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wikiより

一般相対性理論と関わる分野で理論的研究を前進させ、1963年にブラックホールの特異点定理を発表し世界的に名を知られた。
1971年には「宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生する」とする理論を提唱、
1974年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論(ホーキング放射)を発表、量子宇宙論という分野を形作ることになった。現代宇宙論に多大な影響を与えている人物。

また、一般人向けに現代の理論的宇宙論を平易に解説するサイエンス・ライターの才能も持ち合わせており、
その著作群が各国で翻訳されており、これでも人々によく知られている(日本語版は『ホーキング、宇宙を語る』など)。

「車椅子の物理学者」としても知られる。60年代、学生のころに筋萎縮性側索硬化症を発症したとされている。
通常、発症から5年程度で死に至る病気の患者でありながら途中で進行が急に弱まり、発症から50年以上たっても健在でいる。
現在は意思伝達のために重度障害者用意思伝達装置を使っており、スピーチや会話ではコンピュータプログラムによる合成音声を利用している。

業績

一般相対性理論が破綻する特異点の存在を証明した特異点定理をロジャー・ペンローズと共に発表した。
一般相対性理論と量子力学を結びつけた量子重力論を提示している。
この帰結として、量子効果によってブラックホールから粒子が逃げ出すというホーキング放射の存在を予想している。
タイムトラベルが不可能であるとする「時間順序保護仮説」を提唱し、過去に行くことを許容する閉じた時間線が存在するためには
場のエネルギーが無限大でなくてはならないとしている。

主な受賞歴

アダムズ賞(1967年)
ピウス11世メダル(1975年)[12]
エディントン・メダル(1975年)
ハイネマン賞数理物理学部門(1976年)
ヒューズ・メダル(1976年)
アルベルト・アインシュタイン・メダル(1979年)
フランクリン・メダル(1981年)
王立天文学会ゴールドメダル(1985年)
ポール・ディラック賞(1987年)
ウルフ賞物理学部門(1988年)
アストゥリアス皇太子賞平和部門(1989年)
オスカル・クラインメダル(2003年)
コプリ・メダル(2006年)
ブレイクスルー財団基礎物理学賞(2012年)

大英帝国勲章(CBE)受勲、FRS(王立協会フェロー)、FRA(ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツフェロー)