1967年に慶応大学医学部を卒業し、医師(精神科医)の道へ。


数年後、 田中角栄内閣のもとで「一県一医大構想」が持ち上がった。


当時、県内に総合病院は丸木家が設立した毛呂病院しかなかった。


「(同病院を母体に)医学部付属病院として埼玉医大を創立することが決まった。