【天文】「史上最古の日食」の日付を特定 紀元前1207年10月30日
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3000年前の「史上最古の日食」の日付特定 聖書のミステリー解明 論文
11/1(水) 10:06配信
【記者:Victoria Ward】
歴史上記録されている最古の日食が3000年以上前の特定の日に起きたことを突き止めたとする論文がこのほど発表された。
英ケンブリッジ大学(University of Cambridge)の研究者らによると、この日食が起きたのは紀元前1207年10月30日で、このときの様子は聖書にも記載されている。
研究チームは、この発見により、聖書学者が何世紀にもわたって頭を悩ませてきた旧約聖書「ヨシュア(Joshua)記」の中の記述の解明につながると主張している。
ヨシュア記には、ヨシュアがイスラエルの民を率いてカナン(Canaan、現代のイスラエルおよびパレスチナを含む古代中近東の1地域)に入り、祈ったという記述がある。
「『太陽よ、ギベオン(Gibeon)にとどまれ。月よ、アヤロン(Aijalon)の谷にとどまれ』。すると、イスラエルの民が敵に返報するまで、太陽は静止し、月も止まった」。
ケンブリッジ大学の材料冶金学部のコリン・ハンフリーズ(Sir Colin Humphreys)教授は、この記述が現実の観測を描写したものであるなら、「重大な天文学的事象」
が起きていたことになると指摘する。
「1611年に刊行された欽定訳聖書に基づく現代英語版の聖書では、この記述は一般的に、太陽と月が動きを止めたことを意味していると解釈されている」とハンフリーズ教授。
「だが、もともとのヘブライ語の記述に当たると、別の意味が可能で、それは太陽と月がいつもやっていることをやめた、すなわち光るのをやめたという解釈ができると私たちは判断した」
聖書のこの記述が太陽や月の食を表しているかもしれないと考えた研究者はハンフリーズ教授らが初めてではない。
しかし、これまでの研究者は、皆既日食の可能性には目を向けたが、金環日食の可能性については考慮に入れてこなかった。
金環日食とは、月が太陽の前を横切る際に距離が遠過ぎるために太陽を完全には隠し切れず、太陽が輪のように見える現象を指す。
日食が起きた日付を特定するためにケンブリッジ大学の研究チームは、経時的に変動する地球の自転速度を検証する「日食コード」を開発した。
この計算に基づくと、紀元前1500年から1050年にカナンから見ることができた金環日食は、紀元前1207年10月30日の午後だけだったことが判明した。
古代エジプト・メルネプタハ(Merneptah)王時代のメルネプタハ石碑(Merneptah Stele)の碑文によると、紀元前1500年から1050年の間にカナンには古代イスラエル人が
存在していた。
現在、エジプト首都カイロの考古学博物館(Egyptian Museum)が所蔵しているこの石碑には、メルネプタハ王の統治5年目に刻まれたものであるとして、カナンでメルネプタハ王が
イスラエルの民を打ち破った作戦に関する記述がある。
もしこれが正しければ、今回の発見により、歴史上最古の日食の日付が特定されただけではなく、メルネプタハ王とその父、ラムセス2世(Ramesses the Great)の治世の年代も
1年以内に絞れるようになる。
ハンフリーズ教授は、「ファラオ(古代エジプト王)の治世に関する正確な年代はエジプト学者の間では不確かとされることが多いが、私たちの新しい計算法が認められれば、
いくつかの在位期間については正確に年代を特定できるようになる」と述べている。
この研究論文は、英王立天文学会(RAS)の学術誌「アストロノミー&ジオフィジックス(Astronomy and Geophysics)」に掲載されている。【翻訳編集】AFPBB News
ソース:テレグラフ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171101-00010000-clc_teleg-eurp >>571
バカだな
実際にその高さを目視で測定して、その角度から
地球の半径を見積もった人がいたんだってばw
ttp://www.astronomy.orino.net/site/kataru/history/episodes/eratosthenes.html >>572
古代ギリシャに5ちゃんがあったとして
俺は太陽の高さを見積もった!
地球は丸い!
と書かれたレスに、自分の目でそれを見たこともないのに鵜呑みにする奴のこと>バカ >>175
1006年、1054年、1181年に起きてるとかって最初の2つは生きてりゃ2つ見れたレベルだがこんな頻繁に起きてたのか。
起きやすい時期だったとかか… ヨシュア記書かれたのって紀元前1500年頃だよね
「この日食が起きたのは紀元前1207年10月30日で」ってどういうこと? >>194
悪事の時はアイムザパニーズだろ?
ほら、言ってごらん >>137
弥生人と通称されるのは実際は今のベトナム人やクメール人などのオーストロアジア語族の仲間(Y染色体O1b系統)だぞ。
隼人などはO1a系統の可能性あり。
どちらもD1b系統やC1系統と比べると日本列島の中では新参だよ。 >>140
今の金属器研究だと、半島と日本列島への金属器の伝播は大して時期が変わらないようだよ。 >>562
神話は一つの神や語られる出来事に対して複数の事象が重なっていることはよくあるから、モデルが単体とは限らないよ。
スサノオや大国主は典型的。 >>560
縄文文化の集落が水稲をしているので、そのモデルは随分昔に否定されている。 >>583
その水稲も、結局は大陸からやってきたんでしょ
大陸からは何回もやってきているものと見ている >>584
水稲に関係するものについては、九州北部で混血した集団が日本各地に拡散したというモデルが通説になりつつある。
そもそも、雑穀の類は既に農耕(縄文時代については園耕という言葉を使う傾向がある)が行われていたから、主力穀物の
変更ということでしかない。
だから「一方、狩場を失った狩猟集団は農耕連中のいない土地に移動していった」のような駆逐説は支持されていない。 >>585
つまり、縄文時代に権力構造を伴わない農耕文化があったと?
その農耕とは、何を栽培していたの? >>586
大豆や小豆、ソバ、粟など。また、栗も栽培が行われていた。
【石川】縄文人 農業してた? 真脇遺跡で研究者 マメ栽培など可能性調査
https://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1465309188/
【考古】大豆痕跡5点発見 縄文農耕論の可能性高まる 山梨
https://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1238852605/
http://www.daigenta.jp/bunka/hokkaido.html
>なんとこの北海道の地においても縄文時代の初め頃に函館市南茅部にあるハマナス野遺跡において、蕎麦の種子が発見される
http://www.eonet.ne.jp/~sobakiri/9-1.html
>【日本の食風土記 市川健夫 白水社】では、ワシントン大学の塚田松雄教授によると、島根県飯石郡頓原町から一万年前のソバ
>の花粉が発見され、高知県高岡郡佐川町では九千三百年前、更に北海道でも五千年前のソバ花粉が出ているとある。
因みに高知県佐川町の遺跡では焼畑の痕跡もあった。 >>587
栗は原生種がありそうだけど
大豆とかは原生種があったのかな?
栗は栽培といっても、年月がかかるから狩猟採取とほとんど変わらないだろうからおいといて
大豆の場合、育てておいて貯蔵もできるのに権力構造が生まれなかったのはなぜだろう? >>588
>大豆とかは原生種があったのかな?
貼ったスレを読みなよ。
>那須助教によると、全国の縄文時代の遺跡では近年、大豆の野生種「ツルマメ」など食用植物の種が、土器に付着していた
>痕跡などの出土例が増加。通常よりも大きい種子が見つかったケースもあり、育ち具合から品種改良の可能性も探るという。
>山梨県の研究チームはまた、約1000年さかのぼる縄文時代前期(約6000年前)の天神遺跡(北杜市)の土器も調査。栽培
>大豆の野生種のツルマメと、野生種のシソ属(エゴマ・シソ)を発見した。
>中山課長は「栽培大豆の前段階の、野生のツルマメが見つかったのは初めて。縄文人は、香りが強く殺菌作用のあるシソやゴマ
>も食べていたのでは」と話す。縄文人の多様な食文化が浮き彫りになりつつある。 >>589
へーすごいじゃん
ならどうして権力構造≒文明が生まれなかったんだろうか
それとも高度な社会構造ができてたのかな
遺跡に残っていないだけで >>586
家庭菜園と小作農の間には隙間があるよ。 >>588
100人で1000人を従わせるのは難しい。
まず、従うのが当たり前だと思わせないと。 たった3000年前で本当に世界最古なん?
中国の歴史書ならもっと古いのがありそうな気がするが >>590
ある程度の上下関係が無いと大型の構造物は建てられないでしょ
先週、三内丸山遺跡見てきたけど、4000年前にあれだけの巨木を使った建物作るならリーダー的な存在がいたはずで、一定の権力構造はあったとしか思えない
で、縄文=狩猟文化ではない
後期には陸稲栽培があったし、晩期には水稲栽培が始まってる
縄文時代にある程度の権力構造が構築され、それが時代を経ながらこなれていったとしか考えられない >>594
縄文≠狩猟文化なら、縄文と弥生の定義は何?
農耕+権力構造のはじまりが弥生の定義と思っているんだけど違った? アメリカ先住民のポウハタンが参考になるかな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%82%BF%E3%83%B3
植民地人がポウハタンの社会を誤解したのと同じような認識をID:wvIsnEpI0はしている可能性がある。 >>595
そこで暮らしてたのが弥生人か縄文人かの違いでいいんじゃないかな。
こんな例もありますが↓
【歴史のささやき】あり得ない弥生人骨の出現 山口
http://www.sankei.com/smp/region/news/141010/rgn1410100096-s.html
701は、顔の高さ(長さ)が短く、横幅が広い。「低・広顔」という。眉の上「眉上弓」が隆起し、
鼻骨も隆起しているので、鼻の付け根(鼻根部)が陥凹(かんおう)している。
いわゆる彫りの深い容貌だ。
身長は158・8センチしかない。これらは縄文人の特徴なのである。
一方、702は、顔が高く(長く)、横幅が狭い「高・狭顔」だった。
鼻は低く、鼻根部は扁平で、彫りが浅い。
身長は165・9センチもあった。
これほど身体的特徴が違う弥生人が、なぜか寄り添うようにして、埋葬されている。一体、この2人はどのような関係にあったのであろうか。 >>46
温暖すぎたのか、系統の違いなのか、日本の縄文人は他の同時代の人類より殺しあった率が、極めて少ないとか。争いがなかったからいらんこと考えなかったのかねー。
でも、他の地域のように暦くらいは出来ても良いような気はするよねー >>500
バカじゃなきゃネトウヨになんかならないからなw >>599
一人で食べきれる以上に食糧をため込んだり一人で耕せる以上の土地を持っていないと、殺しあうほどの争いなんてそうそう起きないもんだと思う。 >>595
その認識は古いよ
稲作は縄文時代には始まっていたことは確実だから、考古学者の間でも弥生と縄文の境について議論がまとまってない >>605
それなら単に弥生時代の始まり年を早くすればいいんじゃないの?
定義を聞いているんだ >>605
稲作を重要視している上でと、縄文人が稲作をしていたことを認めるんなら弥生人と区別する必要はどこにあるの?
区別できないものは区別するべきじゃない。 >>607
今のところ、縄文時代と弥生時代を分ける大きな要素は金属器の継続使用と灌漑農業の普及かな。
縄文時代にも金属器が伝わっていたのは出土品で判明しているが突発的なもので継続した製造や使用には
至っていない。
稲作も弥生時代の特徴は灌漑施設を持つ水田の普及で、縄文時代に主流だった焼畑とは違う。
社会構造は農耕で変わったのではなく灌漑による水田で変わった。 縄文・弥生って当時の人たちが人為的・制度的に区切ったわけじゃなくて
あくまで現代人が勝手に状況を推測解釈して名札付けてるだけでしょ?
当時の人々の生活の中で自然に移り変わっていったものを
あとから明確に区切れるはずもないと思うがなぁ 「弥生は稲作」で始めた分類が間違いだと気づいた時点で区切るのやめろよ。 日食の訪れは計算できる
それをなにかの前兆として煽られた者の数もまた計算できよう >>26
世界中で記録されてるんだけどヨーロッパは記録がないやつだっけ >>24
たぶんサバン症みたいな奴がいてそういうのを克明に覚えてたんだろうな 史上最高の日食はたぶんアインシュタインが一般相対性理論の正しさを実証した1919年5月29日の日食 >>608
>灌漑による水田で変わった。
なるほどね こんな解析をしてる人も居る
世の中には色々な仕事があるんだなーと思いました >>133
当時の事だから、魔女の仕業だと騒がれた程度じゃないかねえ?
ちなみに、日本と中世ヨーロッパの自然災害に対する認識は似てるようでだいぶ異なり、
日本では神や天狗、怨霊といった
人間の手ではどうすることの出来ない存在の祟りであると認識し、
それらを丁重に祀るという対処法を取ったのに対し、
中世ヨーロッパでは、魔女(悪魔と契約して超人的な力を得た人間)の悪事であると見なし
それを発見・処刑するという、飽くまで人間の手で解決できる問題であると考えていた。 卑弥呼は日食の責任を取らされて診断じゃなかったっけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています