高松市香川町に年齢を合わせると、206歳になる夫婦がいる。松本政雄さん(107)、ミヤ子さん(99)。80年間寄り添い、戦争や病気を乗り越えてきた。今は老人ホームで一緒に穏やかな時間を過ごしている。18日の敬老の日を前に「これからも2人で幸せな人生を歩みたい」と元気に話す。(岸田藍)

◇「おじいさんの世話したい」「妻支えていきたい」

普段、車いすのミヤ子さんが、久しぶりに部屋のソファに座ると、隣の政雄さんは自然と妻の手を握った。ミヤ子さんは「ずっとまじめな人で遊びもせず、家族をやしなってくれた」と夫を立て、政雄さんは「妻の料理はどれもおいしくてね」とほほ笑んだ。

生まれは、政雄さんが1910年(明治43年)、ミヤ子さんが1917年(大正6年)。ともに大分県出身で、知人を介して出会い、1937年に結婚した。政雄さんは満州事変、日中戦争、太平洋戦争と3度、出征を経験した。

戦争中、ミヤ子さんは同県別府市にある政雄さんの実家で、2人の幼い子どもを育てながら留守を守った。シンガポールで捕虜となった政雄さんが帰国したのは、終戦から約1年後。「骨と皮だけで帰ってきた」。ミヤ子さんが当時のことを思い出すと、政雄さんは「妻と子どもの元に帰って来られてうれしかった」と目を細めた。

戦後、政雄さんは運輸省(当時)で港湾関係の仕事に就いた。さらに3人の娘を授かり、転勤が多かったので家族で各地を回った。ミヤ子さんは、専業主婦として家庭を支え続けた。

政雄さんが退職後、再就職先の会社があった高松市に移り住んだ。娘が結婚した後はずっと2人。海外、国内と、よく旅行に出かけた。90歳を過ぎても誰の世話にもならなかったが、昨年9月、体力的にミヤ子さんの家事が難しくなり、施設に入った。

それまで2人に大きなけがや病はなかったが、同12月、政雄さんが肺炎で入院。10日ほどで退院したが、今年3月、ミヤ子さんが部屋で転倒し、足を骨折した。入院して寝たきりになり、食事もできなくなった。

「妻が元気になりますように」。政雄さんは毎朝、部屋の窓から朝日に向かって祈った。思いきって1週間で退院させ、施設での2人の暮らしに戻ると、ミヤ子さんはその日から食事を始め、車いすで日常生活ができるまで回復した。


*****
引用ここまで全文は下記よりお願いします
http://sp.yomiuri.co.jp/local/kagawa/news/20170916-OYTNT50147.html