憲法9条2項は「戦力の不保持」を規定していますから、戦力を持っている自衛隊は違憲のはずです。
しかし他方で、憲法13条には「幸福追求権」というものが規定されています。
(憲法13条というのは基本的人権の総元締めみたいな条文で、表現の自由や信教の自由その他の
基本的人権は、憲法13条から派生した権利です。)

憲法とは、国家が国民に対して約束したことを規定した法です(これを立憲主義と言います。)から、
幸福追求権も国家が国民に対して保障した権利、ということになります。

ところが、もし、日本国が他国から侵略されたときに、国家が自衛のための応戦もしないで、
国民が皆殺しにされ、国土が破壊されるのを国家が指をくわえて見ていたら、それは国民の幸福追求権
を国家が保障したとは言えなくなってしまいます。
ですから、憲法9条2項で戦力を持ってはいけないと規定していも、他国から侵略された際に応戦する
こと、つまり個別的自衛権行使のための戦力を持ちこれを行使することは、憲法13条から許される
のです。

要するに、憲法13条との整合性から、憲法9条2項が持ってはいけないと言っている「戦力」には、
「個別的自衛の戦力」は『含まれない』と解釈するのです。
これが、憲法9条があっても自衛隊を合憲とする内閣法制局の憲法解釈です。
ttp://www.chukai.ne.jp/~tottori9jo/etc/syudan.pdf
今まで、政府はこの解釈のもとに自衛隊を合憲とし、国会も防衛費の予算を認めてきました。
(自衛隊が違憲なら、過去の防衛予算は全て無効です。)

ところで、平成26年の集団的自衛権の憲法解釈による容認も、憲法13条を根拠にする自衛隊合憲論
の延長線上にあります。
どういう事かと言うと、個別的自衛の戦力を持つことが、憲法13条から許されるのなら、
集団的自衛権つまり同盟国が侵略される場合でも、それが日本国民の幸福追求権を侵す場合は、
戦力を行使できるはずだ。という考えです。

事実、平成26年7月1日の閣議決定(7頁目18行目)には
ttp://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/anpohosei.pdf
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我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する
武力攻撃が発生し、
これにより我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、
これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、
必要最小限度の実力を行使することは、
従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると
考えるべきであると判断するに至った。
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と書いてあります。(この閣議決定の部分は、新武力行使3要件と言われています。)

しかし、日本から離れた場所にある同盟国への武力行使の結果、日本国民の幸福追求権が根底から覆される
明白な危険が生じる場合というは、現実には考えられないと言って良いでしょう。
首相はホルムズ海峡に機雷が敷設された場合、日本国民の幸福追求権が根底から覆されると国会で答弁し、
失笑を買いました。
このように現実にはあり得ないケースを想定しているので、集団的自衛権が実際に行使される可能性は限りなく
低く、そのため、公明党も内閣法制局も最終的に集団的自衛権の憲法解釈を容認したのです。

そこで、安倍首相は、今度は憲法9条3項に自衛隊を明記すると言い出しました。
今までは、憲法13条を根拠に自衛隊は合憲で、しかも、集団的自衛権も認められました。
しかし、今度は13条は関係なく、憲法9条だけで自衛隊が合憲となるのです。もちろん集団的自衛権も
そのまま認めるのでしょう。
何が違うかと言えば、憲法13条は関係なくなりますから、憲法13条の「縛り」が無くなるのです。
つまり、日本国民の幸福追求権が根底から覆される明白な危険が無くても、集団的自衛権が行使できるのです。

今回の憲法9条3項論には、このような意図が隠されているのです。