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2017/08/28(月) 08:53:41.54ID:CAP_USER9東京新聞:2017年8月28日 07時02分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017082890070243.html
八十九年前、陸上競技で日本人初の五輪金メダリストとなった織田幹雄さんをたたえ、旧国立競技場(東京都新宿区)に立てられた「織田ポール」の行き場が決まっていない。
陸上界にとっては、大先輩の偉業を示す記念碑的な存在。
だが、建設中の新国立は二〇二〇年東京大会後、球技専用となる方針のため、「陸上の聖地」ではなくなる。
五輪の象徴的なレガシー(遺産)の行方に、関係者は気をもんでいる。
織田ポールは高さ一五・二一メートルの金属製。
この高さは、一九二八年アムステルダム五輪の三段跳びで、金メダルに輝いた織田さんの記録と同じだ。
五八年の旧国立開設時から、トラックの第四コーナー内側に設置され、六四年東京大会など大観衆とともに歴史的瞬間に立ち会ってきた。
元走り高跳び五輪代表で広島市立大の曽根幹子教授も、この「陸上界のシンボル」を見ながら汗を流してきた。
「織田先生の座右の銘は『精進』。織田ポールは、昔も今も、すべてにおいて必要なものは精進することだと、語りかけていたように思う」と振り返る。
現在、ポールは国立スポーツ科学センター(北区)の陸上トレーニング場にある。
新国立の建設に伴い、二〇一四年に移され、一般の目に触れることはない。
新国立のフィールドに戻り、かつてのように多くの観客に見守られるかどうかも不透明だ。
国は二〇年大会後、新国立の維持管理費を賄うため収益性の高いサッカーなどの球技専用とする方針。
陸上トラックの場所には観客席を増設する。
新国立を所管する日本スポーツ振興センター(JSC)も「織田ポールをどこに設置するか決まっていない」と認める。
織田さんの次男で、日本マスターズ陸上競技連合名誉副会長の和雄さん(81)=目黒区=は
「二〇年大会を前に『レガシー』という言葉を盛んに耳にするが、国やスポーツ界は本当にその意味を理解しているのか。そのレガシーが置き去りにされているように思えてならない」と指摘する。
織田幹雄スポーツ振興会(広島県海田町)の青木義和理事(66)も「二〇年大会でも新国立に織田ポールを立て、日本のスポーツの歴史や過去の選手たちに思いをはせるきっかけにしてほしい」と願っている。
<織田幹雄さん> (1905〜98年) 広島県海田町出身。28年アムステルダム五輪の陸上三段跳びで日本人初の金メダルを獲得、31年には15メートル58の世界新(当時)を樹立した。
64年東京五輪の陸上日本代表総監督、早大教授、国際陸連技術委員、日本陸連名誉会長などを務め、「日本陸上界の父」と呼ばれた。
88年、文化功労者。織田幹雄記念国際陸上競技大会が毎年、広島県で開かれている。
旧国立競技場の解体で国立スポーツ科学センターの陸上トレーニング場に移設された「織田ポール」=東京都北区で(市川和宏撮影)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/images/2017082899070243.jpg