【追悼】洞爺丸台風から63年 追悼の法要 北海道 [無断転載禁止]©2ch.net
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http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170926/k10011157141000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_028
津軽海峡を挟んで青森と函館を結んでいた「洞爺丸」など5隻の青函連絡船が台風で沈没し、1400人余りが犠牲となった海難事故から26日で63年です。現場に近い北海道北斗市の寺では犠牲者を追悼する法要が営まれました。
63年前の昭和29年9月26日、津軽海峡を航行していた洞爺丸など5隻の青函連絡船が台風による暴風と高波で転覆、沈没した事故では、犠牲者は合わせて1400人余りに上り、日本の海難史上、最悪の惨事となりました。
26日、事故現場に近い北海道北斗市の寺で犠牲者を追悼する法要が営まれ、遺族や市の関係者などおよそ50人が出席しました。法要では、寺の住職による読経の中、遺族らが焼香し、供養塔に手を合わせていました。
海難事故で父親を亡くした函館市の大原愼子さん(68)は「事故の記憶を風化させないためにも、これからも法要を続けてほしいと思います」と話していました。
9月26日 17時43分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170926/K10011157141_1709261740_1709261741_01_02.jpg
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170926/K10011157141_1709261740_1709261741_01_03.jpg 過ぎ去った事なのに、いつまでもネチネチと・・・朝鮮人みたい。 亡くなった人達、もうみんな生まれ変わってるんじゃね? 北斗市なんて初めて聞いたわ
合併でできたんだろうけど、旧市名を10年は書いてくれなきゃなじまないぞ GHQのせいで
安全で高性能なフェリー造れなかったのが原因
しっかりした造りの船なら耐えられた さんざんおねだりして掘ったトンネルも、次第に普通列車は減り、新幹線特急料金払わないと利用できなくなったので、最近は青函フェリー(株)を使ってるよでござる バブル期のスパビーチで泳ぐと
足引っ張られたんだろう? ^ ^の婆ちゃんは乗船前にスリにあって
助かった。 いっぱい死んだからね。死ぬときは大勢と死なないともったいないよ 船の事故で一度に1400人死亡か
さすがにこれは凄まじいな この事故のあと、1年くらいはこの辺でとれる魚介類は商品にならなかったんだよな。
みんな髪の毛を飲みこんでて… >>11
これでも事故の1カ月前には天皇のお召し船として航行したんだけどな 2分間の停電が無かったら無事に航行できてたと言われてる
運命ってどうなるかわからんね 台風で船が沈没して1000人以上が死ぬとか
今じゃ考えられんなあ >>11
無理に出港した原因の一つも
GHQ
GHQが乗ってた その後ナゾの都市電鉄でタコやケガニが売れなくなったらしいね これの資料館に行ったとき
浜に数百の遺体が次々打ち上げられたというのがトラウマになった
311津波の際若林区の海岸に数百の〜という報道でそれが思い浮かんだ 飢餓海峡のモチーフだけど今なら実際の災害をネタにサスペンスなんか作ると批判されそう >>33
いま、尼神インターの誠子ちゃんが千鳥のノブに
「しばらく水に浸かってたの?」って訊かれてた いつまで・・・っと思ったけど1200人?!こりゃ酷いな もういい加減に成仏させてやれよ。
洞爺丸の海難事故で青函トンネルも巨額の費用で出来た。
北海道新幹線も走った。生きている人が「風化させない」とか勝手な理屈で
死者を現世に縛っても死者は浮かばれないぞ。そういうのを我執という。 >>19
まるまる太ったタコや魚が大漁だったので意気揚々と持ち帰って捌いたら
魚の腹やタコの頭から髪の毛や歯や骨片がゴロゴロ出てきたという 洞爺丸はなぜ沈んだか、は上前淳一郎だっけ、傑作ノンフィクションだったよね、支店長はなぜ死んだかと並んで >>18
その話は奥尻島の津波の時も聞いたな
東日本大震災はどうだったんだろ >>44
津波と原発事故で漁どころじゃなかったわな 今サンマが捕れないのはサンマの産卵地が福島沖だからだぞ >>44
被災者の生活支援や漁業が復活し始めた頃に「今年の東北のカキは例年より大きくて身がプリプリしてる」
みたいなニュースがあった記憶がある
被災者の遺体を食ってそうなったのか、漁業が止まってたのでその間に成長したのかは分からんが むかしコミケ帰りによった
お台場の船の科学館羊蹄丸で知ったわ 台風が通り過ぎたと勘違いして出航
欠航にしたくない国鉄の判断ミス
船のなかに列車収めてて重心が高かった
列車格納扉から海水が浸水して、ボイラーで水蒸気爆発起こした
結果、富士山にレーダー設置するプロジェクトXスタート
なお、この台風のちょうど五年後に伊勢湾台風がありました >>24
当時の新聞の縮刷版見ると、海岸に遺体がズラーッと並べてある写真が一面使ってデカデカと載ってるよ。 青森の連絡船入換用の9600形が右運転台仕様に改造されなかったのは何か理由あるの?
青森駅の航送線も右にカーブしてたよな? 船に列車ごと載せてたのは凄いよね。今もやろうと思えばできるのかな? どこかのサイトで、この台風の進路再現図を見たけど
停滞状態から一気に北上する動きが異常すぎ。
レーダーとかない時代に、あれはキツイわ。 >>52
海外は今でも平気で遺体画像を報道してるんだよな
アジアだけじゃなくてアメリカのニューズウィークとかでもそう
なんで今の日本は載せない方向になったんだろう 遺体画像を乗せちゃうと死因や死者数を捏造できないからなあ >>58
日本の場合『エグい写真が見たければ写真週刊誌を買え』って感じで
住み分けができちゃったからね。
海外では写真週刊誌ってあんまりないんだろうか? >>29
あれっ俺が聞いたのは
国鉄幹部が乗っていてはよ出港しろ 会議に間に合わないだろうが
お前の首なんぞどないでも出来るんやぞ
と船長を恫喝したと聞いたけどな せっかく普通列車がトンネル走るようになったのに、また船に戻った >>51
違う佐渡島を過ぎた辺りから猛烈な速度で進んでいたけど
当時は観測出来なかったためにまだ台風はまだ来ないだろうと思われていた 飢餓海峡1964年12月27日公開
(東京オリンピック1964年(昭和39年)10月10日〜10月24日)
水上勉の同名小説を「鮫」の鈴木尚之が脚色
「宮本武蔵 一条寺の決闘」の内田吐夢が監督
撮影は「路傍の石(1963)」の仲沢半次郎。
昭和二十二年九月二十日十号台風の最中、北海道岩内で質店一家三人が惨殺され、
犯人は放火して姿を消した。その直後嵐となった海で、青函連絡船の惨事が起き、
船客五百三十名の命が奪われた。死体収容にあたった函館警察の刑事弓坂は、
引取り手のない二つの死体に疑惑を感じた。
船客名簿にもないこの二死体は、どこか別の場所から流れて来たものと思えた。
樽見京一郎/犬飼多吉:三國連太郎
杉戸八重:左幸子
弓坂吉太郎刑事・元刑事:伴淳三郎
味村時雄刑事:高倉健
杉戸長左衛門:加藤嘉
本島進市:三井弘次
本島妙子:沢村貞子
荻村利吉東舞鶴警察署長:藤田進
樽見敏子:風見章子
小川:亀石征一郎
和尚:山本麟一
町田:八名信夫
室田日出男 今の時代なら911貿易センタービル崩壊くらいのインパクトがあった事故だな。
おかげで超頑丈な津軽丸級7隻(旅客死亡事故ゼロ)をつくり、青函トンネルまで掘り抜いてしまった。
5隻合計の死者数はタイタニックに近い数字になって世界中を驚かせた。
富士山レーダー(現在は廃止)も、天気衛星もない時代。各地の測候所の気圧・風向をマメに捉えて
自分で天気図を引く世界。韋駄天から急激に速度を落として停滞した台風の位置の判断など無理な相談。
日本海に出た快速台風は東北地方を横断して太平洋に抜ける、と近藤船長は判断したが、実際は
急速にノロノロになって日本海を北上。極めて巨大化して北海道全域に被害を及ぼした。
大雪山を抜ける石北峠は、この時の風倒木を4年がかりで降ろすために建設された。旭川〜北見・網走は
それまでは遠軽を迂回する道しかなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています