私は、名古屋に来てすでに10年近くになりますが、名古屋人は好きになれません。
しかし、名古屋人は気が小さく、生真面目な面も持っています。
つまり何でも内向きなので、物事を大きくは見ることができません。
私は、名古屋人と愛知県人の違いが良く分かりません、ほとんど同じにしか見えません。
愛知県の名古屋以外の周辺都市が、名古屋に好感を持てないのは、
恐らく名古屋人が周辺都市に対して持つ稚拙な優越感を露骨に示すからでしょう。
それは名古屋市内でも同じです。
外のものから見れば、目くそ鼻くそを笑う世界にしか見えません。総じて人間性が低級です。

名古屋は、産業形態が他の都市と異なるのです。通常の政令指定都市とはま全く違います。
愛知県の産業形態も、殆ど同じでしょう。
何れも他の地区を知らないのです。
また他の地区の名古屋や愛知県を知りません。この地区の多くの人が他の地区との接点を持たないからです。
工業製品は、製品だけを出荷すればよいのです。人的パワーは工場内で、あるいは県内でのみ発揮され、外には向きません。

それと、ケチが徹底していて、それが地域としての通常の発展や人間性の成長を阻害している面が大きい、と感じています。
つまり近視眼的なセコイ人間ばかりを大量に生んでいるのです。
そして重要なことは、それがこの地区でのみ生きていくという人には重要なことなのです。

ところで、他の地区では、普通大学進学後は親元を離れ、一人で暮らします。
そうなると、友人関係や周辺の人とのかかわり合いが重要で、
そういった意味で大人になっていくのが成長過程で重要なのです。
しかし、進学や就職にしても、自宅から通えるというのが大前提で、親と暮らすのです。
それが結婚後も続くところが、さらに異常です。
普通は、結婚と同時に親とは別に暮らし、一個の独立した家庭、家族を形成します。
その上で、親が年老いた際に必要があれば、同居するものです。つまり親の面倒をみる訳です。
しかし多くの愛知県人は違います。何時までも親に面倒をみてもらい、親子で懸命に貯蓄に励みます。
お金は溜まりますが、人間的成長は著しくスポイルされます。
早く言えば世間知らずなんです。
またその生活は、種々の面で強制されるので、その意味で相当ストレスが溜まっている。
工場勤務者や農業生産者が多く、自由業やビジネスを大きく行う人は少ないのです。
それはあったとしても、地域内の狭い社会だけです。
自由業的やビジネス的な点で、大胆な思考を持つようなセンスは、評価されないどころか、排除されかねません。

こういった点が、人間のスケールを小さいものしてしまっています。

慎ましく真面目に、決められた仕事をこなしている毎日が、全体として大きな収益につながっているのですが、
それゆえ他から何かを言われるとすぐに噛みつきたくなり、受け入れるという度量がなくなっています。

しかもその論旨は際立って幼稚なもので、例えば、名古屋ぎらい、と言われれば、
市長まで躍起になって反論しています。しかしその反論の内容は、指摘されていることには全く関係のない、
お得意な工業出荷高にすり替えて反論するところが如何にも名古屋人なのです。

オリンピック招致に政府がそっぽを向く、などというのは世の中を斜めに見過ぎです。
実際、国内では例を見ないほどの工業出荷高を示していて、トヨタ自動車を筆頭に外貨を稼ぐ意味では稼ぎ頭です。
政府としては、企業も個人も、お金を貯めすぎないで使ってほしいというのは本音でしょうが、
まぁ抗わずそーっとして起きましょう。
黙々と稼ぐトヨタなどは、ちょっと褒めて煽てれば喜んでいますし、波風を立てる必要はありません。
政策的に自動車産業への優遇は際立っていますし、およそトヨタの望むものは無条件で受け入れているのが現状です。

しかし一般的な人たちは異なります。外から見る愛知県人、特に名古屋人は異様で、付き合いにくい人種な訳です。
仰るように、外からの批判や評価を真摯に受け止めるということはできない人たちですので、イライラはしますが、
そおはそれで放っておくしかないのです。
個人的に付き合わなければ、不快な思いはしません。
それにしても、モラルの低さには閉口しますが。