【のりもの】国産旅客機「YS-11」が消えた理由。開発には、あの零戦設計者も・・・。今もひっそりと眠る「量産1号機」 [無断転載禁止]©2ch.net
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9月30日は、国産旅客機「YS11」が国内定期便から引退した日です。2006年のことでした。
宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」で注目された堀越二郎氏も開発に関わり、戦後初の
国産旅客機として親しまれました。「整備に手間がかからず、農耕馬みたいなところがいい」
と言われた「YS11」はなぜ引退したのか。その歴史を振り返ります。
■戦後復興の象徴に
「YS11」は、全長26.3メートル、全幅32メートルの双発プロペラ機です。戦後の航空機製造禁止が
1950年代に解除され、官民共同出資の「日本航空機製造」が開発しました。
開発には、ゼロ戦の堀越二郎氏、飛燕(ひえん)の土井武夫氏、2式大艇の菊原静男氏、
隼(はやぶさ)の太田稔氏と、日本の名機の設計者たちが協力して設計しました。
1964年の東京五輪で全日空が聖火の輸送に使うなど戦後復興の象徴となり、
各地の旅客便や海上保安庁で活躍しました。182機が造られましたが、採算が取れず
1973年に生産を終えました。
■「パイロットの技量が試される」
「YS11」の特徴の一つがエンジン音です。離陸時には「キーン」というロールスロイス製独特の
エンジン音が滑走路に響きました。
2006年9月30日、鹿児島県・沖永良部島から鹿児島空港への国内定期路線最終便の
操縦桿(そうじゅうかん)を握った本村栄一さんは、到着地の天候やフライト状況を客室に
アナウンスした後、「ロールスロイス・ダートサウンドをお楽しみください」とエンジン音の紹介で
締めくくりました。
本村さんは、新鋭機のようなコンピューター制御ではなかったため、逆に
「パイロットの技量が試されることになり、基本をたたき込んでくれた」と語っています。
■4千万円の衝突防止装置つけられず
「YS11」は、なぜ姿を消したのか。その理由は、衝突防止装置でした。
衝突防止装置は、接近するほかの航空機が発信する信号を受信して、空中衝突の恐れのある
航空機との衝突回避に必要な指示をパイロットに伝えるものです。
2001年1月の航空法改正で旅客機の大半に衝突防止装置の搭載が義務づけられました。
運航年数が長かった「YS11」は猶予期間が設けられましたが、一機当たり約4千万円かかり、
採算性から猶予期間が切れるタイミングでの引退が決まりました。
■ひっそりと眠る量産1号機
実は、東京・羽田空港の一角で「YS11」の量産1号機がひっそりと眠っています。
2機の試作機を基に改良を重ね、量産化に道筋をつけた1号機で、1964年に初飛行しました。
運輸省(当時)が空港の灯火や誘導施設の検査に使い、1998年に引退。99年に国立科学博物館が
引きとりました。「YS11のなかでも特に記念碑的価値の高い機体」として、日本機械学会が
「機械遺産」に認定しています。
電源を入れると正常に動き、「飛べるように戻せる状態」だといいます。
2010年には、格納庫での年間約900万円の維持費が民主党政権の事業仕分けの対象となりました。
2015年を最後に一般公開は途絶えています。こうした現状に関係者は危機感を抱いており、
一般展示をめざす動きも出ています。 日本が戦後初めて作ったということ意外はたいしたことなかったんじゃ・・・ 当時、ある通産官僚がアジアだけで500機は売ってみせると豪語していたがな… エンジン出力の割には重い
機体強度が過剰だった
しかも油圧操縦でもなかったのでパイロットの疲労が大きい 高松空港に2つあるね
一機は飛ぶやつ
もう一機は、隣接する南側の公園に飛べないけど鎮座
タイミング合えばコックピット入れるらしいが、なかなか行けない 俺、日本人。だから、英国製エンジンが残念なんだ。MRJは米国製。 一度乗ったが機内はうるさかった、気持ち悪くなった。 >>3
心にも無い嘘を言って予算を得るのはMRJの時代にも引き継がれているようだなw 戦前の技術で軍用機しか開発したことない設計者に、コストやユーザー・乗客への考慮が必要な民間機をいきなり作らせたのが無理な話。 戦後初の国産旅客機ということ以外は特筆することが無い、旅客機としては正直ビミョーなんじゃなかったっけ? グライダー滑空できるんだよね
エンジンが止まってもご安心くださいとか 最後の乗ったのは那覇-久米島だったな
最後に見たのはかかみがはら 昔、南紀白浜まで乗ったことがある。
小さくて遅い飛行機だった。 ゼロ戦は職人技を持った人が組み立てないとちゃんと性能が出なかったんだろ。 来週SAABのレシプロ機に乗る
憂鬱だ
ボンバルディアも嫌い
YSには乗った記憶はない >>26
レシプロエンジンじゃないだろw
プロップ機 同じくらいの年代のフレンドシップというのはもっと怖かったな
飛行機で初めて眠れたのは727が導入されたときやね >>31
小学生の頃それに乗って北海道へ行った
お菓子と727の模型を貰ったな
ずーと机の上に飾ってたが親の離婚の際にどっかなくなった
惜しいな 自衛隊がまだ使ってるんじゃなかったっけ?
飛んでるの見たぞ。 営業飛行での乗客死者ゼロ
ボーイング747より遥かに優秀だ、なんたって世界一の殺人飛行機だからなジャンボ ちょっと前までモノレールから建物の中に入っている機体の後姿が見られたよね。 あの零戦設計者もなにも
指揮は全員が戦闘機開発者だっつの 昔はオンボロ飛行機の代名詞だったのに、一時期悲運の名機みたいに扱われて気持ち悪かった
MRJが失墜したお陰でYS11もボロいイメージに戻れて良かったw >>33
自衛隊が使ってるのはエンジンやプロペラ変えて改造したスーパーYSってやつでは >>35
?
松山沖と函館山に墜落して何れも乗客乗員は全員死亡の事故を
起こしているけど? 国策開発ならば継続的に設計改良したりエンジンとか部分的に国産化したりすれば良かったのにね
ゼロから民間ベースで全てを成功させようとしても航空機は難しすぎるだろうに ジェットより乗ってて安心感があった。
振動や騒音が大きいが,それが逆に飛んでいる飛行機の状況を
自分に伝えている感じがした。
まさに飛んでいるということが実感できた飛行機だった。 初めて乗った飛行機がYS-11だったな、遠いおもひで。 >>1
ゼロ戦みたいに操縦がキビキビしてたらしいね>YS-11 反日国の雑魚どももさ、
日本が黙ってるからって調子に乗って挑発行動繰り返してたら、
日本人の堪忍袋の緒が切れるぞ?
仏の顔も三度までだぜ?
日本人は我慢出来るところまでは我慢するが切れたら徹底的に相手の戦意が無くなるまで戦うぞ?
戦後なぜアメリカが日本人に戦闘機を作らさなかったか分かるか?
戦後なぜアメリカが天皇陛下の地位を無くさなかったのか分かるか?
戦後なぜアメリカがWGIP使ってまで徹底的に日本人を骨抜きしようとしたか分かるか?
終戦間際なぜアメリカが日本の神風特攻隊に恐れおののいていたか分かるか?
終戦間際なぜアメリカが硫黄島の壮絶な戦いをクローズアップするのか分かるか?
戦後なぜ白人どもが原爆で荒廃した広島長崎が大復活したことに心のそこから驚いたか分かるか?
2011年なぜ白人どもが未曾有の東日本大震災での日本人の我慢強さや規律正しさに恐れおののいたのか分かるか?
それにな、
日本人が世界で最も戦闘民族だったってことを忘れるなよ?
弱い犬ほどキャンキャン吠える
雑魚ほど調子に乗る
日本人とは真逆の臆病者ども
特に船客差し置いて船長がパンツ一丁で真っ先に逃げ出す臆病者の国民性の雑魚ども. >>1
> 2010年には、格納庫での年間約900万円の維持費が民主党政権の事業仕分けの対象となりました。
あらゆる点において恐ろしいほどろくなことをしない連中だな(´・ω・`) YS11だとやたらプロペラ機としたがるんだよね
ターボプロップ機であってターボジェットと大差ないのに >>33
無線電波環境の測定機だよな
近くに航空自衛隊松島基地があるが年に数回は飛来して低空でグルグル飛んでるの見る >>47
ターボプロップもジェットエンジンの仲間だけどな。 衝突防止装置を300万ぐらいで作れないのかね
アメリカの利権になってるのか 音はプロペラ音がするね 先日、プロペラ音がしたんで調べたら
どうやらボンバルディアであった ターボプロップな できれば国宝にしてもらいたいが、せめて重要文化財指定はほしいものだ ライバル機にコストで太刀打ちできなかったから消えたんでしょ。 大型機じゃなくて、
サーブとかボンバルディアとか
たまに乗る機会があると
わくわくするね。
YSにも乗りたかったなあ。 機密保持で破棄した戦前の軍用機と違って図面が残ってれば実機保存は必要ないだろ >>68
ワクワクよりドキドキが多いな。
憂鬱だ。 サイタマーやグンマーだと割と高確率で見かける>空自YS 昔727のラストフライトに偶然乗ったぞ 当時は3発とか全然
知らんかった 零戦とか、隼とかYSなんかは、国立の工業製品歴史博物館にちゃんと保管しとけよ >>70
沖縄の遊覧飛行でセスナの
操縦桿握らせてもらったことがある。
旋回と上昇下降はやらせてもらった。
着陸は無理っぽいので
やらなかったけど。
沖縄空港が新しくなる前なので
もう随分昔の話だ。 乗り心地が悪すぎて旅客機というより軍用機
振動と騒音がすごい 入間基地の点検隊のが今も飛んでるから身近な存在。
航空祭でも飛ぶよ。 上野の科学博物館に、このYS-11を保存するための募金箱があった >>79
入間のYS-11FCも退役が近いから見られる時に見ておいた方が良いよ 25年ぐらい前に一回だけ乗ったことがあるな。
何でか分からんが、当時ジェット機の便が普通だった大阪-松山便で。
普通のジェット機よりも高度がえらい低かったのと、
ボーンという特徴ある音が印象的だった。 >>84
ロールス・ロイスとゼネラル・エレクトリックが混在してる >2010年には、格納庫での年間約900万円の維持費が民主党政権の事業仕分けの対象となりました。
2015年を最後に一般公開は途絶えています。こうした現状に関係者は危機感を抱いており、
一般展示をめざす動きも出ています。
ほんとこの反日売国ども国賊だな なんか民間機だけれど、ロマンの象徴みたいなヒコーキみたいね。プロジェクトX的な。古い英米の冒険小説にやたら出てくるのはなんだっけ? >民主党政権の事業仕分けの対象となりました
ひえ〜
ほんと民主党って糞だったんだな >>43
ばんだい号が墜落したのは函館山じゃなくて横津岳だよ
全員死亡だったな
事故原因は未だに解明されてない >>61
プロペラのビート音もしなくは無いけど、エンジンの減速機の音の方が大きい。ギーン、キーンって音。ロールスロイス ダートの特徴。
>>86
息子 開発には堀越も関わっているが初期に引退したはず、実際の開発は東條(東條英機の子)だったような。 子供の頃、和歌山の別荘へ行く時にいつも乗ってたやつだ >>94
息子さんかー
プロジェクトXで見た気がする ジェットは全エンジンがコケるとほぼアウトだが、
プロペラは滑空(だっけ?)できるから安全という生存率が高いとかって聞いた。
でもやっぱ遅いから旅客には使えないよなぁ。。。 翼に近い座席だとロールスロイスのマークが見えて
その時だけ高級な乗り物に乗れたという感慨があった >>95
東條は試作機が出来た頃に三菱に戻ってしまって、でもYS11の開発が
うまくいかなくて再度開発の責任者に就いたんだよな。
基本設計をした戦闘機の設計者たちは早々に抜けてしまうし、開発体制
がグダグダだったような。 近所の自衛隊基地ではまだしょっちゅう飛んでる。
独特の柔らかい音ですぐ分かる。 >>107
>>100をもう一回読んだら? お前は「三菱」の文字に反応するBOTかよw >>57
> >>33
> 無線電波環境の測定機だよな
> 近くに航空自衛隊松島基地があるが年に数回は飛来して低空でグルグル飛んでるの見る
松島基地で昔YS-11乗ったなぁ 座席が左右に向い合わせに付いていた
かなり急角度で離陸上昇した記憶がある 機体が重量オーバーをエンジン出力向上でカバーするための燃料にアルコール噴射の
アフターバーナーのようなことをしてたし、かなり無理矢理感があった。 こうやって日本の遺産を鉄くずにしてくれるのが民進党 スミソニアンみたいな博物館が日本にあればいいな
YS君も展示してあげるのに >>109
三菱はグダグダなイメージあるけど。
飛行機、自動車、造船、銀行。
まともなのは鉛筆だけ。 >>114
>>100は三菱の話なんかしてないのに君のイメージ語られても。 >>86
他人の息子はあれだけ殺しておいて
自分の息子は徴兵の心配の無い理工系に進ませたクズ >>117
理工系は徴兵されなかったのか?
生きづらく無かったのかな戦犯の息子で。 >>117
敗戦時の総理大臣ってかわいそうだね
まあ頑張ったと思うわ 飛行機は時代に合わなくなれば大概終わるよな
零式もそう、デビューしてたった2年ほどで対応出来なくなってて凌駕されたし >>122
パイロットが素人しかいなくなったのでは。 厚木でもたまに飛んでるけどあれ違うのか?
独特の甲高いエンジン音だからすぐわかる >>56
燃焼形式がどうであれ、プロペラ付いてるからな >>124
そうだったw
小磯さん鈴木さんはあんま言われてないね >>122
メッサーbf109は10年近く第一線で飛び続けた。
単に長寿だけでなく、後期の主力GタイプはP51と互角に渡り合った。
バージョンアップに耐えるゆとりのある基本設計だったんだろう。 素人目だけれど、レシプロ機より余程簡単なエンジン構造じゃん、ターボプロップ。単発で作って、ミニバン感覚でバンバン飛ばせばいいのに。ホンダは何やってんだ。 一度乗ったことがある
荷物を置くところすらなかった
あれを誇る気にはなれん >>113
大阪で建設を目指してた国立産業技術史博物館のために集めてあった工業史料2万点を橋下に廃棄された 4000万円のTCASを付けると採算が取れないとか、どんだけひどいレベルの飛行機だよ。
この機体はある意味戦後の亡霊で日本の航空業界の足を引っ張っている亡霊でもあるのにな。 >2010年には、格納庫での年間約900万円の維持費が
>民主党政権の事業仕分けの対象となりました。
やっぱりあいつらはバカだった。 >>120
理工系大学生は兵器開発とか設計とかで温存
学徒出陣で送られたのは文系大学生が多い >>135
事業仕分けの結果展示しろってなったんだから正解でしょ
http://www.asahi.com/airtravel/TKY201011200189.html
2010年には、格納庫での年間約900万円の維持費が民主党政権の事業仕分けの対象となった。
「早期に常設展示を」と指摘され、科博が航空イベントなどで一般公開を進めたが、
ビジネスジェットの駐機場工事の支障になるなどの理由で、15年を最後に一般公開は途絶えている。 日本の航空業界の連中はいまだに戦後8年の飛行禁止令が技術力も操縦もダメにしたとかいうけど、
本当にウザいよな。英語もまともに読めない連中が自分達が素晴らしい技術力を持っていたと自画自賛して
全く海外の情報を得てこなかったら完全に置いてかれただけなのに、それを認めようとしない。マジで井の中の蛙だよ。 >>1
> 2010年には、格納庫での年間約900万円の維持費が民主党政権の事業仕分けの対象となりました。
> 2015年を最後に一般公開は途絶えています
おい、クソ民主党なにしてくれとんねん
当時民主党にいた政治家共は首吊ってこいや 飛行機製作の過程で生まれた練習作品に過ぎないのに浮かれたアホが持ち上げまくっただけ
ただの通過地点として粛々と進めればよかった 展示なのか知らないが羽田空港で道路から見えるように毎日置いてたよな
時折角度を変えて
道路から撮影してねってサービスだったのかな?
あと戦闘機設計の技術者ばかりで次々と不具合発覚するんで輸送機の設計は無理だと途中で降りて東条英機の次男に開発を託したとか てか、羽田空港って岸信介聖戦士の孫の国会安倍晋三が利用するたびにテロ攻撃を恐れて離着陸する時間に周辺の道路を封鎖するのやめてくれないかな >>112
SLの話になるとムキになる人は居たなw >>7
極度の軽量化で悲劇の末路を辿ったゼロ戦の経験があるから重くなったのかな 100万で入札流れて最終的に70万だか90万で売れたんだっけ? >>2
三菱MU-2や、MU-300の方が成功作だろうけど
旅客機より遥かに小型だったし >>145
ゼロ戦は別に軽量化してないぞ。アメリカ機に比べれば軽いってだけで。
行き過ぎた軽量化があったのは、
1式戦闘機・隼だった。機関銃の増設を考慮しない主翼で軽量化を図っている。 MRJが初飛行したときに三菱航空機は日本航空機製造の二の舞になる、って言ったら
ここでボロカスにたたかれたんだけど… >>142
>>146
アレは別の機体
今は高松空港で放置されてる >>44
輸(Y)送機設(S)計研究協会
エンジン候補番号1
機体仕様案1号
でYS-11だぞ >>140
公開もしないのに金だけよこせと言われても、という話だぞ、それ。
ちゃんと公開するなりしろ、と言われたんだぞ。 事業仕分けで蓮舫に「公開の努力はしているのか」って怒られて「してませんでした」って
答える羽目になっただけで別に予算はカットされてないからな >>139
ワイヤーを圧力センサーに見立てて、速度によって舵を適切な角度に自動調節する
フライバイワイヤのような発想がゼロ戦にはあった。
一式陸攻も、重心位置と浮力の中心の相関性で操舵を改善する試みが行われた。
戦前も、試作段階で方向舵を何度も再設計して操舵力の最適値を探したり
空中でのGを発生をトレースした繰り返し荷重で金属疲労による強度低下を厳密に把握していた。
フラッター発生条件を数式化したのも戦時中の日本が初だった。
8年の禁止が無ければ
圧力制御や、振動制御、強度の管理などで発明が行われていても不思議ではない。
後発にはなったものの、F-2戦闘機では素材面も含↑の分野で一流の成果を上げることができたが。
ほか戦後に重点をおいたのはフラップに気流を噴射する実験だった。 外国の部品メーカーに 「買うから設計図くれ」 と持ちかけてコピーして作った無断コピーの塊。
国産部品など使っていない。 >>150
本当の事を言われると悔しくて、人をチョン呼ばわりしかできないクズ。
日本の現在の航空業界を見ていれば、製造も行政も立法も完全に置いてけぼりだろ。 >>148
軍の要求する速度と運動性を両立させようと軽量化したんだぞ
それが後に仇となった >>130
Bf-109は余裕のない設計の代表だろ。
G型で最大速度が向上しているが、時速400qを超えると猛烈に運動性が悪化。
もともとが時速340〜400q台での運用を想定した設計だったからだ。
そのため尾翼は小さく、強度も弱く修正を繰り返している。
新型の1500馬力・DB605エンジンが、1000馬力DB601系と大差ないサイズであり機体に押し込めたが
これはエンジン側の功績であって、
機体としては降着脚を再設計しなければならなかった。
それ以前も、F型で機体外面の設計をやり直したが
内部構造は手の加えようがなく、欠点だった主脚の改良や武装増大を諦めている。
機体構造を見ると、主翼の1本桁をボルト3本(左右で6本)で支えて
タイヤの収納部やラジエター取りつけ部も翼下面に大きく開口しており、
主翼に負担をかける改造が困難だったことが判る。
ゼロ戦の場合は、主翼の2本桁が胴体中央で箱型に結合され
タイヤの収納も胴体側で、脚柱部分を避けつつ太いリブが翼前縁まで伸びている。
22型で主翼燃料タンク増設
52甲型でベルト給弾改造
52丙型で主翼機関銃を増設
62型で、落下式燃料タンクの翼への移設
など発展猶予を確保できた。
胴体側も、エンジン全長の長い栄21型の導入を見越して、エンジン架取りつけと防火壁位置を
後退させる前提で設計され
32型・22型・52型まではほぼ共通の胴体を使っている。 >>78
疾風は個人が購入し飛行された後に亡くなられて、
私立の美術館やテーマパークの倉庫を転々としか結果ああなった。
国立博物館でどうなったかは知らんが。
青森の航研機がぶっ壊れたという話は聞かないから
保存する側の熱意次第だろう >>139
戦後、飛行機開発が禁止されたから日本の航空技術が遅れたというのはちょっと違うんだよな
禁止されていた当時は何よりも戦災復興が優先されていたので莫大な金の掛る飛行機開発なんてやる余裕が無い
軍が解体され海外領土を失った当時の日本には航空輸送の需要が殆ど無いので飛行機開発する動機が無い
なので飛行機開発禁止されようとされまいと大差ない
問題なのはYS-11の後、何十年も開発してこなかったこと、これがMRJのもたつきの最大要因 >>159
陸軍は
2式単戦・鍾馗と
2式複戦・屠龍に戦争を託すつもりで
隼はつなぎに何かあればいいくらいの気持ちだったんだろうね。
近距離は速度と火力を兼ね備えた鍾馗で
遠距離は、機体の大きな屠龍に任せたかった。
結局、両方を隼がやることになった。 >>162
開発だけじゃなく研究も禁止された。
後継者を育てることができない。
また朝鮮戦争が始まると、米軍機の整備で忙殺されているし
MU-2やMU-300を海外に売りだしたり
X1Gなど既存機を改造しつつ理論の実証を行うなど各所で動きが始まった。
終戦直後、軍事力を保持できなかったのは仕方ないが
人材育成や商利用を禁止されたのは痛手と言わざるを得ない。 >>零戦設計者
堀越二郎さんの本はなかなか面白かったです。゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
-----
『零戦の遺産』(光人社NF文庫/堀越二郎海軍零式戦設計主任/昭和35年頃の執筆)
■零戦は昭和18年19年でもまだ強かった。格闘性能には、旋回性能、円滑な操縦性、
上昇力、速度、加速度、視界、火力などがある。防弾の要求は19年頃から出てきた。
■日本の航空産業は96式戦闘機で世界水準に追いつき零戦で追い抜いた
■「設計者として零戦をよく知る私が、最もやりたいと思いかつ可能だった改造は、
馬力向上、防弾追加、13mm機銃追加よりも、20mm機銃2丁のままで
初速の早い二号銃(5型)に換装することだ。総重量を3000kg内外以下に抑え
その優れたバランスを崩さず旧式化を防ぐことであった」。
■イギリスは戦闘機の生産をスピットファイアなどに絞り国のエネルギーを
それらの性能向上に費やした。ソ連も同様。日本は機種が多すぎエネルギーが分散してしまった。
■敵機別
○対バッファロー 緒戦の頃基地戦闘機として使われた。零戦のよい餌食
○対グラマンF4F 艦上機らしい性格という点で零戦に似ており馬力と急降下以外では零戦勝っていた。
よく格闘戦が行われ零戦の特徴が100%発揮された
○対カーチスP−40&ベルP38 同じく馬力と急降下以外では零戦が勝る。一撃離脱で来ても手強い相手ではなかった
○対チャンスボードF4U 2000馬力エンジンで相当優速で零戦にはうるさい相手になった。1.3万機作られた
○対爆撃機雷撃機 ダグラスSBD艦爆、グラマンTBF艦攻、B25、B26などは零戦の好餌であった
○対B−17 落とすが難しく緒戦の頃敵の希望だった。防弾タンク、死角ない銃など。
○対グラマンF6F 自重4屯を超える大型戦闘機。まともに零戦と戦ってよい勝負をしたのは本機だけ。
1943年から生産が始まり1万機作られた。零戦が圧倒されたのは性能よりは数量だった。
○対英スピット 零戦には鎧袖一触という感じ蹴散らされた。
■零戦生産概数
昭和16年 0530機(累計)
昭和17年 1300機
昭和18年 3000機
昭和19年 4000機
昭和20年 2000機
※開戦の時わずか500機しかなかったこと、昭和19年が一番多い点に注目
■不用意に1kgの増加があったとするとその増加重量を支える補強材など
が増え最終的に2.5kg増える。また材料、工数の増加となる。重量感覚は大切。
■ジュラルミンそのものは1911にはあったが腐食割れが多く使えなかった。
住友軽金属ではその問題を解決できたので採用した。 >>153
エンジンは動力部であって機体設計とは別物だろう >>165
>■イギリスは戦闘機の生産をスピットファイアなどに絞り国のエネルギーを
>それらの性能向上に費やした。ソ連も同様。日本は機種が多すぎエネルギーが分散してしまった。
ソビエトとイギリスは、
アメリカから戦闘機や爆撃機を、総計数万機規模で提供されてるから単純比較できない
戦闘機が足りなければP-40を使えばいいし
スピットファイアに出来ない仕事を、
P-38、P-47、P-51がやってくれた
B-17なんか配備されただけで超強力。 >>168
それ海外でも散々論破されてるじゃん
リスペクトの範囲内だってさ 新明和案、したがって菊原案ということになるが、5列で少し太めにしておけば商業的にはまだどうにかなっていたという人もいたな。
運輸省で検査官だった人だ。床がぺなぺなしてたんで、力入れてストンピングしたら床板が抜けたって。 >>167
しかし、米軍の提供する飛行機は性能落ちばかり
今でもまともな飛行機を米軍は同盟国にも渡さない YS11は重さの割にエンジンのパワー不足から名機とは言い難いとか。 なぜ量産の1号機をとっておくのだろう
機械的には製造に慣れの出る前の5号機前後が出来がいいはずなのにな
1号機ってどんなものでも試行錯誤繰り返すから、そんなもんとっておいてもしょうがねぇだろって思うんだけどな >>173
俺、間違いだらけの初版1刷辞書が好きだよ。ヲタクと呼んでくれていい。 >>148に言わせれば、フェアレディZも他のアメ車に比べれば軽いだけで計量化なんかしてないんだろうな >>148
してたじゃん。軽量化のために、板金に沢山穴を開けて、防御の仕組みまで外されてたじゃん。 YS-11は軍用機の技術者が作っただけあって整備は簡易で不整地の飛行場でも離着陸可能。
ただし、乗り心地は最悪、という軍用輸送機の見本みたいな航空機。
自動操縦装置も付けられなかったから、時代の波には勝てなかった。
改良版を出し続けることが出来なかった時点で終わりは見えたようなものだよ >>148
その代り、陸軍機はノモンハンの戦訓を取り入れて機体の防御には気を使っていた。
エンジンを強化したの後期型だと連合軍相手の戦闘でも遜色はなかった。
その辺の思想がすっぽり抜けているのが海軍機。 >>8
タイミング関係なくはいれたような
あれは感動したわ YS-11は世界の駄作機に収録されるようなやつでしょ
宮崎「ぼくはもう日本機はぜんぶ世界の駄作機に入れて欲しい気分です」
ださく「ハハ・・しかしまだ関係者が存命でして・・」
宮崎「関係ありませんね。日本は全て駄作です」
ださく「その、私の父は航空隊で隼もいい飛行機だった
しかし連合軍のほうが更にいいと厳然たる現実にぶつかってしまった
だから僕は英国機がすきなんです。それに日本機を語るとどうしても
貧乏とか突き詰めると悲しい話になってしまうので
明るい本にするにはあわないかなという・・」
★零戦:「軽量化」と「人命軽視」:よくある質問
Q)キムチ臭いのが「零戦は防御が薄いので人命軽視ニダ!」なんてほざいているけど
A)しょうもない屁理屈です。防弾性能を良くするために防弾板、防弾ゴムなどを
入れると数百kg重くなります。エンジンがそのままでは運動性能が落ち、
敵に食われるだけです。
Q)防弾すればいいというものじゃないんだ
A)飛行機の性能は、航続距離、速度、回転性能、防弾性能、上昇力など総合的な
バランスです。防弾を重視すれば、他の性能が落ちます。それはパイロットの命を
より危険にしてしまいます。「機動防御」に徹して、敵弾を当たらせない、というのも
ひとつのやり方です。
Q)単に設計の違いってところ?
A)最近の軍艦は昔の軍艦よりも装甲が薄いです。だからと言って今より昔の方が
人命を尊重していたなどという人は居ません。
Q)いつものプロパガンダなんだ
A)劣等民族や朝日NHKといったその飼い犬は「旧日本軍は人命軽視のひどい組織」
というイメージを刷り込むために、様々な屁理屈を垂れ流します。
零戦の防弾もその一つです。日本国民は要注意です。 いつまでゼロ戦とか有難がってんだよw
日本てホント自国の話となると甘えと陶酔ばっかだね オタクに聞きたいんだけど、成田空港の近くに博物館で
野ざらしになってるのは、試作機?
プロジェクトセックスで、翼を切断して付け直したって話があったけど、あの機体なの? >>171
P-40やP-51は
イギリスの提案で強化された部分もあり、レンドリースだから性能落ちとは言えない。
P-40は空中で離昇馬力までスロットルを捜査するイギリスのパイロットの報告を受け
V-1710が連続で高出力を出せる仕様に変更された。
(そのためにメーカーの協力と、迅速な強度アップを達成する技術力が必要ではあったが)
P-51は、イギリスでマーリンエンジンに乗せ換えてテストされ、
そのライセンスであるパッカードV-1650搭載したP-51Bがアメリカでも制式化された。
エンジン出力が落ちたのは排気タービンを外したP-38くらいで
戦闘機用の機銃や弾丸、100オクタンガソリンも律儀に送っている >>182
技術者の端くれだけど
零戦は決して褒められる兵器では無いと思う >>176
穴開けるのは世界中の航空機がやっている
今でもやってるだろう。
生存性を上げる装置としては、翼に水密区、胴体に浮袋があり
着水時に30分程度水に浮くことができた。
初期から22型までは胴体に消火装置
52型からは翼に自動消火装置が導入された。 >>178
疾風が運転制限により高度4000mくらで上昇性能が悪化したので
まともに飛べる戦闘機が隼くらしか無かったというだけだろう。
飛燕もあったが、隼の半分の生産数であり鍾馗はその更に半分だから
多くの戦闘隊が持っていたのは隼だった >>187
どの辺がダメなんだ
イギリス、ドイツ、ソ連みたいに消耗品と割り切った戦闘機でなければ
駄目だというのか 数年前、初めて乗った航空機が自衛隊のYS-11だった。
離陸して数分で酔ったので、何も覚えてないw 信じられんことだが、航空自衛隊ではまだ現役なんだよな。 >>187
わあ、自称技術者さんだ
自称航空工学博士なんでしょ? あのビィィーンって甲高い音が好きだなあ
乗れなかったのが心残り 引退1か月くらい前の福岡ー鹿児島に乗った。
葬式鉄みたいなもんだな >開発には、ゼロ戦の堀越二郎氏、飛燕(ひえん)の土井武夫氏、2式大艇の菊原静男氏、
> 隼(はやぶさ)の太田稔氏と・・
三菱の堀越二郎氏、川重の土井武夫氏、川西の菊原静男氏、 トヨタの太田稔氏 自衛隊ではまだ現役で入間や厚木から今日も飛んでる
糞バカマスコミが知らないだけ >>187
そりゃ技術者は自分たちの理屈通りに動けば満足する人間だから
理屈もへったくれもなく消耗させられる兵器は
どれも褒められるものでないだろう
アインシュタインだって自ら開発に参加した核兵器は決して褒めなかった >>157
そんな中国みたいな真似をしたら信用度がた落ちで二度と相手にしてくれないじゃん。
日本の信用度は落ちたか?適当な事を書いているんじゃねえぞ糞食い民族。 >>157
たしか試作機では実績のある外国製機器を使用して、量産のときに国内メーカー
にそれらの互換機を作らせてたんだっけな。
仕様を真似ただけ。 プロペラ旅客機に乗ってみたいのだが、なかなかチャンスがない
離島か僻地への出張がないかなあ >>203
名古屋から仙台へ行くのにボンバルディアに乗ったことある。
政令指定都市間でも飛んでる。
乗りたくはないが。 >>194
生産性は設計者だけの責任じゃないけどな 埼玉県所沢航空公園駅前に
堂々と展示中
https://tam-web.jsf.or.jp/?p=1284
今月の28日29日
搭乗できるぞ
無料公開 >>194
零戦は数にして1万数百機+2式水戦262機+零練戦517機
新型機と比較できる1943年8月以降でも
・零戦52型 5952機(三菱2379機+中島3573機)
・零戦21型 850機(推定、中島のみ)
・紫電 1009機
・紫電改 400機
・雷電 550機
・疾風 3400機
・飛燕1型 1805機
・隼2型・3型 4974機(中島2480機+立川2494機)
52型だけでトップの生産数で
会社単位でも中島零戦がトップ、三菱が4位になっている。
日本軍機は1944年ごろ、性能悪化に見舞われているが
零戦52型甲型と思われる機体の
最悪値で
・水平速度で5%悪化、(時速531q)
・推定で841馬力・高度6000m(14.5%悪化)程度に留まった。
紫電改は
・水平速度で10%悪化、(時速555q)
・推定で1277馬力・高度6000m(25%悪化)
もちろん誉21型のせいでこうなったのだが
400機しかない機体なのにコンディションを維持できないケースもあるわけで
ユニットとしてのゼロ戦は安定していたと思える 自衛隊のスーパーYS11はエンジンをT64に換装してばりきによゆうがあるから
快適だそうな 2度乗ったことがあるけど、目的地が近くなって高度を下げる時
徐々に下げるのではなくストンと落ちる感じでメチャ怖かった。 >>209
空港にもよるんでね?宮崎空港なんか着陸前によくそんな感じに >>205
加工方法は、国の工業力に左右されるが。
素材の選定は設計者の責任。
ゼロ戦は超々ジュラルミンばかり注目されるが
金具類は材料規格にあるものの中から
合金鋼は4種類、炭素鋼4種類など少数の素材に絞り
生産の効率化に配慮していた。 鹿児島空港へ最終便を見に行ったなぁ・・・もう十年以上経つんだ。
関係スレに書き込んだらレス返して来たのが隣で写真撮ってた兄ちゃんだったりとか・・・
前日、高知発福岡のYS運航最終便を見送ったけど
夜の闇に消えるロールス・ロイスサウンドに涙が出た。 昔、全日空のビッカースバイカウントってのに乗った事ある。 昭和50年代前半
大阪〜高知はすべてYS運航で、ANAとTDA合わせて20数往復
プレハブ平屋の高知空港の狭いエプロンに4機並んで、滑走路にもって事が多々あった。
この頃は大阪・高知が路線別乗客数ベストテンの常連だった。 そういえば、そろそろ金曜ロードショー!でジブリ風たちぬを
放送してくれんかな。前回見逃した。
まあ「この世界の片隅」の方がいいんだけど。 >>31
なついw
主翼が天井から生えてるから、景色がよく見えた
まあ今はボンバルディアがそうたけど、
当時は他に無かった 新幹線と似ているからと飛行機が苦手な家康を騙して海外に行かせるのに使われたやつか 入間にいるEAとかEBとか、思いっきり軍用機な塗装で異常にかっこいいな
西東京在住だけど、たまに見かけるよ >>1
さらっと仕訳対象にされててワロタ
たかだが900万円の維持費まで削ってたのか >>199
海自のYS-11はC-130に入れ替わって
残っているのは入間にいるやつだけだぞ? >>1
>「パイロットの技量が試される」
機体としてのデキが悪いだけだろ
物は言いようだねぇ 子供の頃、初めて載った飛行機だったな@東亜国内航空 青森のみちのく北方漁船博物館にあったJASカラーのYSもなくなったのか >>225
削ってない
公開しないのは無駄、公開しろ、って怒られただけ 気流が安定しないとき、CAがキャーッと言って
通路脇の椅子にしがみついていた
外を見ると主翼がブルンブルンと曲がる
恐ろしかったよ YS11でエアポケットにはまって、リアルアトラクションを経験した。その時改めてシートベルトの必要性を
確認した
2017年現在はホンダが頑張っています゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
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★HondaJet、2017年上半期に計24機をデリバリー。小型ジェット機カテゴリーで最多達成★
本田技研工業の航空機事業子会社 ホンダ エアクラフト カンパニーは8月16日(現地時間)、
「HondaJet」が小型ジェット機カテゴリーにおいて、2017年上半期(1月?6月)の
最多デリバリー数を達成したと発表した。
同発表は、ジェネラルアビエーションの業界団体General Aviation Manufacturers
Association(GAMA)による発表に基づくもので、2017年上半期に計24機のHondaJetが
米国、カナダ、メキシコおよび欧州諸国にデリバリーされた。
HondaJetは2015年12月に米国での納入開始から、北米、欧州、中南米および東南アジアで
販売されており、現在は月平均4機のペースで生産されている。
HondaJetの開発責任者であり、ホンダ エアクラフト カンパニー社長の藤野道格氏は
「多くのお客様から、HondaJetの性能、快適性、使い勝手の良さやビジネスジェット機としての
完成度の高さなどで非常に高い評価をいただいていることをうれしく思います。HondaJetは、
先進機能を搭載し、高性能で俊敏な操縦性能を実現したジェット機で、例えるなら空飛ぶスポーツカーと
言えます。Hondaは、小型ビジネスジェット機の分野でも新たな価値を創造して、世界中で
より多くの方にHondaJetを利用いただけることを願っています」とコメントしている。
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1076401.html >>1
最新素材に合わせて設計を調整して作れないもんなのかな。 >>207
ゼロ戦はあの世界中がしのぎを削っている時期に、何年も現役で使えたのがすごいと思うよ >>241
?
汚物を機外に放出していたのはかなり昔の航空機だけど? 民主党ってとことんクズだったんだな
まあ、いまは「仕分け」される身で、ざまあみろだけど 伝統を破壊する民主党には文革を断行した毛沢東のDNAがある どうせ自民がアメカスにボーイング買えよ!と命令されてホイホイ従って
日本産旅客機絶滅に追い込んだんだろ 米国が日本に航空産業を持たしたくなかったんだろうな >>240
そもそも新型を主力にできたのが
アメリカ陸海軍(P-51、P-47、F6F、F4U)と、
日本陸軍(4式戦闘機)くらいだろ。
工業力に優れた英独でもBf109やスピットファイアの改造で戦争を終えている。
日本に飛来したのもスピットの艦載型であるシーファイアだった。
英のテンペスト、ソ連のLa-7、Yak-3は新型と呼べるけど
既存機の刷新というより、性能向上型を投入するといった趣旨で開発されつつ
英のP-51、ソのP-39、P-63のような米レンドリース機と併存する存在だった。
英独はジェット戦闘機を投入したが、
Me262は戦闘爆撃機、ミーティアは制限Gが厳しく対戦闘機には使えないなど
既存機を刷新する存在ではなかった。
日本海軍の紫電・紫電改は主力とは言い難いがそれでも投入できただけマシで
独のTa152の10倍くらい生産され戦闘期間も長い。 >>244
公開しないのは無駄だから公開しなさい、って言われただけで金は削られてないじゃん 零戦は軽量化のために、部材のありとあらゆるところに
穴を開けてくりぬいて、抜いたところの角のRを取るために
ヤスリ掛けをするなど、工数が多くて量産性が悪かった。
アメリカは、大馬力のエンジンを余裕で使っていて、
主翼も板をプレス機で整形し、フォードシステムの
ように流れ作業で組み立てて量産していた。
量産性では到底勝ち目がなかった。 >>250
>主翼も板をプレス機で整形し
いや、強度が必要な主翼をプレスで成形するのはまずいでしょ・・・ >>250
アメリカの勝因は、質の悪い大量生産品の質を向上させたQCによるところが大きいと思う。
初期は魚雷が爆発しないとかザラにあったみたいだからな。 >>250
アメリカもリベット(小型機で20万本とかある)を打つ度
グラインダーみたいなので削り取ったり
層流翼がどうのこうの言って
無塗装で鏡面仕上げみたいに磨き上げたり
時間の掛かる工程を組んでいる
生産性で勝ったのは労働者の数や工場の大きさ、工場の数だろう。
F6Fは層流翼に拘らず、凸型のリベットもある程度使用していたり
その辺を無視しようとする意図を持って設計されたかもしれないが
主翼を支えている桁に、降着装置の脚柱が干渉するので
それを逃がす隙間を作っていたり、作り難そうな部分は多い。
他、零戦開発時に工程が増えると避けられたスプリングタブや
バランスタブを組み込んでいたり、操縦ワイヤーを2重にしていたり、
大きな図体の各所に補助用の部品を取り付ける手間の掛かる機体ではあった >2010年には、格納庫での年間約900万円の維持費が民主党政権の事業仕分けの対象となりました。
。。。 またか 電車とバスの博物館に、
本物のYS11のコックピットの
フライトシミュレーターがあったが、
今でもあるのかな? >>255
終戦直後なら自動フラップの旅客機適応は検討できただろうな
戦闘機でもGを一定にする(速度・高度の損失を減らす)のが
目的の一つだったから。自動でGを低くできれば快適性にもつながる。
ただYS-11でも設計が難航したように
作ってみなければ分からないトラブルがあり
自動空戦フラップの場合は装置に使われている水銀が、ハンダつけに接触してしまい
合金になって汚れ作動不良を起こすといった事態が起きた。
ほかフラップ作動の調整も開発段階と、試作、試験では異なっていて
量産しながら開発の平行できる軍隊の荒っぽい環境と
組織の理解があって実現したものだった。
YS-11では、翼端失速対策に今でいうウィングレットのように
翼端を強く上方に跳ね上げる提案がなされたが、当時一般的でなかったため
却下されている。もし実現すればウィングレットと同等の効果はあったとおもわれる。 >>253
アメリカの場合、日本と違ってーターリゼイションが既に進んでおり、
自動車製造・整備の熟練工が多数存在しており、簡単な訓練で軍用機生産・整備に従事可能だった、という点が非常に大きい。 そもそも車もろくに造れないメーカーが航空機生産とか駄目だろ
いまさら遅いけどトヨタあたりに参入してもらった方が良かった >>260
三菱自動車は別会社だよ
航空禁止になった戦後から長らくゼロ戦・大江工場を三菱自動車が占領していた
三菱自動車の不振が関わったかは知らんが
名古屋航空機が53年ぶりに奪還し、2001年から航空機製造を行っている。
名航の製品はF-2戦闘機や、H2Bロケットなどになる。 鉄道の動態保存ってのは見掛けるけど、航空機は難しそうだな。
余談
横浜の日本丸って、まだ外洋航行できるらしい…けど、あれって展示している場所から出せるのか? 世紀の失敗作。
失敗の記念として反省のための保存なら賛成。 >>17
松山沖で墜落した人かな。
はやく成仏してくれ。 そういや、民間で復活させて飛ばしてなかったっけ? 去年 >>262
日本丸は橋を壊さないと出せないよな。
因みに山下公園の氷川丸は浮いてるからレストア次第。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています