「政権の受け皿がない」と言われて久しい。
7月の都議選以降、「安倍1強」は終わりに向かいつつあるのだが、それに代わる塊がなければ政治は変わらない。
野党の長男格・民進党は頼りない状況が続き、前原誠司氏、枝野幸男氏の争いとなった代表選も迫力を欠く。
そんな中、政界再編仕掛け人として、永田町に君臨してきた自由党代表・小沢一郎氏は今、何を考えているのか。
小沢氏がイメージする「受け皿」づくりはズバリ、2段階論だという――。

■自民党を2度下野させた男
小沢一郎氏の全盛期を知らない人のために、簡単に彼の足跡を振り返っておきたい。
現在は75歳。衆院初当選は1969年だから勤続50年に近づいている超ベテランだ。

彼ほど政党や政権を作っては壊した政治家はいない。
40代で自民党幹事長に就任。政権中枢で辣腕をふるったが、自身が所属する自民党竹下派内の権力闘争に端を発した政治改革政局で自民党を離党し、新生党をつくった。
以来、新進党、自由党をつくり、民主党に合流。
また分裂して「国民の生活が第一」をつくり、未来の党、生活の党、「生活の党と山本太郎となかまたち」を経て、今は再び自由党と名乗る政党の代表についている。

小沢氏の2つの功績は1993年の非自民・細川連立政権と、2009年の民主党政権を誕生させた中心人物であるということ。
自民党を2度下野させた男なのだ。

小沢氏の政治手法は、はっきりしている。まず選挙で多数派形勢を目指す。
それがダメなら選挙後の数合わせで多数派を目指す。その際は、予想外の人物を首相候補に立てる。

■小沢氏の「最高傑作」は細川政権
「最高傑作」が細川政権だ。小沢氏は自民党を割って新生党をつくり、93年の衆院選に挑んだ。
自民党を過半数割れに追い込んだが、新生党、社会党、公明党、民社党などの「非自民」勢力も過半数を取れなかった。
小沢氏はただちに「第3極」の日本新党・細川護熙代表、新党さきがけの武村正義代表らと接触。
「われわれと組まなければ自民党の延命に手を貸すことになる」と迫り、自分たちの側に引きずり込んだ。

その時、首相候補にすえたのが細川氏だった。
参院議員経験はあったものの衆院議員としては当選したばかりの細川氏が首相になるとは誰も想定していなかったが、それにより非自民政権が誕生。
細川ブームが起こる。小沢氏の剛腕がなければ、決してい実現しなかった政治ドラマだ。

■「3党」で塊をつくり共産、小池氏と協議
その小沢氏は今、野党連携に執念を燃やす。
昨年の参院選では、民進、社民、共産そして生活の党と山本太郎となかまたち(現在の自由党)の4党が、32ある1人区で候補を絞り込むことに成功。
11選挙区で野党統一候補が競り勝ち、一定の成果を上げた。これも小沢氏が主導的役割を果たした。
また、参院選の時は実現しなかったが、野党が「統一名簿」をつくり比例代表でも共闘する「オリーブの木」構想の提唱者でもある。

ただ小沢氏は次の衆院選に向けてはそれだけでは不十分と考えているという。
周辺には「衆院選がことし中なら選挙協力にとどまらざるを得ないが、来年なら新党が第一だ」と漏らしている。

聞こえてくる小沢シナリオを整理すると、「2段階論」であることが分かる。
まず民進党と社民党、そして自分たち自由党の3党による合併を図る。
3党といっても社民、自由の2党は数人規模にすぎない。
実態は実質的には民進党による吸収合併に近いが、3つが1つになることで「受け皿」をはっきり示す効果がある。

その塊をつくった上で、他の政治勢力との協議に臨む。
まず共産党。共産党は選挙協力に熱心だが、共闘することで「政権を取ったら共産党と連立を組むのか」という疑念や批判を受けかねない。
実際、最近民進党を離党した長島昭久氏、細野豪志氏らは共産党との接近に違和感を持っていることを強調している。
長島氏はプレジデントオンラインに6月16日アップされた「なぜ民進党はここまでバカにされるのか」で、「共産党は社民党以上に独特かつ強固な世界観を持っている。
閣外なり閣内で連合を組んだ場合、どれほどの混乱が起きるかは、火を見るより明らかだ」と主張している。

http://blogos.com/article/240152/

※続きます