築地場外市場火災1カ月 店再建いつ…苦闘
東京新聞:2017年9月3日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017090302000103.html

ブルーシートに覆われた、火災から1カ月の現場。黒焦げの屋根や看板がのぞく=東京都中央区の築地場外市場で
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 東京都中央区の築地場外市場の火災から、三日で一カ月となる。
被災した十六店のうち、別の場所に仮設の店を構えるなどして営業を再開したのは、本紙が確認しただけで七店。
ブルーシートに覆われた焼け跡は片付けが始まったものの、再建時期のめどは立たず、店主らの苦闘が続く。 

 火災では七棟が全焼。火元のラーメン店のほか調理器具や加工食品、海鮮丼店など十六店が焼失または放水で水浸しになり営業できなくなった。
二つの店は焼け跡から百メートルほど離れた建物二階の一部屋を借り、被災翌日から営業している。

 総菜店「菊屋中村」の中村幸男社長(69)は、全ての商品、顧客情報を記録したパソコンを焼失。
「終戦直後の創業以来、最大の試練。火事は泥棒より怖い。全部持ってっちゃうから」と冷房のない部屋で、汗だくで伝票を書いていた。

 火災から二十日ほど後には、少し離れた大通り沿いのビル一階に売店も開いた。
「とにかく一日でも早く元に戻れるよう頑張るしかない」と汗をぬぐう。
隣で取引客への対応に追われていた包装用品店「折松」主任の松本裕太朗さん(30)は「働ける場所があるだけでありがたい。元の場所で再建し、新しい業態も考えたい」と笑顔を見せた。

 青果店「内野商店」も被災翌日から、早朝に道端に段ボール箱を並べて野菜などを売る。
「お客さんがいるから休んでいられない」と店主の内野良平さん(64)。他に築地市場の場内で部分的に営業を始めた店もある。

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 市場の振興に取り組むNPO法人「築地食のまちづくり協議会」の鈴木章夫理事長によると、店は元の場所での再建を目指し、地権者らと話し合っているが、時期などは未定。
鈴木理事長は「場外市場全体で協力して復興したい。がれきの撤去を進めて、年末に間に合うように十一月末ごろには元の場所で仮設の店を出せれば」と話した。

 中央区は八月下旬、場外市場にある商業施設「築地魚河岸」の屋上で、テントを張って仮の店を開くことを被災店に提案。
九月中の営業開始を目指し、希望者を募り、営業時間などの調整を進める。

◆「なじみ客の励ましを力に」 海鮮丼店 全焼逃れ再開

 被災した十六店のうち全焼を免れた海鮮丼店「築地どんぶり市場」が一日、一カ月ぶりに元の場所で営業を再開した。
カウンター六席の店は活気づき、火災前の光景を少し取り戻した。

 出火当時は営業中で、火の手が迫って避難した。
道の向こうから見守るしかなかった鳥山美典(みのり)社長(64)は「祈るしかなく、涙が出た」と振り返る。
店内は焼けなかったが、放水で水浸しに。家族総出で片付けた。冷蔵庫やガス台などは新調せざるを得なかった。

 十年以上通う台東区の男性会社員(40)は「お気に入りのマグロざんまい丼がまた食べられてよかった」。
二代にわたって築地で働く鳥山社長は「感無量。なじみ客の励ましが力になった。火災で、この一帯の客が減ったような気がする。全体が元通りになるよう、頑張らなくちゃ」と話した。

<築地場外市場の火災> 8月3日午後4時50分ごろ、ラーメン店から出火。
7棟935平方メートルを全焼した。けが人はなかった。早朝から営業する店が多く、
従業員らが少なくなる時間帯に発生し、密集した木造の建物は鎮火まで15時間以上かかった。
警視庁は、調理場の壁の木材が、こんろの熱で長期間かけて炭化して発火する「伝導過熱」が原因とみている。