沖縄が本土に復帰してから15日で45年になります。観光を中心に経済が発展する一方、普天間基地の移設をめぐって政府と沖縄県との対立が深まり、ほかの基地の返還も調整が難航する中、
復帰当時に期待された基地負担の大幅な軽減は実現の見通しがたっていません。

戦後、アメリカの統治下にあった沖縄は、45年前の昭和47年5月15日、本土に復帰しました。

復帰のあと、本土との経済格差を縮めるため振興予算が投じられ、観光を中心に経済が発展した結果、平成26年度の県民総所得は、復帰の年と比べて8倍以上に増えました。
また、経済の規模の拡大に伴って、沖縄の経済の基地への依存は低くなり、沖縄県によりますと、基地に関連する収入が県民総所得に占める割合は5.7%に低下しました。

一方、今も全国のアメリカ軍専用施設のおよそ70%が集中し、アメリカ軍が関係する事件や事故は後を絶たず、重い基地負担が続いています。また、
普天間基地の移設計画で、政府はことし、名護市辺野古沖で海上の埋め立てに向けた工事を本格化させ、計画に反対する沖縄県との対立が深まっています。

このほかの基地や施設の返還についても調整が難航していて、復帰当時、全面撤去、または少なくとも「本土並み」にと期待された基地負担の大幅な軽減は実現の見通しがたっていません。

■沖縄戦とアメリカ統治

昭和20年、太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、沖縄県民の4人に1人が犠牲になりました。
戦後、沖縄は27年にわたってアメリカの統治下に置かれ、車はアメリカと同じ右側通行で、本土に行くためにはパスポートが必要でした。

この間、高度経済成長下で日本が経済発展を続ける一方、沖縄ではインフラの整備や産業振興が遅れ、本土との大きな経済格差がうまれました。
また、アメリカの統治下では住民が土地を強制的に接収され、次々と基地が造られるなど、沖縄への基地の集中が進みました。

アメリカ兵による凶悪な事件や軍用機の墜落事故なども相次ぎ、本土復帰の時には、基地の全面撤去や少なくとも「本土並み」に減らすことを求める強い声が上がっていました。

■経済の基地依存は低下

本土復帰から45年がたち、沖縄の経済は観光を中心に発展する一方、基地に関連する収入への依存が低くなるなど、大きく変化しています。

本土に復帰したあと、沖縄にはアメリカの統治下でうまれた本土との経済格差を縮めるため振興予算が投じられ、道路や港湾といったインフラの整備や産業の振興が進められてきました。
そうした結果、経済の規模が拡大し、県民総所得は平成26年度には4兆2000億円余りと、復帰した昭和47年度のおよそ5000億円と比べて8倍以上に増えました。

特に主力産業の観光の伸びは著しく、昨年度に沖縄を訪れた人はおよそ877万人と4年連続で過去最高を更新し、復帰の年と比べて15倍以上に増え、沖縄県は今後の目標を1000万人から1200万人に上方修正しました。
また、昨年度の有効求人倍率の平均は1.00倍で、本土に復帰したあと初めて1倍に達しました。

一方、経済の規模の拡大に伴い、沖縄の経済の基地への依存は低くなっています。
沖縄県によりますと、アメリカ軍に土地を提供している地権者への軍用地料や、基地で働く日本人従業員の所得など基地に関連する収入が、県民総所得に占める割合は、
復帰の年には15.5%ありましたが、平成26年度には5.7%に低下しています。

本土と比べて高い失業率や低い所得水準など格差は残っているものの、復帰から45年で沖縄の経済は大きく変化しています。


■基地負担の大幅軽減は見通し立たず

本土復帰から45年たっても、沖縄にアメリカ軍の基地が集中する状況が続く一方、ことしは政府が普天間基地の名護市辺野古への移設に向けた工事を本格化させたのに対し、沖縄県が強く反発するなど、基地問題をめぐって対立が深まっています。
沖縄が本土に復帰したあと、アメリカ軍の基地などの一部が返還されましたが、今も全国のアメリカ軍専用施設のおよそ70%が集中していて、重い基地負担が続いています。※続く

配信 5月15日 4時55分

NHK NEWS WEB 全文はソース先をお読み下さい
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170515/k10010981491000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_009