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 「ベストは尽くした。けれども社会に不安を残した悔いは尽きない」。事件発生直後に兵庫県警の現場捜査の担当班長を務めるなどした山下征士さん(78)=同県加古川市=は、今も捜査が適切だったかを考え続けている。

 事件発生当時、支局には小尻、犬飼両記者と高山顕治記者(55)の計3人がいた。「解決できなければ警察の威信が揺らぐ」と腹をくくったが捜査は難航。幕末期に実在した赤報隊の歴史まで研究したが、捜査対象者を絞りきれなかった。

 「警察はいつの時代も想定を超えた事件に対応する力を持たなければならない。それが事件が残した大きな教訓だ」

 犯人の動機面を探る捜査を担った男性(67)=同県宝塚市=は「決め手がなく、暗中模索が続いた」と振り返る。捜査本部は刑事部と警備部で構成されたが、別々の部屋をあてがわれ、十分な情報共有がなされなかった。真偽不明の噂に翻弄され、「『こんな捜査でええんやろか』と悩んだ」という。

 男性は言う。「今の捜査技術があれば赤報隊の正体にたどり着けたかもしれないが、もはや何を言っても言い訳。十字架を背負って生きていくしかない」

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