発見された小林秀雄に宛てた中也の手紙(中原中也記念館提供)
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 山口市出身の詩人・中原中也(1907〜37年)が、亡くなるまで交流を重ねた文芸批評家・小林秀雄(1902〜83年)に、1926年冬に送った手紙が見つかった。

 女性関係を巡る絶縁状態を解消後、近況を伝える内容で、専門家は「2人の交流の深さを示す貴重な資料」と評価。4〜29日、同市の中原中也記念館で初公開される。

 中也は17歳だった25年3月、恋人の女優・長谷川泰子とともに上京。文学を通じて、東京帝大(現東大)に通っていた小林と親交を結ぶようになった。その後、長谷川が小林の元へ去ったことで、中也と小林は一時絶縁状態になったが、26年7月頃、喪失感をうたう中也の詩作の方向性が定まったとされる作品「朝の歌」を小林に見せた。

 見つかった手紙は26年11月29日付。実家から仕送りが届いたとみられる〈けふになつてやつと金が来た〉との記述があり、〈来月は帰る。出来ることなら金沢にまはりたい〉と、年末には帰省して、幼少期を過ごした金沢にも行く考えを伝えている。

 また、同時代の作家・島崎藤村の「巴里だより」を読んだことについて、〈藤村て、まあ嫌な奴だ。僕はまだあいつの小説は読んだことはないのだが〉としている。

 手紙は、戦後間もなく編集された中也の全集に内容が収録されていたが、現物の所在が分からなくなっていた。東京都内の古書店で見つかり、今夏、山口市が購入した。

 中也研究の第一人者で、詩人の佐々木幹郎さん(69)(東京)は「中也と小林の深い交流の一端を示す貴重な資料だ。フランスを批判的に書いた藤村を非難する中也の言葉からは、フランス文学への強いあこがれが透けて見える」と話している。(北川洋平)

 ◆中原中也=「汚れつちまつた悲しみに……」「サーカス」「一つのメルヘン」などの作品で知られ、近代を代表する詩人。フランスの詩人らに影響を受け、ランボーの訳詩集も手がけた。小林秀雄は中也の二つの詩集の出版を支援。「言ひ様のない悲しみが果しなくあつた。(中略)彼はこの不安をよく知つてゐた。それが彼の本質的な抒情じょじょう詩の全骨格をなす」(「中原中也の思ひ出」)と評した。

2017年10月02日 07時33分
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