いわゆる

文学的実験とか文学的趣向といった面では
間違いなく村上春樹のが上だ。

しかしカズオイシグロの小説は歴史的社会的小説であって
ノーベル賞の意図するものと近いのも確かだ。

市民運動・社会運動と連動してきたボブディランの曲と詩が
評価されたのはノーベル賞の元々意図してきた社会改革と
合致していたのは間違いないところでそういう意味では
ボブ・ディランはまさしくノーベル賞受賞してもおかしくなかった。

ゾラが存命中にノーベル賞が始まっていたら
真っ先に受賞していたろうと思う。

村上春樹はゾラと全く遠い存在だしな。

20世紀最高の文学といわれる「失われた時を求めて」のプルースト
それと双璧といわれている「ユリシーズ」を書いたジョイス
もノーベル賞をとっていないのがまさに驚きだ。

村上春樹はプルーストやジョイスのポップ版ともいえる存在だし
そういう意味では
プルースト・ジョイスという20世紀最高の文学者がノーベル賞をとれないなら
村上春樹はとれなくてもしょうがないのかもとも思う。

少なくとも川端康成や大江健三郎がプルーストやジョイスより上とか絶対ない。

大体、世界文学の最高峰のトルストイはノーベル賞がとれなくて
絶望して家出してしまったくらいだからな。

トルストイがノーベル文学賞をとれないとか
ありえないだろ。歴史史上でも世界最高の小説家だぞ。

ノーベル賞は結局、文学的野心より、世俗的な社会変革の意志をもった
文学を選んでいるんだよ。

音楽でいうなら、ビートルズの「サージェントペッパー」やビーチボーイズの「ペットサウンズ」より
the who の「トミー」のが上という価値観だね。