【日豪】「カウラ事件」で慰霊式 日本兵集団脱走から73年 [無断転載禁止]©2ch.net
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【8月5日 時事通信社】オーストラリア南東部にあったカウラ捕虜収容所で第2次大戦中に起きた日本兵の「カウラ集団脱走事件」から、5日で73年を迎えた。収容所跡地や日本人墓地で日豪双方の戦没者を悼む慰霊式が行われた。
南半球で真冬に当たる1944年8月5日午前2時、事件は起きた。1104人に上る日本人捕虜が、粗末なフォークや野球のバットを手に蜂起。機銃掃射を浴び、自害を含め日本人230人以上が死亡し、豪州側の警備兵4人も亡くなった。「降伏より死を」と覚悟を示すための決起で、脱走を果たした者はいなかった。「史上最大の収容所脱走事件」とされる。
カウラ市は戦後、収容所を史跡として公開。「事件もカウラの歴史の一部」(同市幹部)と捉え、日本人墓地や日本庭園、5キロに及ぶ桜並木を整備し、市民が大切に管理してきた。日本は豪本土を攻撃した唯一の敵国だが、カウラの未来志向の取り組みは、日豪が親密な友好国になる交流の原点になった。
慰霊式に出席した草賀純男駐豪大使は「事件を機に交流が連綿と続いてきたのはすばらしいこと。カウラ市民に感謝したい」と語った。(c)時事通信社
2017/08/05 10:09(オーストラリア)
タスマニアアボリジニは全滅させられたし
プレジャーで人間狩りをやってたからな 機関銃二丁で1万発撃って12羽しか駆除できなかったオーストコリア軍にまけた 野蛮な白人を絶滅させれば平和になる。
在日韓国人バカチョンは役立たずだから死ね。 誇れる歴史がないからまともな知能があったら左翼にならざるを得ないのがオーストラリア
特アにそういう倫理的圧力くらってどんどん侵食されてる模様 フォークやバットで武装した日本兵に遠慮しないオーストコリア 日本は豪本土を攻撃してはいなかったと思うが
戦後日本兵を豪本土に送る際、飛行機から次々に突き落として
殺した件はどうなっているんだ >>11
鯨を守るために止むを得ない殺処分だったんだよ 変なプロパガンダ映画が作られて、日本兵がアボリジニを上陸して虐殺したことになってる映画が作られている
どこから資本が出てどういうネットワークで造られた映画なのかは突き止めなければならない >>6
死ね 糞ジャップ 死ね
zdfadfadfa >>11
ポートダーウィン空襲とシドニー湾甲標的襲撃作戦があったぞ >>16
何もおかしいことは言っていないのに?
何故、「ジャップ」や「死ね」と言われなくてはならない?
このスレは保存しておく 終戦直後の豪州の反日は強いものがあったが今はすっかり友好国だね 捕虜の生活は、トマトやブドウの栽培、薪の為の伐採といった、農業を行っていた。
また警備は緩く、オーストラリア軍は負傷者・栄養失調者などを含む捕虜に、手厚い看護・介護を施した。
日本人は文化的スポーツであった野球、相撲、麻雀などのリクリエーション活動が自由に許され、
野球のバックネットを運動場に建てる写真が残されている[3]。
当時の警備兵は、「日本人は何を考えているのか分からなかった。野球、相撲などのレクリエーションの自由もあったし、日本人は魚を食べるので、
(オーストラリア人とは別に、特別に)魚を食事で支給されていた。脱走時の夜は田舎の満月で、とても明るく、人の影がよく見えた上に、
わざわざ明るくなるように建物に放火をしたので、付近の様子が昼のように目視できた」と証言している。また、付近住民は「脱走兵の2、3人が家の前にきて立っていた。
母が『もうすぐお菓子が焼けるから食べて行きなさい』と迎え入れ、振る舞った」と述べている[3]。
じゃっぷまじゴミやんけ ドラマでやってたな。
たしか阿部サダオが典型的な軍人像で脱走を命令してどーたらこーたら、だったな。 >>23
収容所の人数が増えたので兵を別の収容所へ移送する話を日本側に伝える
→我ら皇軍は将官から一兵卒に至るまで一心同体だから離れ離れになるのはイカン
→多数決の結果、「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓に則って一か八かの脱走じゃ!
「収容所の待遇悪くないし脱走なんかしなくてもええやん」みたいな意見を持つ者もいたが
「とても言い出せる空気じゃなかった」との証言がある >>22
終戦までお気楽に暮らせたのに蜂起しちゃったのね
血気盛んなバカ上官がいると無駄死にが増える典型だな >>25
その時代から、今の日本はまったく変わってないと思うわ。
先の戦争を反省、ていうわりにはさw
様々な戦史学者がまとめた失敗の本質を読んだけど、唖然とするくらいくだらない理由で負けてるんだよな。しかも本質は未だにかわってない。 >>27
いつの時代もクソ上司しかいないとか悲惨すぎるわ >>25-26
これは他の日本軍捕虜にも言えた話だが、自分が捕虜になったことが日本にバレると家族が村八分にされて「非国民」のレッテルを貼られるので
氏名や所属を申告するときも殆どの日本兵は偽名を使ってた
この脱走も「家族が非国民扱いされるなら最期にひと暴れして華々しく散ろう」みたいな考えがあったと言われてる 今の感覚じゃわからんよな
北朝鮮相手にビビッてるような平和国家だもんな
当時は欧米列強連合とバトルしてた根性あったもんな
今じゃ想像もできない
それにしてもいろいろと詳しいレスがあるな
いつも思うけど、なんでそんなに詳しいのよ >>29
それはあるだろうけど、なんだかねぇ。
サヨだとかなんとか言われるかも知れんが、俺はとてもじゃないけど戦前の日本を美化する気にもなれんよ。 >>27
・海兵や陸士のハンモックナンバーが退役するまで昇進や進級に付き纏う→適材適所がうまく出来ない
・資源や人材不足を「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」の精神論で解決しようとする
・作戦の失敗や敗因をろくに研究せず「次は頑張ろう」で済ませる
・研究しても的外れな対応しかできない
・部下を死地に追いやっても特に責任も取らず戦後も大企業や政治家、自衛隊で甘い汁を吸って余生をエンジョイ
・行き過ぎた階級差別(下士官兵が具材がよく分からない雑炊を食ってる横で士官は酒を飲みながら刺し身や肉料理にありつく)→海軍では下士官兵と士官の間に大きな溝が出来ていたという話もある
・新しい物を「そんなものに頼るな!」と言って取り入れない(例:電探、自動小銃など)
他にも色々あるけどこんなところか >>30
モラハラパワハラ当たり前で官僚が勝手なことやってて事なかれ主義で糞な上司に何も言えない…
まさに今の感覚と一緒だろw >>31
自分も旧海軍の軍艦や航空機が好きで色々調べたりプラモや食玩を集めたりするが
あの時代で海軍に入って戦いたいか?と聞かれたら迷わず「嫌だ」と言うわw >>32
失敗の本質には実名出てるけど、調べたら余生を悠々自適にすごしてる人多かったんだよな。
山本五十六も評価わかれるだろうけど、あれ読んだら典型的な糞上司だなw >>35
富永恭次陸軍中将
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。
菅原道大陸軍中将
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。
敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。
倉澤清忠陸軍少佐
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日
「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。
戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。
玉井浅一海軍大佐
フィリピンで特攻隊員を次々と送り出す。
機体不良で戻ってきた特攻隊員たちが本土へ戻る事になると
「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろし、自分が乗り込んで本土へ帰っていった。
戦後は僧侶になり、天寿を全うした。
黒島亀人海軍大佐
残酷な人間魚雷「回天」を立案。「必ず脱出装置を付けます」と嘘をついて認可を得た。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。宇垣纒の戦争体験手記を遺族から借り出し、自身に都合の悪い部分を破棄した。天寿を全うする。
太田正一海軍大尉
米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。
「自分が乗るから開発させてくれ」と上層部に懇願して開発させたが、自身は「適性なし」として搭乗しなかった。
敗戦直後に逃亡し、名前と戸籍を変えて暮らす。天寿を全うした。 >>32
報国しても見なかったことにしよう、転属するからあとは知らん、誰が指揮とるのか誰も知らない…今の日本じゃんw
山本五十六も「俺の考えを察して動け!」だったらしく、山本を目の前にして「長官はこう思ってるんじゃないか?」「いやこーだろ」と部下らが延々会議してるのを黙って聞いてただけなんだってな。
これが真珠湾やミッドウェーに繋がったと。 >>35
五十六は人誑しの才能もあったようだから
軍人じゃなくて政治家とか今で言うサービス業とかそういう方面向きな人間なんだろうなと思う
>>36
牟田口「はー終戦とかマジつれーわー(チラッ)。部下への謝罪も込めて自決すっかなー(チラチラッ)」
副官「誰も止めませんからさっさと腹切って氏ね」
牟田口「(´・ω・`)」 >>36
マジで糞すぎる。
辻正信は国会議員だっけな。
こんな奴等が戦後築いたんだな。
個人も糞だが組織として今の今まで糞ぷりは変わってねーわ。 いや連合軍も相当下手踏んでるんだよ
圧倒的な物量で押し切ったけど
理想的に戦争進めるなんて容易なことではない
朝鮮戦争然りベトナム戦争然り >>39
辻も牟田口も前線に出張ってた頃は負傷した部下を担いで後送したり
敵弾を食らって血を流しながらも陣頭指揮を執ったりとそういうエピソードがあるのにな
立場が変わると人間も変わっちまうのかね >>41
出世すると役人脳になるんだろ。
日本軍も自衛隊も。 >>37
失敗したらトップが責任を取るんじゃなくて「お前あん時の現場指揮官だったよな?」と責任を擦り付けて雲隠れ
何かやらかした士官が居ても「こいつ海兵出身だから」となあなあで済ませて知らんぷり
ヤバイ事件・事故が起きても「無かったことに」と隠蔽
治ってないっすねw 負け戦だからボロクソに言えるわなw
日清、日露に勝てなかったら日本は他のアジアと同じで白人の奴隷
今頃は白人をマスターとかサーとか呼んでるよ >>45
日清日露の頃と太平洋戦争の頃の陸海軍を比べると「本当に同じ組織か?」と思えるくらい違うからな
あと負け戦だからこそ失敗や敗因を研究しないと行けないんじゃないかい?ネトウヨ君 今の日本人がその場にいても何もできずみんなと同じ事をやるだけなんだろうな
会社でいつもやってるように 石田純一がカウラ大脱走に出てたけど
あんまり言及されないね
なんでかな >>39
源田実:
自分の指揮する部隊でも特攻やりたいからよろしくと部下に命じたところ、
部下から「私が操縦するから貴方は後席に乗ってください」と言われ
ソッコーで沙汰止みに。
戦後は航空自衛隊に入り航空幕僚長、自民党から参議院議員に。
議員時代、日本全土を無差別爆撃したカーチス・ルメイに勲一等を授与する
工作する。
言うまでもなく天寿をry
こっちかな そんな事件があったんだな
たいていの日本兵は捕虜としての生活に馴れてしまい
よほど戦意旺盛な連中が数人で脱走するようなことはあったらしいが >>47
海軍反省会の中で「やましい沈黙」という、当時の海軍上層部を表現する言葉がある
みんな心のなかでは「この作戦無理ゲーだろ」「これ絶対失敗するわ」と思ってるんだけど
お偉いさんが「これで行こうじゃないか!」と張り切ってるし、下手に反対意見を出して左遷されたり怒られるのも嫌なので
「そ、そうっすねwww」「いいんじゃないでしょうか…」と消極的賛成に回る
特に太平洋戦争開戦直前の「対米戦は妥当か否か」という海軍としての意見調整の頃はそれが顕著だったという なぜ勝てなかったのかを反省すべきだ、とは昔から言われていたけどさ。
でも反省しても日本人の本質はかわらねーだろ。
あとは悠々自適にすごしていた幹部らがだんまりか言い訳か良いとこしか証言・記述してないとこも痛いわ。 >>52
それ、週末うちの会社でやった会議じゃんw >>50
そのコピペはちと違う
343空の司令だった源田は「上から特攻を出せと言ってきてるんだけどどうする?」と部下の志賀飛行長に相談
志賀は「じゃあ私が隊長格を連れて先陣を切りましょう。次に海兵出身者を突っ込ませます。最期に司令がそのアホな参謀連中を連れて突っ込むなら良いと伝えてください」と言い
それを聞いた源田は「分かった」と答え、以後343空に特攻隊の打診は来なくなった
あとカーチス・ルメイの受勲に関しては源田はノータッチだと言われてる >>55
ちょっと訂正
志賀は「じゃあ私がその参謀連中を連れて先陣を切りましょう。次に海兵出身者を突っ込ませます。司令は最後に来てください。それで良いならやると伝えてください」と言い
それを聞いた源田は「分かった」と答え、以後343空に特攻隊の打診は来なくなった >>46
見当違いな研究結果じゃねえ。対米戦自体ソビエトの工作によるし
だれがソビエトのために動いてたか調べたほうがいいんじゃないの?意図的に作戦失敗させていた上官とか カウラか、なつかしいな
コールスで10枚入りハンバーグ肉買って食ったけどさすがにぜんぶは食べきれなかった記憶が >>52
波風を立てずに大人しく従ってばかりだと手遅れになった後で
まとめてツケが降りかかってくるという良い例だな
大人しく言う事を聞く人が好まれる日本社会じゃ教訓として取り入れるのは難しいが >>55
ルメイは横須賀軍港の土木工事独占してた港湾専門の土建屋が
米軍施設の仕事もできるようにと動いたんだろ
経営者一族は3代連続で大臣なってるし
4代目は沈みかけの安倍から逃げたようだが 聖徳太子「俺が和をもって貴し、とか言ったばかりに…正直すまんかった」 >>48
捕虜は経歴を隠しているから本当の階級は分からんのだけどね
脱走を煽った張本人は、実はそんなに偉くなかったんじゃないかって言われてた
強硬な意見を言と、それだけで偉そうに見えちゃう事ってあるんだよね >>52
陸軍のインパール作戦の決定に至る過程も全く同じだぜ。
しかも無理ゲー、失敗すると反対したのが牟田口という業の深さ。 >>63
日本海軍規範に述べられているように、日本軍・日本人社会は捕虜を不名誉としていたため、
捕虜になった日本兵の内7、8割は偽名を用いて登録していた。
(本名が本国日本に照会されて、自分の家族などが非国民の扱いを受け、村八分的差別にあう可能性を避けるため。
したがって、本国にいる自分の家族に手紙を書くことは行わなかった。 >>11
ダーウィン無差別空爆で数百人が死んでるが
ニューブリテンでは豪州捕虜数千人を全員殺したし サンダカン死の収容所がとにかくひどい
英豪軍捕虜の2500人のうち2494人が死亡とか
死亡率ではアウシュビッツを上回る。
オーストラリアは日本軍捕虜をちゃんと扱って死亡率1.2%とかなのに。 日本軍のラッパは、覚えやすいように文章の形で教えら れま した。
https://youtu.be/aAuOg71N1jI
突撃の合図は≪出てくる敵を皆々殺せ≫、
起床のラッパ は≪起きろよ起きろよ皆起きろ≫、
食事の合図は≪かっ込めかっ込め……≫ といったように >>46
薩長閥時代が良かったんだよ、国際法を順守して引き際もわきまえてて評価も高い。
日露戦争なんか、ロシア捕虜の死亡率たった0.5%だぜ。
東条英機や牟田口廉也をはじめとした当時の若手軍官僚が薩長閥を排除してテロ起こして政治家殺しまくって権力握ったが
こいつらが軍を変質させて国際法を無視しまくりの非人道的なものにしたわけだ。 >>65
豪州「貴国の捕虜の照会をしたいのだが」
東条英機「日本軍に捕虜はない、日本軍に降伏はないからだ」
ちなみに豪州は自国の捕虜の照会も何度も申し入れたが、東条英機は知らぬ存ぜぬで押し通した
サンダカン収容所の実態がわかったのも、近くまで豪軍が進出したとき逃亡した6人の兵士をたまたま保護できたから。 船坂先輩が収容されとったら事態は、びっくり返っとったな!! このネタでredditで果敢にオージーと言い合ってる日本人いたなwww
あそこは日本人への憎悪凄い奴集まってる >>29
『自分が捕虜になったら、家族が村八分』って事自体が、おかしいと思わないか? >>67
日本軍は捕虜に対しても、叩かれても仕方のない事をやってるんだよね。自分たちがジドイ事を
してたから、敵の捕虜になるのは恐ろしい事、って思ってたんだろうね。バカだから。 日本兵がオージー看護婦を何人かぶっ殺してんだよ。
だからめちゃくちゃ叩かれてた
硫黄島からの手紙でも日本兵が米軍の衛生兵狙え!とか教えてるシーン出てくるしな >>66=67=69
妄言をほざくお前は飛行機から突き落とされた直後に無差別爆撃にあって焼き殺されろw
>>77
お前は支那の捕虜にでもなってろw 毎度おなじみ、牟田口とルメイ
何の関係があるんでしょうか
韓国人はウンコ食う 飴公なんか捕虜を惨殺しまくりだからな
白人は、同じような者だろ、な島流しの子孫達よ。 捕虜の教育がなってねーな、まんじゅうの後は、熱々の渋いお茶を
要求すべきなのに。。
敵陣に居るのなら、子供のように駄々をこねるのが兵士の務めだろw >>36
澄田らい四郎も追加しないとな
日中戦争終了後A級戦犯逃れのため2600人の兵士を巻き込み
嘘の駐留目的理由に中国内戦に勝手に参戦
戦犯に問われないことが確実になると兵士置き去りにして
略奪した金銀をたんまり持って帰国
残された兵士は500人以上死亡。
残った兵士は帰国しても「志願した」という理由で恩給の対象外
これは最高裁まで争って完敗のおまけ付き
天寿真っ当の上、当時から全部知ってた息子は日銀総裁まで出世w >>69
戦争自体軍部と天皇の緊張関係がもたらしたもんだしな
薩長が田中義一で終わって議会が力持つが
不景気&不作でコントロール不能に。んで軍部台頭だが
軍部は昭和天皇が邪魔だし天皇も「クーデターで殺される」と思い緊張化
結局天皇が軍部を戦争に追い込んで敗戦
そこで天皇は軍部の息の根止めるのに9条持ち出し憲法化
その後天皇は全国行幸で親政を狙うも芦田内閣に刺し違えられ
議会が権限を握り今に至る
日本ってだいたいこんな流れなんだけど
天皇が絡むからろくな論議すらできないのよねえ 「貴様らそれでも帝国軍人か」
その一言で状況が逆転し歩ける者は突撃し他の者は自害することとなった
生きて虜囚の辱めは受けず
1944年8月5日深夜、とても寒い晩であった
当時の俘虜の心情を現代の人々には理解できないかもしれない
死者たちは叫ぶ
でも俺たちもかつて生きていたんだ
忘れないでくれ
お前ら俺を置いていくのか
俺も父母の国へ帰りたかった
故国へ生還した者は恥を忍び生きながらえた
せめてそんな彼らの無念を知ってほしい
「カウラの突撃ラッパ」中野不二男 文春文庫
「カウラの風」土屋康夫 KTC中央出版
「俎上の鯉 カウラ収容所日本人脱走事件」ハリー・ゴードン 双葉社
「生きて虜囚の辱めを受けず カウラ第十二戦争捕虜収容所からの脱走」ハリー・ゴードン 清流出版
「暁の蜂起 豪州カウラ収容所」森木 勝 国書刊行会
「カウラ日本兵捕虜収容所」永瀬 隆 青木書店
https://ja.wikipedia.org/wiki/カウラ事件
http://web3.incl.ne.jp/matsuura/nsw_cowra01.html
http://www.asakoinsydney.com.au/essay/200408cowra.htm
http://www1.odn.ne.jp/kminami/sub16.html
https://nzhistory.govt.nz/media/photo/featherston-incident-memorial
https://en.wikipedia.org/wiki/Featherston_prisoner_of_war_camp
https://en.wikipedia.org/wiki/Cowra_breakout こんな危険な国が中国からの留学生によって中国化してると思うと中国以上に危険な国になるかもしれない やっぱり野球では駄目だってことが証明されてのか(´・ω・`) >>77
日本がジュネーブ条約を批准しなかったのも
「俺らは捕虜にならず潔く死ぬのになんで降参してきた敵の負け犬を俺らが世話しなきゃいかんのじゃ?」ってのが理由の一つだとか 暗黒のハンターが液洩れ大帝に謀反を起こした例の事件か >>46
ヘイトスピーチはやめろ
俺は右翼じゃないし
お前もチョンて呼ばれると嫌だろ
例えそれが本当であってもw
それから日清日露と太平洋戦争では本質的に同じだ
むしろ日露の方が無謀な戦争
もっと勉強しろ 日本が捕虜になるのを否定したのは中国の捕虜の扱いがひどすぎたからじゃないかな
捕虜になったら虐殺される可能性が高かったからな 捕虜が抵抗、脱走することは、軍人の義務として、教えたのはどこの国もそうだ
日本だけじゃない >>95
日清戦争の時に清国の捕虜になった日本兵は軒並み虐殺され
山縣有朋が「捕虜になって殺されるくらいなら潔く散ろう」と訓令を出す
それが1900年代に入ってから武士道の「死ぬことと見つけたり」と同列に扱われ議論されるようになる
そして日華事変で大陸に進撃した日本軍の風紀が乱れたので新しい規律をってことで軍人勅諭が作成され
その中に「生きて虜囚の辱めを受けず」が記載される
本来は玉砕を推奨するんじゃなくて「生とか死とかそういうのは気にせず御国のために恥ずかしくないように戦おう」って意味だったのに
民間に広まったら「皇軍兵士は降伏しない」「皇軍兵士は喜んで散る」みたいに捉えられるようになってしまい
「捕虜になる=非国民の臆病者」と村八分にされるようになった
だから「家族が非国民扱いされるなら……」と無意味な自決や玉砕に繋がってしまったと言われてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています