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 江戸時代、標高約1400メートルの戸隠山顕光寺奥院(現戸隠神社奥社)に2年間こもって行事の進行などを担った「燈明役(とうみょうやく)」の日記が、地元戸隠地区で見つかった。同様の日記はこれまでも数点が見つかっているが、今回は行事で出した精進料理の詳細が分かるのが特徴。山中にいながら工夫を凝らした料理でもてなした様子がうかがえる。

 日記は「奥院燈明年中行事燈明番」。中院(現戸隠神社中社)の坊の一つ、覚照院の僧、栄照が記した。1824(文政7)年8月まで1年間の務めの様子が分かる。

 縦25センチ、横16センチのつづりで、覚照院の系統の戸隠神社権禰宜(ごんねぎ)、大杉明彦さん(59)が3年ほど前に自宅の土蔵で見つけ、解読作業を続けていた。

 燈明役は、補佐役の「山籠(さんろう)」らと、神仏習合の修験霊場として栄えた同寺の奥院に滞在。本殿に灯をともし朝晩に経を上げるほか、仏具を磨くなどの掃除、除雪、供物の用意などを行う。任期は8月17日から2年間に及ぶ。

 奥院に入る場面から始まる今回の日記には、日付ごとの料理が記録されている。例えば、11月1日の献立は揚(あげ)豆腐、茄子(なす)、人参(にんじん)、干瓢(かんぴょう)など7品目が挙がる。5月12日から18日にかけて開いた重要な法要「大懺法(だいせんぽう)」の際には、普段の料理に加え、酒なども出していたことが分かる。

 淡々とした表現だが、大懺法の最終日の記述には「やれやれうれしうれし心安や心安や」と本音が垣間見える。大杉さんは「よほどほっとしたのではないか。いかに気苦労の多い激務だったかが分かる」とする。

 戸隠神社責任役員で長野高専名誉教授の二沢久昭さん(82)も幕末期の燈明役の日記を持っており、「他にもあると思っていた。重要な役目である燈明役の様子が今後詳しく分かってくるのでは」と期待。大杉さんは「人によって日記の内容が違う。今後比較することで、さらに面白い側面が浮かび上がるのでは」と話している。

2017/07/17 10:27

燈明役に就いた僧侶の日記を解読した大杉さん(右)と、戸隠神社の歴史に詳しい二沢さん
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