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【社会】幼女殺害事件の宮崎勤とはいったい何者なのか 篠田博之
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垢版 |
2017/10/11(水) 07:10:18.00ID:CAP_USER9
2008年6月17日の突然の処刑

以下に掲載するのは、月刊『創』2008年8月号に掲載した一文だ。
7月7日発売のその号に連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚の手記を掲載するため編集作業をしていたさなかの6月17日に、突然、宮崎勤の刑が執行された。
だから『創』のその号は宮崎死刑囚の追悼特集になってしまった。宮崎勤とはいったい何者だったのか。
その問いに答えるのは、実はそう簡単ではない。以下、当時掲載された一文を再録する。

宮崎勤とはいったい何者なのか。
2008年6月17日の処刑によって、その謎は永遠に閉ざされたままとなった。
一方には、彼は全てを計算して精神病を演じていただけだという「詐病説」がある。
他方では、彼は統合失調症に冒されていたという元弁護士らの見方がある。
私は、詐病説は実情を知らない見方だとしか思えないのだが、宮崎勤が精神的に崩壊していたという見方にも同調できない。

例えば、06年に死刑が確定した時期、私は彼の2冊目の著書『夢のなか、いまも』の編集の打ち合わせのために連日のように東京拘置所に通ったのだが、
その当時の彼の関心事は、この本のこと、そして確定後接見交通権が制約されることへの不安だった。
そうした中で、彼が05年12月から頻繁に私に問い合わせてきたのは、06年夏のコミックマーケット(同人誌即売会)がいつどこで開かれるかということだった。
05年12月のコミケについても、彼に頼まれて私はカタログを送っていた。

当時のマスコミ報道は、死刑確定でさすがに宮崎勤も不安を感じているに違いないという思い込みから、
彼があまり眠れないと発言したことを大きく取り上げたりしていたのだが、宮崎本人はそうした報道に強く反発した。
私のもとへは、死刑判決の後も、コミケの締切が近いはずなので急いでほしいといった手紙が彼から届き、マスコミの期待するイメージとのギャップにしばしば驚いた。

コミケはもちろん、オタクという言葉を社会に流通させた宮崎勤にとっては昔からの関心事だったのだが、実は05年頃から、もう少し別なことを彼は考えていたのだった。
コミケのカタログに自分のメッセージを広告として載せたいという願望である。

宮崎勤は自分の事件をきっかけに起き、その後も繰り返されたコミック規制などの動きに関心を示し、規制反対の気持ちを様々な形で文章にしていた。
私の手元にも彼から寄せられた原稿が何本も残されている。そして彼はコミケカタログで自分のメッセージを訴えようとし、私に強く依頼してきたのだ。
その経緯の中で私が関心を持ったのは、宮崎勤がその時考えたアイデアだった。
彼はその広告の中で、直接自分の主張を展開するのではなく、そこに書かれたホームページアドレスに読者を誘導しようとしたのだが、
その先にアクセスするとそこには宮崎勤ではなく、女性の名前で彼の主張が展開されているのであった。
恐らく宮崎勤の名前で「子どもを本当に守るには」といった主張を行っても受け入れてもらえないという理由だったのだろうが、
そこで女性に扮して文章を書くという手法が、ちょうどあの事件の時の「告白文」を思い出させたのだ。
89年、殺害された幼女の自宅などへ送られた告白文では、幼い子どもを事故で失った母親が悲しみのあまり幼女を誘拐したという物語が書かれていた。
これは捜査のかく乱を狙って宮崎勤が書いたものとされているのだが、宮崎本人は2審の公判でそれを自分が書いたかどうか何度も訊かれ、曖昧な答えに終始する。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171010-00010000-tsukuru-soci
10/10(火) 21:45配信

https://amd.c.yimg.jp/im_sigg5IQnmQA2MOTQVTyE89y7Eg---x400-y300-q90-exp3h-pril/amd/20171010-00010000-tsukuru-000-1-view.jpg
宮崎が描いた「犯行現場のもうひとりの自分」
0002砂漠のマスカレード ★
垢版 |
2017/10/11(水) 07:11:13.14ID:CAP_USER9
「もうひとりの自分」は彼にとってどんな存在か

彼は一連の犯罪について、外形的事実は概ね認めていたのだが、細部については曖昧にしたり、殺害時の状況についてもやったことは認めながらも実行したのは
「もうひとりの自分」だという主張をしていた。
そこは宮崎勤を理解するうえで大変重要なポイントなのだが、私には外形的に犯行を認めながら、そこで「もうひとりの自分」を持ち出すのは、
ある意味で自分が罪を犯したことを認めたくないという意識がどこかに残っているためではないかと思う。

小林薫や宅間守の場合は、自分の犯行を語る際にためらいが全くないのだが、宮崎勤はそこが違う。
それがいけないことだという意識、罪の自覚と呼んでもよいような意識が彼の内面には存在し、それがそうさせているのではないか、と思えるのだ。
宮崎の説明の中で、犯行現場に登場する「もうひとりの自分」や「ネズミ人間」は、そうした彼の内面の葛藤が生み出した存在ではないかと思う。

これについては、『創』連載で香山リカさんがこういう解説をしている。

「『自分が自分である』といういわゆる自己同一性がさまざまなレベルで障害される『解離性障害』については、その完成形ともいえる
解離性同一性障害(いわゆる多重人格)が司法の場でしばしば問題になることがある。
鑑定医の意見が分かれたことが話題となった幼女連続殺人事件の宮崎勤死刑囚の精神鑑定書のひとつにも、この診断名が記されていた。
解離性障害は、躁うつ病や統合失調症のような精神疾患、つまり“脳の生物学的な不調”とは違い、基本的にはトラウマに対する心の防御反応として起きる反応性の障害である」
「わかりやすく言うと、トラウマを与えられたとき、人間の心は完全な崩壊という致命的事態を防ぐため、より軽度な障害を起こしてバリアを張ろうとするのだ」
「『こんなひどい目にあったのは私ではなく、別人のナンシーさんだ』と別人格を作り出してトラウマを“他人事”にしようとするのが、解離性同一性障害だ」(07年11月号)
この説明によると、幼女殺害という精神崩壊につながりかねない現実を受け入れられずに精神的なバリアとして「もうひとりの自分」が登場するという理解だが、
私が宮崎と接していてわからないのは、その防御反応が彼の中で無意識に生じるのかそれともある程度意識しながらそうしているのかということだ。
告白文の主である今田勇子や犯行時に現れる「もうひとりの自分」は、宮崎勤にとってはどの程度意識された存在なのか。
宮崎勤が何かを語る際に別人格に仮託するというのは、どの程度意識して行われている行為なのか。
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