菅直人キチガイ伝説

■諫早湾の干拓工事を批判して「誰の許可でやってるんだ!」 →自分が厚生大臣のときの閣議で許可


22年12月、福岡高裁は5年間の常時開門を命じる判決を出し、菅直人首相(当時)は独断で上告せず判決を確定させた。

 長崎県民の多くは、潮受け堤防ができるまでの歴史的経緯を知っている。平成22年の菅氏の「上告断念」に地元選出の民主党議員は当然のように猛反発した。

 農水相を退任したばかりだった山田正彦衆院議員(衆院長崎3区、当時)は「当然上告すべきだった。首相は地元に出向いて説明すべきだ」と吐き捨てた。福田衣里子衆院議員(長崎2区、同)も「地元は不安でいっぱいだ」と訴えた。

 もっとも怒ったのは西岡武夫氏だった。高裁判決の上告期限だった平成22年12月21日、住民団体「諫早湾防災干拓事業推進連絡本部」本部長を務める諫早商工会議所の栗林英雄前会頭にこんな電話をかけた。

 「私も菅氏に諫早の歴史を説明して上告を求めたがダメだった。開門を強行するならば、私は排水門の扉にへばりついても反対する。地元も反対運動を今後も続けてほしい!」

 21年の衆院選で民主党が独占した長崎県の4選挙区は、昨年12月の衆院選ですべて自民党に議席を奪われた。菅氏の浅はかな人気取り策は、皮肉にも民主党凋落の遠因となった。