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90年代を代表するゲーム「ぷよぷよ」をつくった伝説のゲームクリエーター
仁井谷正充さん(67)の半生は、平家物語のような栄華と没落のストーリーです。

ぷよぷよの爆発的ヒットで、40歳そこそこで売上高70億円のゲーム会社社長となった
仁井谷さんはいま、千葉・新松戸のアパートでこたつにくるまりながら、再起を期し
新たなゲーム作りに没頭しています。

「ただ春の夜の夢のごとし……」。会社の消滅は、まるでぷよぷよの「連鎖」のごとく、あっという間でした。

■ディズニーに対抗する「ぷよぷよランド」つくりたかった

「企画書の絵を描くのに1千万円ぐらいつかっている」

2DKのアパートの一室。こたつに入って話を聞いていると、おもむろに立ち上がった
仁井谷さんが資料ファイルから書類を持ち出してきました。A4で24枚、表紙には
「コンパイル・パーク開発計画」の文字。

ぷよぷよのキャラクターがドーム状の屋根を形作った建物が描かれています。
会社を、そして自身の人生を暗転させた「ぷよぷよランド」計画です。

歯車を狂わせたのは、社長だったゲーム制作会社「コンパイル」を総合エンタメ産業に
進出させるという大きな夢への着手でした。

「モデルはディズニー。アニメがあってディズニーランドがあり、そこに人々が集うように、
ゲームがあってぷよぷよランドがあり、そこに人が集まる。そんな壮大な夢だった」

地上10階建て。ジェットコースターや空中ブランコ、ゴーランド。巨大プールにフードコート、
カラオケボックス、物産館、ホテル客室……。

ありとあらゆるアミューズメントを詰め込んだテーマパークが、ぷよぷよランド構想でした。
建設予定地は幕張メッセがある海浜幕張駅。千葉マリンスタジアムに隣接する敷地で
「計画は行政側とは話はついていた。建設する手前まで進んでいた」そうです。

■経営拡大が裏目、資金ショートし破産

ぷよぷよランド構想に向け、仁井谷さんは会社経営を拡大しつづけます。100人足らずだった
従業員は408人に急増員。新作に巨額の宣伝費も投入しますが、ぷよぷよ以降、思うような
ヒット作が生まれません。

「そうこうしているうちに運転資金がショートした。簡単に言えば給料が払えなくなった」。

98年、地裁に和議申し立て。倒産です。負債総額75億円。
ゲーム会社の倒産としては当時桁違いでした。

倒産とともに仁井谷さんも自己破産。会社は再建を目指したもののかなわず。
ぷよぷよの知的財産権は売却しました。