近い将来における戦争準備推進を要求した(ホスバッハ覚書)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ナチス・ドイツの経済
ゲーリングの時代
1936年夏頃には外貨不足と2年連続の農業不振が重なって、ドイツ経済は深刻な原料危機を迎えており、
景気失速の危険があった[30]。この危機を乗り越える方策としては協調外交と軍拡の減速に政策を切り
替えるか、軍備拡大を続けて領土拡大によって占領地から収奪するかという二つの道があったが、ヒトラー
とナチ党にとっては後者以外の選択はあり得なかった。

0987名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:13:05.41ID:3M4lmuIs0
ナチス共産主義の経済失策は、国家社会主義者が唱える日本経済の未来なので、良く知っておくべきだろう

https://ja.wikipedia.org/wiki/ナチス・ドイツの経済
外貨不足
ドイツは金本位制を保持していたが、海外でのマルクの実勢レートはかなり低下していた[109]。
外貨不足は健全な貿易を大きく阻害した。さらに世界恐慌以降の世界的な貿易停滞は外貨獲得の機会を減少させた。

この外資不足を改善するため、ヴァイマル政府は外貨管理、輸入制限、外国債務の元利支払い停止などの
政策を打っていたが、外貨増収には至らなかった。このため輸出振興策として1932年に「追加的輸出手続」
(ドイツ語: Zusatzausfuhrverfahren、ZAV)制度を採用した。これは輸出業者が輸出代金の一部として、
ドイツの対外債権を外国市場から買い入れ、国内の債務者に売り渡すことを認めたものである。対外債権は
海外で安く取引されており、債務者に売ることで輸出業者は利益を得ることが出来た[113]。この他にも様々
な外貨使用削減の方策がとられており、シャハトの証言によると、ドイツ貿易の80%は交換・清算・補償など
で決済されており、自由な貿易は20%以下であった[114]。

外貨不足を補うため、外債の利子送金を停止する計画を建てた。これに債権国は反発し、輸出超過再建の
差し押さえを行うなど、貿易関係でも摩擦が続いていた[115]。また軍備拡大に伴って原料輸入が増大する事で
工業製品の生産コストが上がり、輸出が不振となったため、ヴァイマル時代からの外貨不足はますます深刻と
なった[30]。1934年1月時点での貿易赤字は2200万マルク、12月には4500万マルク、翌1935年1月には1億500マルク
と増加する一方であった[116]。外貨準備もこれに伴って減少し、1934年6月には1億マルクを割り込む危険水域に突入した[15]。

0988名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:13:26.25ID:3M4lmuIs0
凡人オヤマダ@aindanet
結局景気を良くするには財政を奮発するしかないんだーという財政政策偏重主義に陥るのは困りもの。
それがどんどん暴走していったのがドケンジアン。財政一本鎗で経済力がつくのであれば発展途上国な
んか存在しないし、70年代のスタグフレーションも起きない。ベネズエラも財政拡大をやればいい。

0989名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:13:39.54ID:3M4lmuIs0
ケインズは経済危機以下の平時の政府負債による公共事業には反対している

Keynes"The capital budgeting is a method of maintaining equilibrium; the deficit budgeting is a means of attempting to cure disequilibrium if and when it arises"[Keynes, 1943, in CW 27: 352-353],
Keynes"particular, rather desperate expedient" [ibid.: 354].
https://www.cairn.info/revue-cahiers-d-economie-politique-2012-1-page-223.htm

ケインズ: (不況のせいで)金がないなら経済は存在しない。あらゆる手段を使って金を回すべきで、政府が借金をして国民に金を配ればいい。
必要であれば穴を掘らせて小切手を埋めればいい、実現は官僚機構は関与させず小切手掘りの自由競争にまかせる

肥大して不効率で民主的に選ばれていない官僚が支配する巨大な公共セクターは反ケインズ的な主張と言える
ケインズは不況時の対策に金をばらまくことを主張したのであって、官僚国家や独占をケインズは反対している

Keynes "If the Treasury were to fill old bottles with banknotes, bury them at suitable depths in disused coalmines which are
then filled up to the surface with town rubbish, and leave it to private enterprise on well-tried principles of laissez-faire
to dig the notes up again (the right to do so being obtained, of course, by tendering for leases of the note-bearing
territory)

銀行券に瓶につめて、穴に埋めたあとは、自由競争の市場原理によって個々の意志によって穴を掘り起こせばよいとケインズは言う
また穴堀の権利取得は競争的入札方式を提案している

ナチス・ドイツの貧困問題でも分かるとおり公共事業は国民のスキル開発を平時には不要な「穴掘り」に特化させるため生産性を下げさせ、構造的失業(ミスマッチ)を悪化させる
むしろ非生産的な事業に従事するよりも、公共事業の入札業者を通さず直接失業者に金を渡して専門スキルを専門教育機関で学ばせるほうが経済成長や生産性成長に資することになる

0990名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:13:53.96ID:3M4lmuIs0
マルコスの独裁長期政権による汚職蔓延、借金による好き放題で野放図な公共投資による放漫財政(日本に類似した縁故資本主義)、独裁維持のために過剰な軍備増強(縮小はマルコスと側近にとって命取り)
と財政の破綻がフィリピンの衰退の原因とされているらしい

https://en.wikipedia.org/wiki/Economic_history_of_the_Philippines
After experiencing years of positive growth, the Philippine economy between 1973 and 1986 suffered
a downturn due to a mixture of domestic and international problems. Those were the years the country
was under Ferdinand Marcos and martial law, witnessed the assassination of Benigno Aquino, Jr., saw
changes to the Philippine energy law,[clarification needed] and the popularity of the EDSA People Power Revolution.

https://ja.wikipedia.org/wiki/フェルディナンド・マルコス
こうした戒厳令布告による強権政治や開発独裁は、隣国インドネシアのスハルトの手法を真似たとみられている。
マルコスの著書『新しい社会の上に記録する』によれば、それは既存の特権階級に与えられていた権益を貧者に解放する政策だった。
フィリピン経済を伝統的に支配した華僑など既存の特権階級が持つ権益は没収され、貧しい人たちに特権が与えられたと喧伝されたが、
実際にはマルコスの一族と取り巻きに引き継がれたに過ぎなかった。この現象を示すために「クローニー(縁故・取り巻き)資本主義」なる用語まで登場した。
この政策は国家主義的な意図があったとみられ、この既存階級に対する闘争は労働者の支持を集め、農地解放は農民の支持を集めた。
しかし、この間に、その権益の分配をめぐり贈収賄・恐喝・横領が生じることになる。

0991名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:14:06.86ID:3M4lmuIs0
もう一つは民間事業に対する政府介入による民族主義を掲げた富の移転による縁故主義の拡大から競争の停滞が生まれた

https://ja.wikipedia.org/wiki/哲人王 (プラトン)
近代以前『国家』はユートピア的な理想国家の思想と捉えられてきたが、19世紀イギリスでは哲人王の思想はエリート主義的な国家運営
のモデルとして見られた。20世紀に入ってからは独裁国家のイデオロギーの源泉のように見られるようになり、特にポパーの
『開かれた社会とその敵』において哲人王はレーニンやヒトラーに直結するものとして批判された[1]。

日本では銀河英雄伝説なる中高生向けのフィクションで政治学を学んでしまった中年がいるとの分析があったが、独裁者による清廉なる政治という幻想は実現されたことはなく、
トップ一人がまともでも、取り巻きや家族が腐敗し、理想的なお達しが来ても小役人のレベルで腐敗フィルターを透過するため国民は窮乏し、小役人・官僚・独裁者の縁故が全ての利権を支配するディストピアが完成する
という歴史が繰り返されてきた

さらに言えば腐敗といっても派手な賄賂よりも、小役人とその縁故による利権維持のほうが国を崩壊させやすい
独裁政権は権力の集中によって、それ自体が巨大な利権となるために、その利権維持のための支持者を保つために
小役人と権力上位階級の利権維持は欠かせない

銀河英雄伝説は1982年に出版された小説らしく、おそらく執筆構想当時(1970年台後半?)の世相としては、共産主義一党独裁の幻想の残滓があり
共産主義者に積極的に研究されていたプラトンの哲人王に影響されたものと考える

清廉な独裁者(レーニン、スターリン)なる幻想・プロパガンダが、究極的に腐敗した政治構造の温床であることは歴史が証明している

0992名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:14:22.17ID:3M4lmuIs0
中高生向けの(マルクス唯物論史観的なプラトン哲人王の撞着を隠さない)銀河英雄伝説を、中年らしき人物が信奉している現実を見るに
政治家にもその手合が多くいる可能性がある

https://ja.wikipedia.org/wiki/カール12世 (スウェーデン王)

独裁者のモデルは部類の戦争狂で知られるカール12世やナポレオンだと思うが、いずれも国を崩壊や敗戦に追い込む滅びの笛でしかなかった

また民主主義の衰退・腐敗モデルをアメリカ合衆国と印象操作をしたいようだが、銀河英雄伝説で滅びるのは儒教社会主義であって自由主義ではない
現在の世界ではアメリカこそが世界秩序であり、世界最強であることは議論するまでもなく、
衰退する日本を横目に豊かさを享受する欧州諸国も君主はおかざりが多く、共和制と変わらないが滅びる兆しはない

日本には数多の銀英伝の熱狂的なファンがいるというのに、アメリカ・欧州諸国の繁栄を貶してるばかりで、衰退の一方だ
アメリカや欧州の自由主義経済がこれだけ強いというのに、マルクス唯物論史観を発祥とする反民主主義・独裁者賛美の銀英伝をこんなにも信奉して
愛して止まない政治家や国民は何の役にも立たなかったわけだ

日本ではライトノベルによって、自己愛や妄想が強化されてしまい間接的にマルクス唯物論史観に影響されていることも気づかず
正常な判断が下せない倒錯状態にある連中が多く、早めに洗脳状態から解いたほうが良いだろう

0993名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:14:35.42ID:3M4lmuIs0
>アメリカや欧州の自由主義経済がこれだけ強いというのに、マルクス唯物論史観を発祥とする反民主主義・独裁者賛美の銀英伝をこんなにも信奉して
>愛して止まない政治家や国民は一体何をしてきたのか?

20を超えても、銀英伝から勉強したといってるのは、自らの教科書が誤っていた可能性を考えた方が良い
そもそも西欧の歴史をろくな理解もせずに切り貼りして中高生向けのライトノベルにしあげ、強引に西欧文化を蔑視し見くびる観点なのに、なぜか日本人的な思考形態を持つ儒教的な登場人物達が
全く関係のない西欧の人間性や西欧国家論を論じるといった不毛なライトノベルだからだ

西欧をマルクス唯物論史観と儒教で理解しているのだからラインハルトは上杉権蔵、トリューニヒトは田中角次郎、ヤン・ウェンリーは楊彪のネーミングに入れ換えるほうがしっくりくる

俺強い的なライトノベル内でのデフレされた頭の弱い敵に対する無双に感動し、少しお馬鹿な英雄達に自らを重ねた天狗妄想にひたすらしがみつき、冷静な分析に基づいた根拠もなく
他人貶しをひけらかす認識が誤っているから日本が衰退していると考えるほうがしっくりくるだろう

小説は主人公が活躍するから売れるし、敵は馬鹿でも構わないが、なぜ日本の現状を見て自らが主人公側にいることに疑念をもてないのか、
むしろ世界で雑魚キャラだと思えないのか自己客観視が足りず自分に酔っている単なる勘違いナルシストなのではないのか?

極左共産や極左国家主義者(ナチス共産主義者)は西洋人を馬鹿にし、極左国家主義者にいたっては他のアジア人を見下すが、どう見ても奢りであり、それ以外の自称リベラルや自称保守も
他国では奢って自信過剰になって競争相手を見くびり自己破滅に突き進む儒教土人にしか見えないのに、この蔑視感情によって戦後の数十年間発展する原動力となった謙虚さが失わ
れ日本を決定的に駄目にした世代には治す薬がない

0994名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:14:49.59ID:3M4lmuIs0
銀河英雄伝説が時代錯誤かつデタラメで、中高生向けなのは決定論的な何様視点であるところだ
西欧を蔑む感情が底流にあるものの、批判しているのは、そのまま日本に根付く、朝鮮朱子学的な身分差別と、社会主義的な腐敗であるからだ
バブルや高度成長期で勘違いをし、現代の儒教共産中華国チャイナチ漢民族の傲慢さに似た奢りで、西欧を朝鮮朱子学フレームで語ってしまう愚劣さは21世紀に入り沈没寸前の島国日本を
知っているものなら骨身にしみる痛さだろう

この何様視点は個人の向上心や自由競争とは正反対で現代の儒教社会主義の日本で失敗が確定した朝鮮朱子学の徳治政治と差した違いはなく、
戦前に破綻した儒教軍官僚、儒教参謀、儒教政治家を西欧やアメリカ自由主義に当てはめるのは無理がありすぎる

また専門家軽視も強い、戦前の儒教軍官僚を欧米の専門家と同列とする考え方には強い違和感を覚える
昭和の一時期の儒教的論調による専門家批判が空気感ともいえ、儒教科挙ゼネラリスト信仰とも繋がってくる

清廉な独裁者の政治というのは実現したことがないが、これは東洋思想、儒教の考え方そのものだ
アテナイの富裕層によるエリート民主政を拡大解釈しても、現代民主政治の中核である自由思想の根源であるキリスト教は全く無視するわけだ

自由競争、自由主義(自由と正義)といった考えが欠落しているので、儒教パターナリズム日本にとっては親和性が高いが、共産主義の劇的崩壊が確定していなかった
銀河英雄伝説の出版時には儒教で衰退まっしぐらという数十年後の儒教的和の心の日本国の現実を予測できなかったわけだ

0995名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:15:07.00ID:3M4lmuIs0
清廉さを根拠なく強調する政治思想たる儒教や独裁者は縁故資本主義の温床となった。事実や歴史を見れば清廉さを強調する連中は
汚職を合法的にやっているだけだ。法的に抜け穴を作っているため違法にはならないが、やっている汚職は他の国と変わらないどころか、
不正を認める自浄作用が欠落しているため国家全体が壮大なネズミ講と化す

https://ja.wikipedia.org/wiki/縁故資本主義
縁故資本主義(えんこしほんしゅぎ、英: crony capitalism)とは政府官僚や企業役員との
密接な関係がビジネスの継続、成功に決定的な要因となっている「資本主義経済」を指す
軽蔑的な用語である。法的許認可、政府認可、優遇税制措置、公共事業発注先の選定に
不公平さが見られるときにこう呼ばれる。

中高生向けライトノベルの銀河英雄伝説の西欧の無知・無理解からくるマルクス唯物論史観(及び共産主義独裁制と相性の良い儒教)から
卒業したいのであれば、徳のある独裁者、徳政など存在せず、インディアン古老風の土人による老人崇拝という中世土人の儒教から離脱して
誰もが自由であるべきで、より多くの自由を得ることが目的という観点から西欧世界を理解する必要がある

0996名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:15:45.03ID:3M4lmuIs0
>>995

なぜ派手な賄賂のほうが危険性が少ないのかというと、それだけ大量の賄賂が出るということは賄賂を出さないと仕事が入らないリスクがあるということだ
つまり政府と私企業が一体でないという証拠であるとも言える

腐敗が究極的に侵食すると、私企業のオーナーが、政府の官僚や政治家、裁判官とみな繋がっている強固な縁故を形成し、賄賂の必要性さえなくなる

また銀河英雄伝説で信奉されているという多神教北欧神話はナチスドイツが政治利用し、甚大な被害を周辺国にもたらし最後は自国を壊滅させた

そもそも征服戦争屋というのは国民に多大な負担をもとめ際限がなく善政からはほど遠い
ナチスドイツは平時経済でさえジリ貧となる破綻経済で国民を貧困ラインに固定化したことは広く知られており、
戦争による略奪を前提とした醜悪な政治システムを具現させた古代の闇を近代に復活させた時代錯誤な妄想に過ぎない
古代の価値観が良かった等と臆面も無く言っている連中は情報処理能力が弱いため、相手にするだけ時間の無駄だ

0997名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:16:07.19ID:3M4lmuIs0
ナチスは社会主義経済のため、貧困線の家計を助けるのは共産主義と同じだ
しかし公共事業を継続するための資材輸入によって外貨が減らし、戦争をして周辺国の略奪(および借金帳消し)をするという発想に陥り滅びた

0998名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:16:23.20ID:3M4lmuIs0
6世紀、ペルシャ帝国は、東ローマ帝国と雌雄を決すような余裕のある状態ではなく、北方の蛮族に備え文明国どうしで協調すべき情勢だった

ペルシャ王ホスロー1世は、封建諸侯の力を奪い取り中央集権的な官僚制度と巨大な常備軍をもつことで
戦争を有利に運べるようになったが、中央集権を維持するための過剰な軍事費や莫大な公共事業の維持のために財政を圧迫し、帝国が崩壊する原因を作ったともされる
またホスローは全方面で敵を作り続けた。テュルクと比べたら文明らしき痕跡のあるエフタルを滅ぼしたが、テュルクを邪魔するものがいなくなりペルシャのシルクロード利権
に集中できるようになった。テュルクとは後に通行税をめぐって全面衝突することになる

地政学的にテュルクを牽制し緩衝材となりえたエフタルを滅ぼしたことで、東ローマ帝国とテュルクに挟まれたまま、強大化したテュルクと長期戦を戦うことを強いられることになる

ペルシャ帝国はホスロー1世の負の遺産によって全方向で長期消耗戦を繰り広げたことによって徐々に弱体化し、イスラムによる征服を許すことになる

0999名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:16:38.00ID:3M4lmuIs0
ホスロー1世の父カバード1世はマズダク教を利用して王国を再建したが、ホスロー1世は、兄を支持していたマズダク教、兄とその子供達を虐殺した
(マズダク教は、ホスロー1世によって歴史が塗り変えられているため評判は悪い。実像が分からないので推測だがゾロアスター教の自浄作用的な宗派であった可能性がある)

ペルシャ王ホスロー1世は、カバード1世とユスティヌス1世によって、東ローマ帝国の養子となる話が進められていたが、東ローマ帝国側の無礼な裏切りで途中で破断したとされる
当時のペルシャは世界の中心という自負を持ち、東ローマ帝国に適当にあしらわれた恨みはカバード1世だけでなくホスロー1世の晩年にまで影響してきたとする説もある
反ユスティアヌス1世と反東ローマ帝国に執着し、憎しみを次世代に残して終わりのない長期消耗戦にペルシャを追い込んだわけだ

主力のベリサリウス軍がイタリアにいる中東の空白状態を見るや
若年時の怨恨をはらそうとペルシャ王ホスロー1世率いるペルシャ軍は平和条約を破棄して東ローマ帝国に対して侵略を始めた
皆殺しもしくは多額の賠償金の支払いを課すのが、ホスロー1世のやり口であり、和平の申し出があるまで好き放題に略奪を繰り返した
(実際は和平に合意した後も好き放題に略奪したが)

例外はアンティオキアだ。ユスティアヌス1世の東方最大の都市であり東ローマ帝国の顔とでも呼ぶべき都市の建物をことごとく破壊し燃やし、
生き残った全住民を奴隷にして国に持ち帰った、奴隷はユスティアヌス1世をゆするための人質だったが、おり悪くベルサリウスがイタリアから戻ってきて和平は白紙となる
人質として使えなくなったのでホスロー1世はアンティオキアと似た都市(名称は「アンティオキアより優れている」)を首都クテシフォンの近くに作り、ユスティアヌス1世を挑発した

ペルシャ王ホスロー1世は哲人王などと持てはやすものがいるが、調子にのって戦争にのめりこみペルシャを滅ぼす原因を作った亡国の王であると言っていい

清廉なる独裁政治の実体なんてものは普通はこんなものだ

1000名無しさん@1周年2019/03/13(水) 23:16:49.38ID:3M4lmuIs0
トップは米国の4.5万ドル…諸国の可処分所得の現状を探る
https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20161218-00065566/

今回選択した諸国の中では、アメリカ合衆国がトップで4.48万ドル。収入ではなく可処分所得であることに注意。
同国の馬力をうかがえる数字ではある。次いでヨーロッパ方面ではもっとも高い値を示すドイツ、フランス、
再び北米に戻ってカナダ、さらにもう一度ヨーロッパに戻ってスウェーデンと続く。日本はイギリスの次で2.85万ドル。
日本は2014年時点の値なので、為替レートが円安に動いた現状では、もう少し下になるはす。

普通の日本人が知らない「貧困」の深刻な実態
親→子→孫へと連鎖し、高齢者にも広がる
https://toyokeizai.net/articles/-/221708

貧困率は、収入などから税金や社会保障費などを引いた「等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯員数の平方根で割った数値)」
の中央値の半分未満しかない人の割合のこと。等価可処分所得(以下、可処分所得)の中央値は、年間245万円(2015年)。
つまり年間122万円未満の可処分所得しかない世帯を相対的貧困層、その割合を貧困率というわけだ。

2012年2月11日公布の解雇規制緩和時に失業率が25%を超えていたスペインでは、2018年10月時点での失業率は14.6%にまで下がった

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