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薩長土肥 の藩閥政治の落ちこぼれ元の土佐藩士たちの多くは
宮内省に押し込められ皇室や天ちゃんのお世話に廻された、
香川敬三等の藩士

1904年(明治37年)2月、日露戦争の前夜、葉山の御用邸に滞在の折、
37,8歳の武士が白衣で皇后の夢枕に立ち、戦いの際の海軍守護を誓ったという。
宮内大臣田中光顕(土佐)に下問したところ、田中は坂本龍馬の霊であるとし、
これが新聞に載って国民の士気を鼓舞し、霊山官祭招魂社内にある坂本龍馬の墓前に忠魂碑が立てられるに至った。

野田正彰はこの説に批判的で、龍馬と同郷(高知出身)の田中が龍馬を国威発揚に利用するため流した風説であるとの立場を採っている。

ちなみに野田もやはり同郷である。