>>21
秀吉と勝家のうち、滅亡寸前だった上杉と対峙する勝家とまだかなりの動員力のあった
毛利と対峙する秀吉では勝家の方が来襲する可能性は高かった
秀吉は敵地で孤立して身動きできないと想定して近江方面に兵をさき
対勝家防衛線を最優先で構築するのが光秀の戦略だったと思われる
実際、本能寺の後光秀真っ先に近江平定に手をつけている
安土入城もその一環だ

勝家を破れば畿内の日和見してる勢力(細川、筒井その他)が味方につく可能性が高まる
更に友好関係にある長宗我部を上洛させれば明智軍の総兵力は5万を超えたはず
ここまでくれば天下は見えたと思うが