>>920
水戸藩などの皇室中心史観を勉強した志士たちが尊皇攘夷論を興したという意味では、
平田らの国学も明治政府に間接的な影響を与えているとは言えると思うけど
そもそも明治政府の国家神道は尊皇攘夷論とはほぼ関係のない、
天皇を中心とする近代国家作りの柱であると見るのが適切だと思われますね

しかし日本には王権神授説も社会契約論もないし、
そうした概念を全然勉強してない官吏や国民に
いきなり天皇=神との概念を押し付けたので
相当奇妙な考え方としてかなりの反発が明治政府内部にもあった

そこでまた木に竹を継ぐような話になってしまうが
儒教の祖先崇拝、道徳論を持ち出して
天皇は赤子である国民を常に配慮する親であり、国は家族であるから
天皇の命令は親の命令であるという家族的国家観をさらに付加して
ようやく天皇中心国家論としてぎりぎり成立させた
これは教育勅語や軍人勅諭を見ると明らかでしょう

しかしかなり出来の悪いものでこれに納得した当時の日本人庶民も酷く教養がなかったんでしょね