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ドイツで1日、ヘイトスピーチに利用される一部のデジタル・サービスを処罰する新法が発効した。「ネットワーク執行法」(略称:NetsDG)という挑戦的な名称を持つこの法律は、フェイスブックとツイッターに対し、「明らかに違法な」ヘイトスピーチを24時間以内(侮辱的なコンテンツの違法性があまり明確でない場合には1週間以内)に削除することを求めており、これに従わない場合には最大5000万ユーロ(約67億円)の罰金が課される。

懐疑派は、同法について、何がヘイトスピーチに当たるのか厳密さに欠けているのが問題だと主張する。ネットワーク執行法は、「宗教、宗教・思想的団体に対する中傷」を違法とするドイツ刑法の一節を参照しているだけだ。では中傷とは何か。ある人の「意見」が、別の人にとって「耐え難い中傷」となるのは、どのような場合なのだろうか。

「棒や石は骨を折るかもしれないが、言葉は少しも傷つけない」というのは、嘲笑や中傷の犠牲者たちにとって、ある種の慰めだったかもしれないが、現代の精神医学においては、そうではないという。

ノースイースタン大学のリサ・フェルドマン・バレット教授(心理学)は、有害な言論とは何かを慎重に解説しつつ、「気軽な残虐行為を許容することと、自分が強く反対する意見を受け入れることの間には違いがある。前者は市民社会にとって(そして私たちの健康にとって)有害だが、後者は民主主義の生命線だ」と主張する。

「脅迫し、痛めつける」前者の言論は、「私たちの脳細胞という観点からすれば、文字通り、暴力の1つの形態だ」と同教授は言う。

このように考えれば、答えは明らかだ。他人を傷つける言論は、欧州の一部においてすでに行われているように、身体的な暴力と同じ程度に罰せられるべきである。

現在フェイスブック、ツイッター、グーグルは、サイトを一掃し、単に不快なだけでなく、脳に実際のダメージを与える内容の投稿を阻止するよう、国家や社会からの高まる圧力にさらされている。

多くの課題を抱えている英国のメイ首相は、先月の国連演説で、テクノロジー企業は、サイトに投稿されている危険なメッセージと闘うために、さらに踏み込んだ対応を加速するよう求めた。

先週、ロンドンで行われたグーグル社員との非公式な会合で、この問題が取り上げられた際、政府や社会が抱く懸念を同社は認識しており、改革が進行中だとの話を聞いた。

企業にとっては「利益がすべて」であるため「この問題には対応していない」という、反過激主義の英啓発団体「フェイス・マターズ」を率いるフィヤズ・ムガル氏の見解について、筆者がその場で引用すると、決してそのようなことはないと保証された。

巨大コミュニケーション企業においては「言論の自由」の絶対視が当然のデフォルトだったが、それに代わり、因果関係の厳密な検証や、懸念への合理的な対応として何が可能かを、細かく検討するようになったという。

言論の自由とこうした懸念対応という双方の要請をうまく折り合わせることが、民主主義国家にとって、そしてテクノロジー企業にとっても、最大の倫理的、そして実践的な問題として浮上しているのは事実だ。

そして、企業が利益第一主義だというムガール氏の主張がたとえ正しいとしても(そうでない企業がどこにいるだろうか)、改革の要請に応じないことに対して準備されつつある巨額の罰金は、変化に向けた大きなインセンティブになるだろう。

とはいえ、セキュリティ―と言論の自由、利益と法令遵守という複雑な綱渡りの過程で、民主主義諸国が戦後守ってきた言論の自由と報道メディアに対して、大きなダメージが及ぶ危険性がある。

リベラル派は今後、ヘイトスピーチと好戦的なメッセージを危惧する人々、そして、それを阻止する手段について警戒する人々の双方に対処するという難題を抱えることになる。しかも、ややこしいことに、この両者が同じ人々ということもあるのだ。

終わり