【カイロ=佐藤貴生】イラク政府は北部の係争地キルクーク周辺をわずか2日間で制圧し、実効支配していたクルド自治政府の部隊を排除した。自治政府のバルザニ議長は、独立の是非を問う住民投票を強行したことについて、「無駄にはならない」と述べる一方、中央政府との戦闘を回避する意向を表明。事実上の“敗北宣言”とも受け取れる。

 住民投票を行ったことで、2003年のフセイン政権崩壊以来歩みを進めてきた「クルド人国家」の実現は逆に遠のいた格好だ。自治政府側には2つの点で誤算があった可能性が浮上している。まずはクルド側の内部離反だ。自治区には長い歴史を持ち、独立を訴えてきた2つの主要政党がある。バルザニ氏率いるクルド民主党(KDP)と、クルド愛国同盟(PUK)だ。

 キルクークをおさえるPUKの一部勢力は、住民投票について「時期が悪い」と反対してきた。今回も中央政府軍に対し、ほぼ無抵抗のまま兵を引いた。両政党が強固な協力体制を築けなかったことが手痛い反乱を招いた。

 もう一つが米国の対応だ。クルドの部隊は14年、イラク各地を占拠したイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)の掃討で、米国と連携し大きな役割を果たした。

 西側外交筋は、その貢献を背景に住民投票に踏み切ったバルザニ氏には、「最後は米国が仲介に入るという期待があったのではないか」とみる。結局、米国は最後まで中央政府との間を調停せず中立を守り、クルド側は孤立した。

 ISが7月に北部モスルを明け渡して以降、戦闘は比較的小規模な集団の掃討へと移行。米国にすればクルド部隊の“利用価値”が減少していた面もあろう。

 中央政府のアバディ首相は来春に総選挙を控え、クルド側に妥協するような弱腰をみせられない立場にあったことも見逃せない。経済面の制裁にとどめるようなそぶりを示しておき、一気に精鋭部隊を動かして失地回復を果たした。

 中央政府は奪取した周辺油田の再開発を英石油会社に依頼したほか、クルド語での記者会見を禁じたともいわれる。住民投票が双方の対立感情に火をつけた形で、遺恨は今後、長くくすぶりそうだ。

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