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生き残った兵士渡辺清の名著『戦艦武蔵の最期』1982年刊。
http://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/26986707.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-19/2012031915_01_1.html
北緯12度50分、東経122度35分
「砕かれた頭蓋骨、どろどろの脳液、吹っとんだ首、縄のようにもつれた腹わた、ちぎれた手足、そして床一面の血だ。
血は折り重なった死骸の下をあらいながら、
入り口のへしゃげた防水扉の隙間から通路がわへぴたぴたと流れ出た。
天井やまわりの壁もはねた血でずっくり濡れ、ところどころ肉片が平たくはりついていて、そこからも血の滴りが雨だれのように垂れていた。」(160-161頁)
「・腹わたは血につかって彼の足元にもつれた縄のようにひろがっていた。
うす桃色の、妙に水っぽいてらてらした色だった。
少年兵は途方にくれながら、わなわなふるえる両手でそれをかきよせ、もう一度それをさけた下腹の中へ一生懸命押しこめようとしていたのだ。
そうすれば、またもと通りになると思ってでもいるように・・・・・・。」(197頁)
渡辺清『戦艦武蔵の最期』朝日新聞社(1982年)https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=115046
自ら進んで海軍に入隊した渡辺は、戦艦武蔵に乗船し、1944年にレイテ沖海戦を体験することになった。
レイテ沖海戦とは、フィリピンに上陸した連合国軍を迎撃するため、日本海軍がおこなった勝算の少ない殴りこみ作戦(捷一号作戦)で生じた戦闘のことであり、
ここで不沈艦といわれた戦艦武蔵は多数の魚雷・爆弾を受け沈没した。
渡辺は、『戦艦武蔵の最期』で、凄惨を極めた武蔵の艦上の様子を、体験者でなければ書くことはできないリアリティーでもって描いている。
こうした記述をとおして渡辺が伝えようとしているのは、
「その死は一様に醜く無残だった」(205頁)ということである。
戦場における死は「『勇ましい』ものでもなかった。


http://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/26900150.html
あの残虐な戦争の時代、最も勇敢で、最も聡明で、最も美しい日本人は反戦・反軍のたたかいを貫き通して倒れた若者たちだ。
腐敗を極めた軍事財閥の薄汚い侵略強盗殺人共犯者として諾々と特攻して行った情けない人間のクズとしてのパシリ神風特攻隊や朝鮮半島で慰安婦買春に明け暮れていた侵略強盗殺人の日本軍犯罪英霊兵士ども。
侵略強盗殺人で家族を殺されたアジア幾百万の被害者が靖国英霊兵士を許すことはないだろう、
http://vn-hochiminh.seesaa.net/article/166055185.html