江戸の町火消しの頭領、新門辰五郎展・二条城
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慶喜に仕えた火消し展
*ソース元にニュース画像あり*
http://www3.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004766731.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を
江戸幕府が朝廷に政権を返上した大政奉還から、ことしで150年になるのを記念して、
最後の将軍、徳川慶喜に仕えた火消し、
新門辰五郎ゆかりの品を集めた展示会が、京都市の二条城で開かれています。
江戸の町火消しの頭領、新門辰五郎は、1864年、のちに江戸幕府最後の将軍となる徳川慶喜が
京都御所の警護を任されたのに伴って京都に入るなど、慶喜のもとに長く仕えたことで知られています。
その辰五郎ゆかりの資料7点が京都市中京区の二条城で展示されています。
このうち、消火活動で身にまとうはんてんは紺色の生地に灰色の格子柄があしらわれた
シンプルなデザインで、襟元とずきんには慶喜の出身である一橋家の家紋が入っていて、
慶喜が辰五郎を強く信頼していたことがうかがえます。
このほか、火事の延焼を防ぐために火元の周辺を破壊する道具や、
京都に入る際、関所で見せたとされる手形などが展示されています。
元離宮二条城事務所の中野志保学芸員は
「慶喜を陰から支えた町火消しが使った、江戸末期の粋で洗練されたデザインを楽しんでほしい」
と話していました。
この展示会は、二条城の展示・収蔵館で11月12日まで開かれています。
10/16 06:32 ダメンズお嬢さんがけいきさんについて京都に行ったんだよね 江戸の火消しって笹川良一だろ
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//;;>〈 ___ ||.__ 〉 天皇陛下バンザァァァァァァイ!!
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ソ_ソ>'´.-!、..\.. .Д /
τソ −! ヾ ー-‐ ィ、,,..
ノ 二!__―.' .-'' \
/\ / 男の俺が選んだ道だ
たとえ棘の道だとて
決して決して決して
泣いたりはしないさ
負けてたまるか ぐっと
睨むこの目に血がたぎる これは見たいな
8年ぶりに外出てみようかね
他府県でちょっと遠いのが不安 この人と一心太助は限りなく江戸っ子のイメージを
良くするなw 「辰五郎、そなたの善行この桜吹雪が全て見ておったぞ。慶喜公にご連絡の上無罪放免といたす。これにて一件落着!」
なにを〜今日は求めて生きた〜淡いたそがれ〜町を優しく染める〜♪ 東京浅草にはいまだ新門がある。
株式会社になっちゃったけど。
浅草寺の設営や祭りの世話などしてるよ。 組頭纏持ち梯子持ちこの辺までは町の人からカシラって呼んでもらえる
その下の人足からは木っ端扱い >>18
ありがとう
一応前科2犯(前刑の懲役4年から11年経過)なのでパクられないように気をつける ろ組が関口宏の家だろ、あんな反日の子孫が出るなんて先祖絶句 >>16
町火消も岡引も自警団だからな
ヤクザが自警団を兼ねるのはごく普通 >>26
1964年と言えば禁門の変の年
京の半分が燃えた
その3年後には大政奉還 暴れん坊将軍の辰五郎はめ組だけど、新門辰五郎はを組らしいね。 暴れん坊将軍は嘘なの?
それともたつごろうと言う名前は火消しの棟梁が引き継ぐ名前なの? >>10
時専で毎日放送されてるが、初期(吉宗評判記)すごい面白いね。まだそこまでパターン化してなくて見応えある。 (-_-;)y-~
神大河翔ぶに出てくる新門辰五郎って、原型があったんか、
初めて知った。 (-_-;)y-~
海軍ジジイの薩摩の家の家紋が下がり藤やねんけど、
薩州島津家の家紋も下がり藤なんで、物凄くびっくりした。
うちは百姓。
下がり藤にも色々あるから、わからんわな。
それに、薩州島津家は滅亡してて、どれが薩州島津家の下がり藤なんかわからん。 >>29
考えようによっちゃ幕府側の人間だから天皇家が嫌いになったとも 一緒に金扇馬印も飾ればいいのに
慶喜遁走時の幕府側の唯一の痛快なエピソードだろうに >>42
まあ顔役の一人だわな。
穢多・非人は、それぞれ穢多頭(浅草弾左衛門)や非人頭(車善七)がまとめていたが、辰五郎は町火消しの頭だわな。 江戸の火消(鳶)とヤクザをごっちゃにしたのは、はっきり言ってこいつが犯人だよ。 >>51
茨城県民って人口しか自慢のタネが無いもんなw
日本は中国以下
日本はインド以下
これでいいですか?茨城県民さん 茨城県民は日本ラーメン発祥の地を京都に奪われて
京都を深く恨んでいる >>55
京都なんて江戸関係ないじゃんでしゃばるなよ田舎者 もともと火消は各大名が行っていたが
吉宗の時代になると。
大岡越前の発案で、町の防災は町民自らに行わせることにした。
もちろん経費削減が目的だ。
最初は町民を集めてやらせていたのだが、うまくいかなかったので
各大名が火消などのために雇っていたとび職などにやらせるようにした
まあ、ガラはよろしくなかったね
ゆすり、たかりは当たり前
体に入れ墨を入れているような連中で、ヤクザと変わらん
それでも火消の現場では、一致団結して力をふるっていたそうだ >>58
消化は砂で延焼を防ぐために隣近所の家ぶっ壊してたんだぜ(笑) >>59
消防車のような装置があれば違っていたかもね
当時は火災の拡大を防ぐために周囲の家を破壊する以外に
有効な方法がなかったのだから仕方がないだろう こんな有名な話も知らない縁も所縁もない糞田舎がなんで江戸語ってんのかマジで理解出来ないっすわー >>1
父・新門辰五郎は、娘のお芳が徳川慶喜の妾となったことで、
元治元年(1864年)に禁裏御守衛総督に任じられた慶喜が京都へ上洛する際、
子分を率いて上洛して二条城の警備などを行った。
お芳は、慶応4年1月6日(1868年)、慶喜と共に大坂城を脱出し、
開陽丸に乗り込んで慶喜一行と共に江戸へ帰ったと記録されている。
明治維新以降、慶喜は新村信、中根幸以外の側室に暇を与えたとされ、
お芳が再び慶喜に仕えることはなかった。 水戸光圀もそうだが
どうして徳川家には圀という字がしばしば使われたのかね
圀は、国という字と同じ文字で
唐の時代の中国史上唯一の女帝となった武則天
つまり則天武后が定めた文字だ。
武后の時代が終わると、全て廃止されたはずだが
日本では江戸時代にその一部が使われていたってのが不思議なことだ >>63
>>64
なんかこういう歴史とか語り出す奴って遠い親戚語って近寄ってくる詐欺師みてーだな 徳川?天皇?馬鹿じゃねーのお前なんか知らねーよ田舎者 >>64
「圀」の字、そんなに使われてる?維新後の水戸徳川家ぐらいしか見当たらないようだが 偉そうなこと言っても日本人て恩着せがましいかっぺなんだよね >>67
江戸時代は唐の時代からすでに千年以上を経ている
そんな昔に廃止された文字が、日本で使われているのだから
何か不思議でしょうが
武后文字は他にも数多くあったが、中国では武后の失脚の後、全て廃止されたし >>69
不思議なのはそうだが、度々使われるってのはどうかなあって
國って中身が嫌だって人がいたみたいだよ 西日本は千年の都←150年前にやっと認められました(笑) かっぺが最底辺のボンクラだと思ってた人は日本の支配者層でした(笑)
どうすんの? >>27
割りと恰幅よかったんだけど残ってる写真は
胃ガンやっちゃった後だから少しがれてるんだよねえ >>1
いいニュースを有り難う 意外とやりますねw
興味を持って調べていた事を思い出したよ >>61
竜吐水というポンプはあったけど初期消火くらいしか対応できなかった。 朝廷の失われた儀式とか水戸藩に残っていて伝授してあげたんだよ大日本史編纂で資料集めしたから
今の天皇の弟が常陸宮なのも天皇家の信頼の厚い証拠 >>54
要するにカブキ者でしょ。
こういうのも日本の伝統じゃね? 禁門の変でちゃんと火消しができてたら京都人の言う"戦乱"ってのは応仁まで行ってたの? 二条城で?
なんか関係あるのかな
そういえばこの人は勝海舟の氷川清話にも登場するね >>81
徳川慶喜と知り合いで、慶喜が上京した時に二条城の警備を子分達とやってる。
火消しヤクザを江戸からわざわざ呼んで二条城警備させる慶喜もただ者じゃない。 火消しというか、いい顔の大親分だったんだろう、にらみが効くというか
海舟がそこを見込んだんだろうな、江戸中を火の海にするとかとんでもない計画を思いついたのも ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています