【考古学】2000年前の古代ローマの日時計を発見、碑文を解読
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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171113-00010000-nknatiogeo-sctch
今から2000年ほど前、ローマ市民マルクス・ノウィウス・トゥブラは、護民官に当選した記念に、故郷の小さな町に日時計を寄贈した。碑銘によると、本人が自費で設置したものだという。
イタリア、ローマから南に80kmのリーリ渓谷にあるインテラムナ・リレナスという町の遺跡を発掘していた考古学チームが、古代ローマの政治家が当選記念に寄贈した石灰岩の日時計を発見した。インテラムナ・リレナスは紀元前4世紀に建設された小さな町で、西暦6世紀までに廃墟となったと考えられている。
日時計のくぼんだ表面には、時刻を表す11本の線と、これらと交差する3本の曲線(夏至、冬至、春分および秋分との近さを表す)が刻まれている。ここに影を落としていた鉄製の柱は、現在はほとんど失われている。
英ケンブリッジ大学古典学部のアレッサンドロ・ラウナーロ氏は、碑銘の入った日時計が発見されることは非常に珍しく、これは「特別な発見」だと言う。ラウナーロ氏は、同大学のマーティン・ミレット氏とともに2017年の発掘調査チームを率いた。
日時計の下にはラテン語で「マルクス・ノウィウス・トゥブラ」という名前が刻まれていて、カーブした縁には、この人物が護民官の職にあり、日時計の代金を自費で支払ったという説明が刻まれている。「故郷の町に日時計を寄贈することで、当選を祝いたかったのでしょう」とラウナーロ氏は言う。「町の人々は、日時計を見るたびに、トゥブラの出世を思い出したことでしょう」
日時計は、当初は町の広場の目立つ場所に設置されていたようだが、発見された場所は、近くの劇場の入口付近だった。考古学者たちは、中世に廃墟になっていたインテラムナ・リレナスから建材を持ち去った人々が置いていったのではないかと考えている。
日時計は、紀元前1世紀の半ば以降に寄贈されたようだ。このことは、碑銘の文字の様式と第三名の存在から推定される。第三名は、父から子へと受け継がれるニックネームで、紀元前1世紀までは高名な人物の名前にしか見られなかった。ちなみに、マルクス・ノウィウスの第三名「トゥブラ」は、ラテン語で「小さいトランペット」という意味だ。
ローマ共和国時代の護民官は平民の指導者だった。紀元前27年にローマが共和制から帝政に移行すると護民官の権限のほとんどが失われたが、名誉ある官職として長く存続した。
考古学者たちは、今回の発見は、古代ローマの小さなコミュニティーに属する市民の政治への野心と関与の解明に役立つものであり、非常に興味深いとしている。
「私たちはこれまで、インテラムナ・リレナスの出身者がローマで重要な役職に就いていたとは考えていませんでした」とラウナーロ氏は言う。「ここは有名でもなく、影響力もない、どこにでもあるような中規模の町でした」
「だからこそ、この町の研究を通じて、古代ローマ時代のイタリアの一般的な都市についての情報が得られる可能性があるのです」
http://amd.c.yimg.jp/amd/20171113-00010000-nknatiogeo-000-4-view.jpg >>83
サッと出てくるその知識に惚れる、ローマは面白い >>48
なに不自由なく育ったボンボンが野蛮で無教養なDQNにガチンコで勝てるとおもって? >>77
オックスフォードやケンブリッジに行くような子は、ラテン語の読み書きを高校で習うんだよな。
モンティパイソンが、キリストの生涯のパロディ映画でネタのしていたのを想い出した。
ユダヤ独立運動に加わった人公が、ローマ軍団駐屯地の塀に「ローマ人は帰れ!」と落書きしたら、
ローマ兵に見つかって文法を直され、朝まで正しい文章を書き取りさせられるというヤツ。 古代ローマって征服した相手に比較的やさしかったらしいな ええ奴らやで >>88
都市に上下水道や浴場を建設して衛生状態を劇的に向上させ、駐留部隊を置くとともに街道を整備して
蛮族や野盗の脅威を排除して商業を発展させたんだよな。そして更に、文字の読み書きを広めたり、
ワインやパンの他、帝国各地の食べ物を普及させ、コロセアムで色々な娯楽を提供することで、文化面
でも貢献している。
日本も似たようなことを、どこかの半島でやってたなw >>88
帰順したらの話で抵抗する相手は徹底的に潰した
カルタゴなんか全住民奴隷として売り飛ばしたあげくに、二度と再興できないように都市を破壊して土地に塩まで撒いてるし
ギリシャの富裕な都市国家コリントも同様に略奪されて徹底的に破壊され、やはり住民は奴隷として売られている
どちらもその後ローマが新しく都市を築き、新しいカルタゴからは後に皇帝も出ているけど 昔の雨降ったら休みって風習って単に時計が無くなるからじゃ・・・ 時代が違うから野蛮さとか今の感覚では測れないけど、ローマの歴史って面白いよな。 >>76
大正天皇や侍従もフランス語が話せたな。欧州のみならずアメリカや日本でも上流階級には必要だった。 ベルサイユ条約で初めてフランス語に並んで英語の文章が作成されて英語がようやく真に国際語として認められた
それまではいくら七つの海を支配してもヨーロッパの辺境の島国の変な言語でしかなかったからな >>5
ラテン語は変化が細かく分かれ過ぎてて憶えるのが大変だから。
自転車で言うなら、例えばギア付きで10段ギアみたいなのがラテン語
でも10段も使いこなせないし、使わなくても何とかなる。
3段ギアぐらいになったのがイタリア語、フランス語、スペイン語等々
ネットの日本語を観てごらんよ。てにをはを抜いてたり、〜する〜されるを抜いてる文章だらけ。
ラテン語は「てにをは」がちゃんと入ってる感じ。
ヤフーのトップに「日産 6工場でISO認証取り消し」とあるけど、
「日産は6工場でISOの認証を取り消しされる」の方が正しいけどてにをはを抜いても通じるのと同じ アキテーヌ盆地とは、アキタニアンの由来だったか?
チバニアンのスレで見覚えがある >>83
ブルガリがBVLGARIってかくようなものか。
Uの代わりにVを使ってたとしても、「ヴ」の発音とはどうやって区別してたんだろう?(ラテン語にあるかどうか知らないけど、古くからありそうな、novaとか9の意味のnoveとか?前後が母音か子音かとかで区別?) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています