【歴史】『徳川将軍家へようこそ』展、東京・江戸東京博物館で今日(11 日)から開催 [無断転載禁止]©2ch.net
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徳川家に伝わる美術品や絵画を集めた「徳川将軍家へようこそ」展が、東京・墨田区の江戸東京博物館で11日から開かれます。
「徳川将軍家へようこそ」展には、初代将軍の家康から大政奉還した15代将軍の慶喜、その跡を継いだ家達にまつわる品々が展示され、当時の生活様式や文化、美意識の移り変わりを読み取ることができます。
徳川記念財団・徳川家広理事:「(江戸時代は)日本が独自の文明になった時代だと思います。それを支えた人たちにまつわるものですね」
江戸時代後期の絵師・酒井抱一の描いた「武蔵野富士図」は、ススキやリンドウなどを描き込むことで、江戸から見た秋の富士山を表現しています。また、14代将軍の家茂に嫁いだ皇女・和宮の使っていた調度品なども展示されます。この美術展は来月24日まで開かれます。
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引用元にニュース動画もあります
http://news.tv-asahi.co.jp/sphone/news_society/articles/000107504.html リーマンショック後の不交付団体
■平成 21年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000032095.pdf
・全国の不交付団体 151市町村
・西三河の不交付団体 13市町村の内10市町村
豊田市、みよし市、岡崎市、安城市、刈谷市、高浜市、知立市、碧南市、西尾市、幸田町
■平成 22年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000075077.pdf
・全国の不交付団体 74市町村
・西三河の不交付団体 13市町村の内7市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、西尾市、幸田町
■平成 23年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000124636.pdf
・全国の不交付団体 58市町村
・西三河の不交付団体 10市町村(西尾市合併により3町減る)の内6市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、幸田町
■平成 24年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000169057.pdf
・全国の不交付団体 54市町村
・西三河の不交付団体 10市町村の内6市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、幸田町
■平成 25年度 不交付団体の状況
http://www.soumu.go.jp/main_content/000240073.pdf
・全国の不交付団体 48市町村
・西三河の不交付団体 10市町村の内6市町村
豊田市、みよし市、安城市、刈谷市、碧南市、幸田町 平成25年度経済成長日本1位は三河県
三河県の一人あたりの総生産は日本2位
【平成25年度県民経済計算】
都道府県別県内総生産(名目 単位:円)
順位 都道府県 GDP 成長率 シェア
━━━━━━━━━━━━━━━━━
*1位 東京都 93兆1280億+1.0% 18.3%
*2位 大阪府 37兆3150億+1.2% *7.3%
*3位 神奈川 30兆2190億+1.1% *5.9%
*4位 尾張パゴヤ共和国(笑) 22兆2078億+0.7%
*5位 埼玉県 20兆6780億+2.0% *4.1%
*6位 千葉県 19兆8110億+4.0% *3.9%
*7位 兵庫県 19兆2330億+2.6% *3.8%
*8位 北海道 18兆2690億+1.5% *3.6%
*9位 福岡県 18兆1900億+1.8% *3.6%
10位 静岡県 15兆8760億+2.4% *3.1%
12位 三河県 13兆2683億+4.4%
13位 茨城県 11兆5110億▲0.1% *2.3% タヌキ親父の子孫なんて恥ずかしくて死にたくなるのが普通だろ >>383
天下を統一して平和な時代を創出したんだからええやん。ぶっちゃけ御大層な家系も祖先の功績も関係ない。平和な時代を作ったってだけで十分。 >>378
その説は史料上の検討で全破棄状態になりました。
つまり天然痘で正しいわけ。
あなたは事実に抵抗するが、論理を出せない。 >>378
あと、石見銀山は豊臣政権から中央政府、つまり幕府の直轄事業となり、毛利は手を出せませんでした。
つまりあなたの話なら「孝明天皇が砒素中毒の症状で亡くなったことはわかってる。
砒素は石見銀山が産地で、幕府関係者人なら簡単に入手できた。
状況証拠から言えば徳川慶喜や松平容保がクロだよ。」
となりますね。
デタラメを言うから徳川慶喜や松平容保の手に手錠が掛かるのです。 独自の文明になったな、確かに。お上に任せとけば大丈夫、俺ら知らねって無責任な国民になったw 石見銀山と幕末長州といえば一つエピソードが有ります。
第二次長州征伐で、山陰地域は津和野が無血通過、浜田が松平家でたいした抵抗も無く城を焼き払って逃亡しました。
その際に石見銀山の廃鉱を通過したわけですが、戦国時代の毛利元就の木像を発見し、話題となっています。
つまり戦国時代に取られた地域だった、江戸時代には手を触れることが出来なかったと。
ID:WqYbytW80は知識の無い人間でした。他人に難癖をつけるには無知でしたね。 >>386
>天然痘で正しいわけ
天然痘で亡くなった証拠はないよ。
発掘調査すれば砒素がでてくるんだろうけど、
明治政府が天皇を神格化した影響で調査は不可能。
アーネストサトウは「一外交官の見た明治維新」で、
孝明天皇が毒殺されたことを倒幕派中枢のしかるべき筋から確認したと記しているわけで、
第三者の客観的報告として極めて信憑性が高い。
しかしこの本は戦前まで禁書扱いで、日本語訳は、
最近の版まで毒殺の一節がなぜか削除されていた。
天皇毒殺がここまでタブー視されてきたのはなぜか?
それは薩長が犯人だからだよ。 Welcome to ようこそ徳川将軍家
今日もドッタンバッタン大騒ぎ >>390
論理なし。
あなたは過去間違いとわかり、廃棄された話を持ち出しただけ。
そして風説なら徳川慶喜説も当初から存在しております。
史料検討からは砒素は有り得ず、天然痘となりましたね。 >>392
「歴史学者」はいろいろと政治的プレッシャーがかかるから、
コロコロと自説を変える。この件もそれだよ。
近代史上最大級のタブーだからね。
天然痘であると強弁するなら物的証拠を出してみろよ。
話はそれからだ。 徳川の300年が日本の歴史上
もっとも国民の幸福度が高かった時代だったか? >>390
そして石見銀山は幕府直轄事業ですね。あなたの主張なら「幕府が石見銀山を持っていたから砒素を入手するのは容易だ、徳川慶喜と松平容保がクロだ」となりますね。
あなたは不正確な難癖で徳川慶喜と松平容保を犯人にしたのです。 >>18
実際それだな。江戸幕府を過小評価しすぎだもんな。 孝明天皇は筋金入りの佐幕派で、慶喜や京都守護職と結びつき、
長州や長州系公家を排斥していた。
そして長州は、この事態を「玉を奪わなければ自藩は滅亡する」と、
最大級の危機感を持って受け止めていた。
長州には佐幕派の天皇を暗殺しなければならない、
せっぱ詰まった動機がある。 >>393
史料検討では砒素は有り得ないとなりましたね。
つまり天然痘に普通にある症状でした。これが歴史学者の見解です。
あなたは自説を説くなら、砒素が死因という証拠や徳川慶喜・松平容保が犯人という証明を出さないといけません。 >>394
実際そうだったでしょ。江戸時代を過小評価しすぎてる。 >>397
まずあり得ません。
当時長州は京都には居ないんですよ。
あなたはいない人間を犯人とし、幕府の生産した毒だから幕府じゃないと説く。
大笑いだ。あなたの話なら徳川慶喜や松平容保が犯人として濃厚になる。 孝明天皇の死因については、研究者のあいだでも決着はついていない。
もともとタブーとされていた問題で、天然痘による「病死」とされていたが、
病死である証拠はなにもない。
ちなみに毒殺説については、孝明天皇の主治医の「天脈拝診日記」が子孫の伊良子氏によって公表されており、
医師でもある伊良子氏は、日記の分析により砒素系毒物による急性中毒症状であると診断している。
また、アーネスト・サトウは、「一外交官の見た明治維新」で次のように書いている。
「幾年か後に、私は裏面の消息に精通する日本人から、帝はたしかに毒殺されたのだと教えられた(中略)。
やがて幕府が没落すれば、やむなく朝廷が西洋諸国と直接に関係交渉しなければならなくなると予見した人々の手にかかった。」
物理的な調査ができない以上、永遠の謎だね。
ただし状況証拠からすると限りなくクロに近いから、討幕派による毒殺として扱うべきでしょ。 >>399
残念ながら、江戸市民の梅毒罹患率は30%、寿命は50歳前後。
しかも天明から東日本は衰退で、西日本の増加で全体としては増減無しです。
あまり良いとは思えません。 歴史をちゃんと知ってたら現代が一番幸福に決まっている 庶民がこんな豊かな時代あるかw >>401
あなたに有利な話を抜き出しても、砒素は有り得ないことと天然痘で了解が得られております。
あなたは不正確な話をして、失敗したのです。
あなたの話なら、「幕府が砒素を持っていたから徳川慶喜や松平容保が犯人」なんですよね。 >>400
>当時長州は京都には居ないんですよ。
バカ?
長州の手先が京都に一人も存在してないことを証明してみろよ。
長州は禁門の変で御所を襲撃し孝明天皇に向けて発砲してる。
それに激怒した孝明天皇が長州を追い払い朝敵として討伐を命じた。
岩倉や堀川局も失脚し追放されて帝を恨んでた。
そして長州にとって絶好のタイミングで孝明天皇が砒素中毒の症状で崩御する。
討幕派に密接につれそってたアーネストサトウは暗殺だと報告。
まあ、何があったかは誰でも推察できるよね。 >>405
居ませんなあ。
桂小五郎すら薩摩に看破され逃げ帰った。草莽すら薩摩か土佐藩邸に匿われないと生きられなかったのが当時の京都ですね。
あなたは知識がないし、全て間違っていた。もう少し史料を読みなさい。 >>403
幸福度って物質的な裕福度だけで決まるものじゃないのだぜ。 というわけで、ID:WqYbytW80が「砒素だから徳川慶喜や松平容保が犯人だろ」連呼に走りましたが、死因は天然痘なんですよ。 長州のかねてからの陰謀どおり、
玉(討幕派が使った天皇の蔑称)を握って「大芝居」を成功させたわけだけど、
その成功報酬は次のように配分されてる。
岩倉具視 五千石
木戸孝允 一千八百石
大久保利通 一千八百石
元佐幕派として疎まれ、ろくな働きをしてない公家ヤクザの岩倉が、
なぜ倒幕後に最高の報酬と地位を得ることが出来たのか?
岩倉は一体何をやったのか?
だいたい想像はつくけど、お約束で真相は闇の中ということに… >>408
阿片は多幸感を作るといいますから、多分清末や中華民国の大陸時代は幸福なのでしょう。 阿呆だな。岩倉具視は和宮婚姻から戊辰戦争集結まで朝廷を仕切っていた過激派だった。
もっと上位に嵯峨等が居るが、功績はそれに基づく。 ID:WqYbytW80は徳川慶喜や松平容保が孝明天皇を害したと連呼しているが、根拠がない。死因は天然痘なのだから。 >>411
阿片といえば弘前藩の「一粒金丹」だな。
藩の特産品だったらしいw >>413
>死因は天然痘なのだから
証拠は?
ちなみに紫斑性痘瘡説は物的証拠がない仮説にすぎないぞ。 >>401
決着済で、砒素は有り得ないとなりました。
天然痘なんですよ。 >>415
史料を見る限りでは、砒素の症状ではないとなったんですよ。
しかも天然痘にそれに相当する症状がある。
ID:WqYbytW80は、間違いだとして退けられた話を連呼する嘘つきです。
それも、石見銀山は幕府の直轄事業じゃないですか。
あなたは幕府が犯人だと連呼したのです。 >>414
ヒ素と亜鉛は銅山に多いんですよ。
だから足尾銅山の鉱毒が明治に問題となった。
なのにID:WqYbytW80は幕府の直轄事業である石見銀山を戦国時代に持っていただろ、と難癖を付けた。無知も極まる。 パクス・トクガワーナ
大坂夏の陣から幕末の長州征伐まで、250年間の天下泰平を築いた徳川幕府の功績は大きい
島原の乱や百姓一揆はあったが、大乱を起こさなかった徳川家の治世は評価されるべき >>419
ID:WqYbytW80が嘘をつき、反証が全て挙がってID:WqYbytW80が怒り出した状態です。
嘘つきだからしょうがないよね。 >>418
いや、ケシの阿片だってば。
弘前藩は辺境なのをいいことに、藩をあげて麻薬を作っていたのだw >>420
存続だけなら李氏朝鮮の方が上ですな。
期間の長短も良さとは言いにくい。 >>417
「御容態書」の順調な回復という記述に疑義が出ただけで、
孝明天皇が砒素中毒とそっくりの症状で急逝したことは事実だよ。
紫斑性痘瘡は砒素中毒と類似の症状が出る最悪の痘瘡でとてもマイナーな病気だけど、
孝明天皇がそれに罹患してた証拠はない。
そもそも当時の京都や宮中で紫斑性痘瘡が流行してたわけでもないのに、
帝だけが超マイナーな奇病で長州に都合よく急逝するわけないだろ。 >>422
阿片は鎮痛麻酔としては有用で、今でも生産自体は続いています。
荒れ野でも育ちますから、ろくな土地がない地域では生活上やむを得ない場合もあったのでは。
台湾統治の初期、灌漑工事前には芥子は重視せざるを得なかった。 >>424
そっくりそのまま天然痘に比定された経緯を逆にして書いてますね。
逆で、砒素の症状ではないんですよ。
だから砒素説の人は「最初天然痘で、治りかかった時に飲まされた」説に変わった。
これも根拠がなく、全て天然痘と解釈した方が普通の症状だった。
あなたは天然痘とした結論を見ないとした。不正行為ですよね。 >>420
日本を開国させ、近代化の基礎を築いたのも徳川幕府。
攘夷に狂った薩長にクーデターを起こされたけど、
優秀な幕臣により近代化の基本路線は維持された。
今の日本があるのはすべて徳川幕府のおかげ。 >>427
明治新政府は薩長だけじゃないんですよ。
諸藩を集め、官吏には旧幕府も多かった。
明治新政府の功績を全否定したら、江戸幕府の功績も無になります。
あなたは無知だ。 >>9
てか、江東 関係ないだろw
江東区にあるのは深川歴史資料館。ここもかなりオススメ ID:WqYbytW80の説く「徳川慶喜や松平容保が犯人」という難はあたらない。
死因が天然痘だから。 >>430
だから天然痘である物的証拠を出してごらん。 一人、徳川慶喜や松平容保を孝明天皇殺害犯人だと言い張るID:WqYbytW80がおりましたが、
全て論証し嘘つきを排除しました。死因は天然痘でしたから。 >>431
史料から解釈すると天然痘ですよね。
砒素ではない。 >>432
武家やお公家さんの邸宅の襖絵って、ご興味ありますか。 >>434
残念ながら、あまり絵自体は良さが分からない人間なんです。
文書も整理活字化されたものが中心ですし。いつ誰が何をと考えてしまう。
余裕がほしいですなあ。 >>433
一般的な天然痘ではなく悪性紫斑性痘瘡が巷で大流行した史料は?
孝明天皇が一般的な天然痘を患ったことは確かだけど、
ほぼ全快した時期に、突然、砒素中毒の症状で崩御してる。
典医をはじめ関係者の誰もがもその奇怪で激烈な症状に驚いてるわけで、
大流行してた一般的な天然痘とは全く異なる症状だった。
病死派は、悪性紫斑性痘瘡の症状と合致する死亡直前の症状は正しいが、
それ以前の典医の記録は嘘っぱち、としてるけど、
あまりにも荒唐無稽な妄想で無理がありすぎる。
ありえないほど絶妙なタイミングで、天皇が砒素中毒の症状で崩御、
天皇が討伐を命じてた朝敵長州が復権し、幼帝を擁して権力を簒奪…
一連の状況証拠は、明治の元勲の中に暗殺犯がいることを示唆してる。 知恵はあるが勇気が無かったヘタレ幕臣を上手に手のひらで使いこなした薩長と
言う事だな、 >>435
そうですか。ありがとうございます。
あなたの資料に対する批判的な姿勢を、高く評価したいと思います。 「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」大隈重信
この大隈の言葉が明治維新の本質。
そもそも当時は「明治維新」とは言わず「王政復古」と称し、
薩長閥は律令時代への復古政策に夢中になってた。
それを教育し近代化路線を回復せたのが福沢諭吉等の旧幕臣だった。 >>436
>孝明天皇が一般的な天然痘を患ったことは確かだけど、
ておまえ認めてるじゃん。 松平定敬は幼児期の天然痘であばただらけだったよね。
それが江戸時代に天然痘なんて無い、ってさ。 >>440
[毒殺説]
孝明天皇が一般的な天然痘にかかり、その回復期に砒素を盛られた。
[病死説]
孝明天皇は一般的な天然痘ではなく、紫の紫斑が出て、
体中の穴から血が噴き出す悪性紫斑性痘瘡で急死した。
どちらの説も天然痘にかかったことは否定してない。
病死説はマイナーな悪性紫斑性痘瘡の感染ルートについて説明できないから、
願望混じりの仮説にとどまってる。 >>420
家康は過大評価
関東に武家政権をおき、武士政権の支配層を三河縁者でガッチリ固めるのは、三河の源頼朝が考案したシステム
もちろん、三河の足利尊氏もこのシステムを踏襲したわけだが、足利氏は強力な一門衆を作ったが、アダになって仲違いした
源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁
■修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964)
木造大日如来坐像
http://www.butsuzoutanbou.org/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA/
本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。
実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。
納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。
髪はB型とO型の血液型の人のものであるとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。
『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。またもうひとりは、母である北条政子である可能性がある。 なんだかんだ260年も続いた徳川家って凄くね?
鎌倉・室町の幕府と何がちがうんだろ? 頼朝は完璧だったが、しかたなく男系を皆殺してしまった為に、女系の北条にしてやられた
だが、男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、源頼朝の三河縁者が武家社会を牛耳るシステムに戻したのさ
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) 家康をよく知るためには、鎌倉将軍家と室町将軍家を生み出した三河の藤姓熱田大宮司家語る必要がある
■足利氏誕生の経緯
祖父の元、三河でプータローをしていた初代足利氏、源義兼は、従兄弟の源頼朝から足利荘を安堵され誕生した
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→女→源頼朝
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、源義兼(初代源姓足利氏)を生む 鎌倉幕府の源氏や室町幕府の足利氏は、一族間で仲たがいして戦までやってるが、
徳川氏は一族間で戦にまで発展する同族争いを、
少なくとも江戸時代にはやってないのは流石
悪政を理由に改易・取り潰しはあるが、戦にまではなってない 鎌倉幕府や室町幕府は支配権が東日本だけとか西日本だけのローカル政権だからだろ >>445
やっぱ新しいほうが過去幕府の短所長所学べるし、両幕府の果実の上に立てるから有利だよね。
鎌倉幕府なんて武家が政権取って京都から独立出来ただけで大革命だしw >>442
高卒のおまえに言っとくけど、おまえの言うことは中身を読まずに全て却下。
なぜなら通説と違うから。通説と異なることを言いたいならおまえが証拠を出せ。 >>374
その戦場の場所が徳川埋蔵金のありかが日光東照宮だという説を後押ししてるんよ つまり、会津若松への進路が険しい会津街道になるのがわかっているのにわざわざ今市なんかで新政府軍と戦をした理由は・・・って事 >>74>>304
それでも植民地に原爆は落とされないだろうし
大空襲もむしろ玉砕もなかったとしたら
膨大で悲惨で焼け爛れた空爆での死者も戦死もなかったかもだし
そもそも植民地なら連合も違えばアメリカが対戦国かどうかもわからず
その後のオーストラリアやニュージーランドから香港のようになっていったかも知れないし
日本語で日本人で日本であったらよかったどうかは
終戦のお盆のこの時期戦争で死なずに無惨に殺されたくらいならとっくにイギリス人になるのも悪くないとは思うわ >>431
だから天然痘である物的証拠を出してごらん。
>>436
孝明天皇が一般的な天然痘を患ったことは確か
こいつ真逆のことを平気で言ってる。 >>460
孝明天皇の急死の状況は一般的な天然痘では説明できない。
一般的な天然痘の回復段階で砒素により暗殺されたとするのが毒殺説。
一般的な天然痘ではなく紫斑性痘瘡・出血性膿疱性疱瘡という特殊な天然痘で亡くなったとするのが病死説。
つまり崩御の直前の激烈な症状をどう説明するかが問題。
病死説はあくまでも紫斑性痘瘡等で症状激変を説明できるかもというだけでその物的証拠はない。
あると断言するなら出してみればいい。
御九穴より御脱血し七転八倒に苦しんで急死する病気が宮中で流行してたなら何らかの記録があるはず。
それが出せないなら毒殺か病死かの問題は未決着だし、討幕派による毒殺で説明する方が合理的なんだよ。
「孝明天皇紀」「中山忠能日記」に見る孝明天皇の臨床経過
12月12日 高熱を発し、苦痛を訴える。(前駆期)
12月15日 手に一対の吹き出物が出来る。(発疹期−紅斑)
12月16日 吹き出物が顔にも出来る。
12月17日 典医十五名は正式に疱瘡と発表。
12月18日 吹き出物が変色して落ち着く。(発疹期−膿疱)
12月20日 食欲、便通も順調、吹き出物の経過も良好。
12月21日 吹き出物から膿が吹き出し始めてさらに楽になる。
12月23日 食欲ますます進み、吹き出物の膿も出てしまい乾燥しはじめた。(発疹期−結痂)
12月24日 この日も葛湯、お粥、ほしいいをとり、便通もあり、天皇の機嫌はますます良好。
12月25日 天皇の様態は前夜から急変、激しい嘔吐と下痢におそわれ、顔には紫の斑点が現れた。
さらには「御九穴より御脱血」、七転八倒の苦しみのうちにその夜遅く亡くなった。 >>461
また天然痘であることの証明を逆に言っている。
経過
1.毒殺説「ヒ素で死んだのだ」
↓
天然痘の症状
↓
「天然痘が治りかけの時にヒ素を飲まされたのだ」
↓
証拠なし+天然痘の普通の症状
↓
天然痘と判明、ヒ素説を語るものは消滅
>一般的な天然痘ではなく紫斑性痘瘡・出血性膿疱性疱瘡という特殊な天然痘で亡くなったとするのが病死説。
>つまり崩御の直前の激烈な症状をどう説明するかが問題。
これはウソ。誰も特殊と言っていない。言っているのは捏造歴史流布で知られる小説家のみ。 >病死説はあくまでも紫斑性痘瘡等で症状激変を説明できるかもというだけでその物的証拠はない。
>あると断言するなら出してみればいい。
>御九穴より御脱血し七転八倒に苦しんで急死する病気が宮中で流行してたなら何らかの記録があるはず。
>それが出せないなら毒殺か病死かの問題は未決着だし、討幕派による毒殺で説明する方が合理的なんだよ。
これもウソで、物証がないのは毒殺説の人間だった。天然痘はお前自身も認めたことだ。
ID:DO2rkCJX0よ、歴史捏造はお前だけにしておけ。 >孝明天皇の毒殺については、医学的には決着がついたことである。
>孝明天皇の主治医、伊良子織部正光順(おりべのかみみつおき)の
>当時の日記とメモが光順の曾孫にあたる医師、伊良子光孝氏によって発見され、
>その中身が昭和50年から52年にかけ、「滋賀県医師会報」に発表された。
>『天脈拝診日記』と題された、日記とメモの解読報告である。
>光孝氏は、記録に残る孝明天皇の容態から、最初は疱瘡(痘瘡)、
>これから回復しかけたときの容態の急変は急性薬物中毒によるものと判断した。
>さらに光孝氏は、痘瘡自体も人為的に感染させられたものと診て、こう記したという。
>「この時点で暗殺を図る何者かが、『痘毒失敗』を知って、あくまで痘瘡によるご病死とするために、
>痘瘡の全快前を狙ってさらに、今度は絶対心配のない猛毒を混入した、という推理がなりたつ」
>伊良子光順の文書を整理した日本医史学会員・成沢邦正氏、同・石井孝氏、
>さらに法医学者・西丸與一氏らは、その猛毒について、砒素(亜砒酸)だと断定している。
>前述石井孝氏は、女官たちの中で容疑者と目される者の名を、つぎのように挙げている。
>岩倉具視の実の妹、堀可紀子。
>匂当内侍だった高野房子。
>中御門経之の娘で典侍だった良子。 >>464
また否定された文章を出す嘘つきID:DO2rkCJX0よ。
その文はとっくの昔に検討され破棄された。
石井孝も不明を恥じ撤回している。
そして岩倉具視だけでなくその周囲も皇室に接近する状況にない。
尊王攘夷派公家の復権は、王政復古の夜の前、昼に関白二条が決定したことなんだよ。
歴史知らずがでっち上げで粘ったところで、天然痘に依る死だったことに変わりはない。
ウソはやめることだ。 >>462
>証拠なし+天然痘の普通の症状
天然痘の回復期に「御九穴より御脱血」は普通の天然痘の症状じゃない。
だから病死派の原口は紫斑性痘瘡・出血性膿疱性疱瘡を持ち出したんだよ。
>>465
毒殺・病死論争に決着はついていないよ。どちらも物的証拠がない状態。
将来、天皇陵の学術調査ができるようになれば毒殺の証拠が出るだろうね。
現時点で天然痘による病死を断言するなら証拠をどうぞ。 ようこそ徳川パークへ
すごーい!天下取りが得意なフレンズなんだね >>458
日本の近代化、中央集権化は徳川幕府が進めてた既定路線だから、
明治維新がなくとも幕府主導で近代化し日本が植民地化されることはない。
そもそも長州人の松岡洋右がドイツとの三国同盟を結ばなければ、
日米全面戦争は起きず、大空襲も原爆を落とされることもなかったわけで、
薩長による倒幕がその後の日本の敗北の遠因になってる。 >>466
>天然痘の回復期に「御九穴より御脱血」は普通の天然痘の症状じゃない。
これがウソで、一般的な症状だったから例示されている。
>毒殺・病死論争に決着はついていないよ。どちらも物的証拠がない状態。
これもウソで、当時の文献で比定されている。
ちなみに毒薬説は死の状況と全く違っていたので、
「毒薬を飲まされたのだ」→「天然痘の治る直前に飲まされたのだ」と勝手に改変した。
>現時点で天然痘による病死を断言するなら証拠をどうぞ。
証拠がなかったうえに全員撤回済み(死因とかけ離れていた)のウソが毒薬説なのだよ。
ID:WqYbytW80は「ない証拠を出せ」という嘘つきで、このような人間を佐幕とは呼べない。 >>468
幕府の排除した人材が明治新政府で活躍しております。
諸般の統合に旧幕府は失敗し、二度と帰ってこない。
まあ、嘘つきID:WqYbytW80でしょうが、あなたの説はこれまで全てデタラメでした。 佐幕を名乗るにしては,
事実関係が史料とすべて違うID:WqYbytW80=ID:/9QCTImC0
歴史捏造はいけません。 >>469
キミの言ってることは支離滅裂。
>>天然痘の回復期に「御九穴より御脱血」は普通の天然痘の症状じゃない。
>これがウソで、一般的な症状だったから例示されている。
そもそも天然痘に色々種類があることを知ってる?
キミの言う「一般的症例」とはなに?
一般的な天然痘の回復期に「御九穴より御脱血」で急死することはないし、
病死派の原口でさえそんなことは言ってない。
なお「御九穴より御脱血」は急性ヒ素中毒による吐血・下血で説明できる。
>「天然痘の治る直前に飲まされたのだ」と勝手に改変した。
改変もなにも、そもそも毒殺説は疱瘡の回復期に砒素で暗殺されたとする説。
崩御の際に激変した症状が毒殺なのか天然痘なのかが問題なんだよ。
その前段階の天然痘の回復過程は>>461のとおり。
LOBQfBGb0はこの単純な構図が理解できず堂々巡りをくり返してるけどアホすぎる。
ちなみに原口の病死説は「孝明天皇の悪性痘瘡死という予断があって、
史料を極度に歪曲し、予断に合致させるという空しい努力を重ねている」
と石井に批判されてる。 >>472
ID:/9QCTImC0の言ってることは支離滅裂。
>そもそも天然痘に色々種類があることを知ってる?
>キミの言う「一般的症例」とはなに?
>一般的な天然痘の回復期に「御九穴より御脱血」で急死することはないし、
>病死派の原口でさえそんなことは言ってない。
普通に一定割合であることですが?ID:/9QCTImC0は知識がない。
>改変もなにも、そもそも毒殺説は疱瘡の回復期に砒素で暗殺されたとする説。
>崩御の際に激変した症状が毒殺なのか天然痘なのかが問題なんだよ。
>その前段階の天然痘の回復過程は>>461のとおり。
>LOBQfBGb0はこの単純な構図が理解できず堂々巡りをくり返してるけどアホすぎる。
当時の病状が明らかになるまで毒殺説の人は「最初に天然痘にかかって治る時に」なんて言ってなかったんですよ。
病状が天然痘だったので慌てて付け足した、急造説なんです。
>ちなみに原口の病死説は「孝明天皇の悪性痘瘡死という予断があって、
>史料を極度に歪曲し、予断に合致させるという空しい努力を重ねている」
>と石井に批判されてる
これは真っ赤なウソ。指摘を受けて石井は撤回してますから。
ID:/9QCTImC0は嘘に嘘を重ねてどうしたいのやら。嘘つきは佐幕には要らない。 >>473
>普通に一定割合であることですが?
あと数日で全癒の段階なのに、御九穴から血を吹いて突然死する割合は何%?
正確なソースをどうぞ。
>毒殺説の人は「最初に天然痘にかかって治る時に」なんて言ってなかったんですよ。
当たり前だろ。ここで問題になってるのは崩御直前の様態急変をどう説明するか。
その前に疱瘡が快癒に向かってたことは前提条件で誰も否定してない。
キミは知能が低すぎる。
>指摘を受けて石井は撤回してますから。
正確なソースをどうぞ。 薩長が幕府の物知りを上手く使ったから日本は文明国の一員になれた訳だな >>474
おまえ相手の問いに対して答えないで質問投げ返すのは反論とは言わない。
自分の意見を言わずに質問返しても相手の意見を否認したことにはならない。
おまえが論破された状態だけどバカなの? >>474
>あと数日で全癒の段階なのに、御九穴から血を吹いて突然死する割合は何%?
>正確なソースをどうぞ。
症例として記載があるから論議されたのです。ID:/9QCTImC0は答えられずに逃走ですね。
>その前に疱瘡が快癒に向かってたことは前提条件で誰も否定してない。
>キミは知能が低すぎる。
「快癒に向かってたことは前提条件で誰も否定してない」があなたのウソです。孝明天皇のような例がありますからね。
>指摘を受けて石井は撤回してますから。
>正確なソースをどうぞ。
これも文献に記載されていることであり、逆のあなたの文章がどこにも見当たらない。
ID:/9QCTImC0は嘘に嘘を重ねる自称佐幕だが、そんな嘘つきは藤村新一や小林よしのりと変わらない、要らない。 佐幕と名乗る人間の中に、ウソをついて貶めればよいとする人間がいるのは嘆かわしい。
ID:/9QCTImC0はこの世の恥だ。 藤氏長者をそそのかして歴史を江戸まで巻き戻そうと運動するものが居る >>477
>症例として記載があるから論議されたのです。
だからその「症例」とは?
完治寸前の状態から9穴から血を吹いて突然死する一般的な症例が存在するならソースをどうぞ。
>「快癒に向かってたことは前提条件で誰も否定してない」があなたのウソです。孝明天皇のような例がありますからね。
また意味不明な文章。バカなの?
>これも文献に記載されていることであり、
だからその文献は何だよ。
>逆のあなたの文章がどこにも見当たらない。
石井孝「近代史を視る眼」 >>480
言うに事欠いて「何時何分何秒か100桁まで答えろ」に逃げた嘘つき、それがあなたです。
>石井孝「近代史を視る眼」
これは近作じゃないよね。彼の昔の本から引いていたのか。嘘とばれましたな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています