>>94
議論からは外れているが、その内容は本質的だったりする

AI信者のやろうとしているのは、人間の一般的傾向をつかむという話に過ぎない
それを先回りして学習すれば、効率的だと言っているに過ぎない
つまりいちいち車輪の発明をする必要がないので、効率が良くなるわけだ

だが、面白いことに彼らは自らの創造性を殺しに行っている
これ自体が非常に奇妙かつ人間的でもあるのだが、
いろいろなエラーがあることに気がついていないようだ
たとえば、

>>87
> オッサン

なぜ、俺がオッサンなのだろうか?
オバちゃんじゃないのか?
爺さんじゃないのか?
彼の弟かもしれない
言葉を使えるので、新生児ではなさそうだ
だが、成人かどうかはわからない

これが本来の論理的な判断のはずだ
ところが彼は「オッサン」と書いた
これは非常にまずいことのようにも見える
ところが人間の場合、これはとても良いことである
あたかも相手を知っているかのように振る舞うのは、
それが共感を求めるための行為であっても、
ハッタリであっても、
そのまま言葉や会話として通じてしまうのである
その思いっきりバイアスの掛かった主観こそが人間であり、
その人間が人間を相手にするがゆえに、そこに「価値」が生まれてしまう
そしてその価値を単位時間内にどれだけ生み出すかが「生産性」である。

それ故、AI囲碁は技術的には価値があっても、
競技的には価値がほとんどないのである