【日本史】大局が読めない上杉景勝の判断ミスがなければ徳川家康は関ヶ原で負けていた ★2 [ボラえもん★]

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0001ボラえもん ★2021/04/29(木) 21:14:07.47ID:xsqfWN8A9
上杉景勝は軍神・上杉謙信から家督を相続し、会津120万石を与えられた豊臣五大老の一人だ。
だが秀吉の死後は家康の術中にまんまとはまり、上杉家の存続こそ許されたものの、所領は30万石へと大幅に減封されてしまった。
東京大学史学編纂所の本郷和人教授は「失敗の理由はただひとつ、彼が大局を見極められなかったこと」と説明する――。

■会津120万石という大領地を与えられた理由
上杉景勝は関ヶ原のときに、二重の失敗をしでかしています。失敗の理由はただひとつ、彼が大局を見極められなかったこと。

関ヶ原の時点で、彼の領地は会津でした。会津は東北の要の地であり、ここを持つ大名が東北のチャンピオン。
その地を伊達政宗が取った。しかし豊臣秀吉に「もう戦争の時代は終わった。俺の家来になれ。挨拶に来い」と言われ、
いろいろと渋りましたが、結局、家来になる。会津は取り上げられて、「おまえなら任せられる」ということで蒲生氏郷に与えられます。

そこから氏郷は見事に秀吉の期待に応え、怪しい動きを見せる伊達政宗の活動を封じる。
それで92万石まで領地が増やされるも、40歳で亡くなってしまいます。
しかし後継ぎがまだ幼なかったために秀吉は会津を蒲生から取り上げ、その会津にあらためて置かれたのが上杉景勝でした。

上杉は越後から国替えされるのですが、そのかわり、120万石という大きな領地を与えられた。
その配置には「東北地方の抑え」という意図と、恐らく「徳川の背後を牽制する」という意味合いがあったと思います。
ところが国替えののち、すぐに秀吉は亡くなってしまう。それで徳川家康の活動が活発になっていく。

■「大きな戦争」を狙っていた徳川家康
当時の家康がなにを狙っていたかというと「大きな戦争」です。戦争を起こして、どさくさまぎれに豊臣の政権を奪取したい。
これは秀吉が、織田の政権を奪取するときに行った方法と同じです。
明智光秀を始めとして柴田勝家らと、戦争に次ぐ戦争をやる。そのうち、いつの間にか織田家の政権は秀吉のものになっていた。

だから家康も、列島規模で大きな戦いを起こしたかった。それに勝つことで豊臣政権を否定し、徳川政権を作ろうとしたのです。

(中略)

■前田家の次に家康の標的になった上杉家
三成を離脱させたあとの徳川家康はやりたい放題。戦争のためには相手が必要だということで、最初に目をつけたのが前田家でした。

利家の息子、利長の代になっていた前田家に「謀反の動きあり」と難癖をつけたのですが、前田はすぐさま謝ってきた。
自分の母親、もう高齢になっていたお松さんですが、お松さんを人質として江戸に送りますと、文字通り土下座外交を展開しました。

よくよく考えてみれば、それはおかしい。当時はまだ豊臣政権下ですから、本来家康と利長は同僚です。
同僚のところになぜ人質を出すのでしょうか。しかし利長は家康の意図をきちんと理解し、徳川に優る力が自分たちにないと理解していたからこそ、謝った。
そこまでされれば家康も「謀反はなかった」と疑う姿勢を解き、お松さんは江戸に送られます。

では次に誰を狙うか。「大きな戦争」を起こすには、相手も大きくなければなりません。三成のような小物ではダメ。そこで狙われたのが上杉景勝でした。

今度は彼に謀反の疑いがかけられます。もちろん濡れ衣でしょう。
しかしこの流れは前田と同様で、もう誰もが家康が理不尽なことを言っているのはわかっている。
家康も、自分が無茶苦茶なことを言っているとわかっています。わかっていても、狡猾こうかつな家康はそんな自分に誰がついてくるか、こないのかを見定めていたのです。

(以下略、全文はソースにて)
https://president.jp/articles/-/45133?page=1

★1が立った時間:2021/04/29(木) 12:16:14.52
※前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1619666174/

0952ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 18:55:24.61ID:FIgpInvr0
>>919
足利は?

0953ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 18:57:21.82ID:XVFtc9Lx0
>>909
その国替えがケチの始まりだからなw
五大老のくせに年貢持ち去りを蒲生のせいにして居直って堀が恨み募らせて
軍事目的じゃない築城に言いがかりつけられてカッコつけて居直ったら家康怒らせてとかもうねw

まあ、豊臣家としては伊達から会津取り上げたのが結果的に間違いだった感じではある
北条征伐の後処理は全部裏目だもんなあ

0954ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 18:58:49.31ID:1rkOo5hp0
>>948
秀吉は、征夷大将軍になろうと思ったら、なれたんだよ。
関白就任以前に将軍推薦の話があったけど、
秀吉が辞退したという話が『多聞院日記』に書いてある。

関白の方が偉いから、秀吉は関白を選んだんだ。

0955ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 18:59:44.10ID:1rkOo5hp0
>>952 みすみす三河屋を呼び寄せるようなレスだぞ…

0956ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:00:08.80ID:pLHfylWM0
>>951
小牧・長久手で徳川軍の強さを思い知ったから味方にするために厚遇したんじゃん
その結果天下人になれたんだからそこは大成功だわな
石田三成を配下に加えたのが後々の禍根になっただけで

0957ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:01:43.76ID:/qCBZTMm0
>>949
小早川に松尾山(実際は城)取られた時点で関ヶ原で東軍を押し返すのは無理なんだよな
かと言って関ヶ原から撤退して三成の佐和山城を最前線にすると関ヶ原以東に進軍するのはほぼ不可能になるから
東軍来る前に小早川を撃破したかったんだろうけどな
家康本体が大垣出て美濃赤坂辺りにいたらしいから先鋒は小早川からの救援要請受け取って
関ヶ原に急行したんだろうなぁ
小早川が1万程度で松尾山攻撃してた西軍は3倍はいただろうし
何とかなると思ったんだろうなぁ

0958ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:04:37.94ID:pLHfylWM0
>>949
石田三成に武功を握り潰されて恨みがあるはずの小早川がそもそも西軍に付く方が
よっぽどあり得ないと思うんだが

0959ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:04:56.40ID:sv3i7yBlO
光成準二講師の本によると、奥羽は最上、伊達以外は日和見が多く、まず会津若松と飛び地の荘内の間に横たわる最上領を併合し、次に伊達と雌雄を決するつもりだった、とある。
さすれば、上杉は奥羽越佐の覇者となり、南部や堀も頭を丸めて降伏するはずだと

0960ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:07:21.42ID:gWNMrDo+0
>>950
でも戦後2年は生きてるからな。
ここまで歪められたのは早死にしたからというよりは子孫がいないからだろうな。

ただ西軍として伏見城を攻めてしまってるからなあ。
どうしても裏切り者の汚名はかぶせられてしまうのは仕方がない。
ただ、もともと東軍につきたかったようだから決戦前に裏切るのも仕方がない。
むしろ最後まで西軍に付き合った島津は少しイカレてる。

0961ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:07:45.15ID:/qCBZTMm0
そもそも総大将の毛利輝元はなぜ関ヶ原にいないって話なんだけどね
三成なんて精々5000程度の兵しか持ってないし格的にも他の大名に命令出せる立場じゃない
輝元なら五大老で秀頼も取り込んでるんだから指揮系統は一本化できただろうに
輝元が無能とかそういうのは別として

0962ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:07:48.14ID:+BctUG+gO
>>954
武家がお公家気取りで関白になったのが間違いだな
武家を統率するには、征夷大将軍が一番都合よかった
五摂家にしても、関白職を豊臣に獲られて困っただろ

0963ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:08:59.42ID:gWNMrDo+0
>>958
越前への改易はその前から決まってたから
三成の報告とは無関係だよ。

0964ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:11:22.18ID:1rkOo5hp0
>>962
武家と公家の両方に君臨するには、
関白が一番よかった。

もちろん、摂家の人々は困るところだが、
もともと摂家同士の内紛がそういう事態を招いたから、
自業自得ではある。

0965ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:13:11.99ID:gWNMrDo+0
>>957
西軍はそこまで佐和山に拘ってないでしょ。
そもそも三成が総大将で指揮をしていたのも今では否定的なんだから。
小早川と1戦やったあとに、休むことなく東軍主力と1大決戦とかいう
非常に不利な作戦を立てるとは思えないけどな。

ま、それ以前に、西軍が東軍主力の動きを完全に放置して
ただただ、小早川を攻めてるのがおかしいとの指摘なんで。

0966ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:13:39.76ID:/qCBZTMm0
まぁ結果論としては佐和山城まで後退して大津城落とした兵力と合流して
大谷は敦賀に戻って東軍の西進に備えるべきだったよなぁ
そうなるとさすがに輝元も重い腰上げて後詰に動いたと思うけど
あと立花宗茂がどれくらいやれるのか見て見たい
宗茂は過大評価だと個人的には思うけどね

>>962
秀吉は征夷大将軍になろうとしたが(別に源氏以外でもなれる)
小牧長久手の局地戦で家康に撃破されたことで東夷を征伐する征夷大将軍にはふさわしくない
と判断されたみたいな話があるね

0967ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:13:44.19ID:x72Jxd1X0
>>904
ふむ、ごもっともだ。
そもそも関ケ原があんな短期で決着つくとは黒田如水ですら思っていないからね。

0968ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:14:04.81ID:+1FAghUi0
>>959
関ヶ原当時の伊達軍が25,000〜30,000
最上軍が5,000〜7,000の兵力らしいから
上杉は南下は最初から無理だろ

0969ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:14:27.28ID:i0SR6K3F0
家康だって大局が読めなかったよな(

・世襲の時代が終わること。
・武士の時代が終わること。

250年後に自分の子孫が潰されちゃうんだから。

0970ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:15:31.21ID:gWNMrDo+0
>>961
西軍の軍略に、関ヶ原での野戦という選択肢はもともと無かったということ。
尾張に防衛線をはって持久戦だったのだから総大将は大坂城にでんと構えてるのが普通じゃね。

0971ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:17:16.55ID:gWNMrDo+0
>>967
なんで関ヶ原のどさくさにまぎれて南部に火事場泥棒しかけて負けてるような伊達が
上杉と同じくらいの動員力があるんだよ。

0972ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:17:50.81ID:+BctUG+gO
>>969
250年後のこと読める人間なんて、まず居ない

0973ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:18:30.14ID:/qCBZTMm0
>>965
畿内に東軍入れるのはマズいって判断が西軍にはあったんだろう
だから関ヶ原で食い止めるには小早川を松尾山から追い出さないと作戦自体が成立しない
結論ありきの自分の都合で戦やった挙句の大敗だろうな
旧日本軍も自分の都合と天祐頼みで作戦立てて大敗なんて別に珍しくないしな
俺らが結果わかった上で家康や福島、黒田、細川なんかの位置を正確に把握した上で
「横槍入れられて馬鹿じゃね?」なんて言うのは簡単だけどね

0974ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:19:03.31ID:x72Jxd1X0
>>943
それはあれかw
小泉進次郎のパロか?w

0975ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:19:20.27ID:yN1+n8Sa0
>>952
当然、三河の王だろ



源頼朝  三河→鎌倉
寛伝   三河→日光
足利義兼 三河→足利


三河の源頼朝は、三河にあった自身の母方の菩提寺の僧を日光に送り込んだ


■日光山
源頼朝がその母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた


源頼朝
・藤原実範(三河守→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前→源頼朝


寛伝(母方従兄弟、三河国滝山寺僧)
・藤原実範(三河守→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝

足利義兼(初代源姓足利氏)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司→女(実父は季範長男の範忠→足利義兼

0976ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:20:22.03ID:yN1+n8Sa0
>>952
足利は、三河→足利→三河



◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇

【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷

【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城

【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城

【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官

【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆

【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)

【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆

0977ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:22:03.03ID:/qCBZTMm0
>>970
いや当初の計画では岐阜城を堅持して濃尾平野で後詰決戦する流れなんだから
どっちにしろ総大将が戦場に居ないのはマズいw
無線機で命令できる時代じゃないんだからw
そもそも10万近い諸大名の寄せ集め兵力で五大老レベルの総大将が戦場に居なければ
これだけの大兵力を統制できる訳もない

0978ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:22:54.43ID:x72Jxd1X0
>>939
正直呉座勇一のいう事はかなり怪しい上に雑、
だからと言って井沢元彦が正しいと言っているわけでもないけどね。

0979ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:26:13.56ID:gWNMrDo+0
>>973
因果関係が全く逆じゃん。

東軍がくるから当初の計画をかえて関ヶ原で防衛戦をやるという判断なのに
なんで1日以内で到達できるような凄く近くの距離にいる東軍の動きをほったらかしにして
別の部隊(小早川)に対して現地の西軍全軍あげて戦争ごっこやってるんだよ。

それに既に大津で戦争してるんだから今更畿内に入られたところで戦局にはなんの影響もない。
ま、そこらへんの価値観は当時の人にしかわからんからあれだが。

少なくともすぐ真横にいる東軍主力の動きを完全放置して、東軍に対してなんの備えもなく
全軍をあげて小早川を攻めてるとかあり得ないだろ。素人の集まりじゃないし。

0980ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:26:40.45ID:aQBBWXWB0
>>952
足利は三河の守護で分家が三河に吉良、今川など、尾張に斯波などがいた

0981ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:26:40.74ID:Wj3qfpXc0
>>973
毛利吉川が動かないのも時系列と配置で読みとけば当たり前といえば当たり前。
元々、大垣城に入れてもらえないから南宮山に何日も滞陣できる陣地を構築したわけで。

何が悲しくて街道に降りて無防備に東軍の突撃くらわないといけないのか。

0982ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:26:59.99ID:1WmoF3JT0
秀頼が出陣してたら勝てたはず

0983ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:29:05.37ID:/qCBZTMm0
>>978
元々東軍の論功行賞の結果が豊臣恩顧に偏ってるのが違和感ありありだから
新説ベースだと腑に落ちるんだよなぁ

0984ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:29:36.20ID:QtQlIqQS0
>>961
秀吉に高松城水攻めされて兄弟切腹させられてるから恩義なんかこれっぽっちもないだろ
よっぽど石田三成に「戦わなくて結構です。土地いっぱーいあげます」とでも言われたんじゃね

>>974
今の受験とか歴史教科書だと毛利輝元になってる
子供の教科書見ると俺たちのころと変わってる変わってる(笑)

0985ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:30:55.57ID:gWNMrDo+0
>>977
西軍が岐阜城で籠城戦を考えていた時は
毛利は大坂にいたけど、同時に家康も江戸にいたんだよ。
西軍も東軍もどちらも濃尾平野で運命をかけた1大決戦はまだ想定していなかったはず。

0986ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:31:16.48ID:/qCBZTMm0
>>979
君は通説の関ヶ原と新説をごちゃまぜにして
都合の良い部分だけ抜き取ってるから時系列がおかしくなってんだよw

0987ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:31:54.31ID:yN1+n8Sa0
>>980
斯波は三河だが



大崎氏・最上氏の祖

http://www.inn-suzuki.com/info.html
>中新田城
>斯波家兼が奥州探題に任ぜられ、三河の国からこの地方に赴任


足利家兼(斯波家兼)
父:足利宗氏
母:長井時秀(大江広元の曾孫、室は安達義景の娘(安達泰盛の姉妹)の娘)


空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」

「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした


永源寺

中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。

0988ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:32:19.65ID:/qCBZTMm0
>>981
お前は戦の基本も分かってない馬鹿なんだから発言権すらないよw

0989ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:33:07.66ID:1rkOo5hp0
>>980
足利氏と三河国の縁は鎌倉時代からだが、
斯波氏が尾張を拠点にしたのは、室町時代からなので、
ちと性格が違う。(鎌倉時代から尾張守ではあったらしいが)

0990ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:33:35.55ID:yN1+n8Sa0
>>980
足利尊氏も三河生まれだつーの


■上杉氏

太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か


足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷


■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)

鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。

0991ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:33:48.51ID:1rkOo5hp0
>>987 わかった、わかった。(´・ω・`)

0992ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:35:44.98ID:gWNMrDo+0
>>988
俺の意見じゃないけどな。
「そういう指摘があります」と言ってるだけで。

で、どうして
東軍主力が近くにいるのを知ってて城を出てるのに
あっさり横槍なんか入れられたの?

0993ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:37:54.07ID:x72Jxd1X0
>>983
ごもっともだし否定はしない。
でも一般的に言われる(歴史家が何を言おうが覆らない)家康像から考えると、むしろ豊臣恩顧に偏るの方が正しい。
あの時点ではまだ秀頼が健在だからね。下世話な言い方をするなら、
「加増してくれた者に仕えるのが武士」

0994ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:39:03.39ID:YSmnvYbc0
>>956
局地戦で負けて再度侵攻しようと思ったら地震でボロボロ
秀吉はどうにかして家康を潰す気だったし
家康も天下取ろうと野心むき出しだったろうに読めなかったのか?

0995ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:39:54.48ID:Wj3qfpXc0
>>988
レス番間違えてないか?
>>939の話の補強なんだけどな。

撤退路の小早川をどうにかしたい西軍。追撃してくる東軍。

定説で何で毛利吉川が動かなかったか、というところで毛利が山を降りるメリットがないということ。
西軍のために殿軍やるひつようがなく、陣地構築した南宮山から動かないのがベスト。

0996ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:40:30.44ID:ECbgQKbeO
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0997ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:40:46.33ID:ECbgQKbeO
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0998ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:41:28.86ID:yp5AGZjw0
日本の歴史を見てると、日本人は公おおやけよりも私わたくしを重んじる傾向にあり、
今のような世の中も然もありなんといったところだ
むしろ、私わたくし重視の価値観で、よく下々を騙して、日露までは持ってこれたなと
ネットの時代では、騙すことが難しいので、これからは日本は逆風だわな
下々を騙すことでやってきた歴史だもん

0999ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:43:30.11ID:+7y42KZi0
>>995
小早川を叩くならその間邪魔されないように南宮山から出て敵の援軍の進撃路をカットするのは合理的な戦術に見えるけど?

1000ニューノーマルの名無しさん2021/04/30(金) 19:45:15.68ID:/2hHXxfcO
ヒデェヨシ!

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