【話題】終戦直後の日本が、フルカラーで甦る 「超貴重」写真を国会図書館が無料公開
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第2次世界大戦直後の1946年4月〜47年1月、GHQ関係者が日本各地で撮影した304枚ものカラー写真を、国立国会図書館がウェブ上で公開している。
よく見る白黒写真と違い、鮮やかなカラーで写しだされた当時の様子は、生々しい臨場感にあふれる。
ガレキの山、軍用機の残骸、広がる墓地といった戦禍の跡。
一方、そんな中でも復興に向け活気づく人々。リアルな「戦後」の姿に、ネット上で反響が広がっている。
廃墟の街に掲げられた「エノケン」映画
たとえば、愛知県内で撮影されたと見られる一枚の写真。
舗装がはがれたのか、土がむき出しになった路上に、いくつかの露店が並ぶ。
露店、といっても、角材などでとりあえず形だけ作り、ボロボロの机を置いただけの粗末なものだ。そのうちの一軒には、「ライター修理所」の幕がかけられ、カーキ色の服の男性が黙々と作業を行っている。
前後の写真にも、ガレキだらけの路上を占有して、履物や雑貨を売る露店が多数写っている。
季節は冬だろうか、人々はかつての軍服や国民服をありったけに着重ねる。
戦時中には愛知県、特に名古屋市はたびたびの大規模な空襲を受けたが、撮影された1946〜47年の時点でも、生活には深い爪痕が残っていたことが、見る者にはっきり伝わってくる。
一方で冒頭の一枚には、榎本健一の「エノケンの法界坊」や林長二郎(長谷川一夫)の「沓掛時次郎」と、映画館の広告看板が映りこむ。
いずれも戦前作品のリバイバル上映だが、人々のエンタメへの渇望がうかがえ、復興への活力がうかがえる。
これらの写真は、GHQの「文民スタッフ」として来日していたロバート・V・モージャー氏が1946年4月〜47年1月にかけ撮影したものだ。
国立国会図書館ではその親族から2008年に寄贈を受け、館内で公開していたが、このほどデジタル化、2017年9月6日からウェブ上で無料公開している。
米軍に接収された松屋銀座
モージャー氏は上記の名古屋のほか、東京、大阪、広島など各地の写真を残している。
たとえば、銀座の街角。「TOKYO PX」の大看板を掲げるのは、今も営業が続く松屋銀座だ。当時は米軍に接収されていた。そしてそのすぐそばには、掘立小屋のような露店が立ち並んでいる。
広島の街並みは、他にも増して荒涼とした風景だ。ぐんにゃりと曲がった鉄骨、壁だけが残った建物。そして、原爆ドーム。
現在では平和記念公園として整備されたドーム周辺だが、当時はそのすぐそばまで、多くの真新しい墓石が連なっていた。
ほかにも、やはり米軍に接収されたそごう大阪店(現・心斎橋本店)、黒く焼け焦げた名古屋の松坂屋、野原に放置された一式陸上攻撃機の残骸、色鮮やかな着物を着た若い女性たち......。
一連のコレクションはツイッターなどでも「超貴重」などと話題になっており、反響のつぶやきが次々と寄せられている。
「メッチャ興奮するなコレ......全部デジタルコレクションで見られるのはありがたい限りだ」
「思わず全部見入ってしまった。戦災を受けた名古屋の写真はあまり見たことがなかったが、これほどの惨状とは」
「昔から変わったものと、今もそんなに変わってないもの。感慨深い」
https://www.j-cast.com/assets_c/2017/11/news_20171116183309-thumb-645xauto-126190.jpg
その他画像はソース先で
2017/11/17 07:00 J-CASTニュース
https://www.j-cast.com/2017/11/17314122.html
■関連リンク
国立国会図書館デジタルコレクション - モージャー氏撮影写真資料
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10756455 車が少ないのとビルが少ない(雑居ビルやマンションなど)というだけでこれだけ日本の風景はスッキリするという見本 東京一極集中は維新以来の国是だったからな
いい加減やめたほうがいい時期に来てる >>20
屋上の掘っ立て小屋で博士が謎の研究してるんだな ナチはオシャレやね。
見た目にも踊らせれるわけわかる。 >>14
そんなことはない。1941年12月08日までは普通にアメリカ映画も上映されていた。
ミッキーマウスなど戦前から知られていた。 >>46
それはまさに在日のデモ。戦勝国扱いせよという要求。まだ独立前なのに。 >>41
この飛行機の残骸は銃座の形的に4式重爆かな >>14
亡くなった祖父が映画の仕事してたけど、チャップリンから英語の葉書を貰ってたよ。 名古屋大空襲の時は、100キロ以上離れた岐阜県の長野県境まで、
上空が真っ赤になった様子が見えたと。
平成になって亡くなった、明治生まれの祖母が言うには、死ぬ恐怖を感じたのはこれと伊勢湾台風だったらしい。 写ってるほとんどの人が、もうこの世にいないって思うと、いろいろ考えさせられる。 >>30
医学書なども「左から右」だったようだね
海軍の軍医になった人が、ある日港を眺めていたら
「バカ」という艦名の駆逐艦を見つけて驚いていると、
今度は「ハシカ」という駆逐艦が走っていた…
「樺」と「柏」だったというオチ >>55
もう100年後には誰も覚えてないんだから
悩まないで好きな事やった方が良いんだぜ GHQの第一生命ビルの屋上にパラボラアンテナらしきものが上がっているんだけど、
1946年にマイクロ波通信を実用化していたのか? おかしいな看板の文字 左からだったかな 右からだったような >>16
南朝鮮人が歴史の実態を知らないように、我々もまだ知らない現実があるんだろうね
憶測や都市伝説より勉強して真実を知るべきなんだねえ >>52
あの残骸は海軍の一式陸攻一一型だと思う
操縦席後方の銃座(の穴)が一致する
あとは尾部銃座の形 鉄道公報の昭和21〜23年頃のを見ると密入国者や在日朝鮮人が鉄道貨物を略奪したり盗んでる事件や注意喚起が物凄く多い 三色のセロファンテープとカメラをうまく組み合わせたら色がつけられないのかね
現像は知らんが
うまくやったらネガの方は用意できそうな気がするんだが >>42
サザエさんの髪形ってリアルにしてる人いたんだ。ファンタジーの髪形だと思ってた。 >>68
それに似たようなことは第一次大戦前からある
アルベール・カーンでググれ 戦争は知らない昭和後期生まれだけどカラーで見ると戦後間もない頃の写真見てもなんも驚かないな。 子供の頃見た景色とあまり変わらない。
戦後って結構まともやね、関東震災とか空襲とか無ければもっと独特な景色だったのかも。 301コマの車は凄いなと。ナンバーが5つ星。もしやと思ったらその通りでマッカーサー用の車だった。
303コマはマッカーサーとなっているが、真ん中で合っているのかな? 昔の日本人はブスが多かったんだな。
若くてもみんなオバサンみたいな顔。 >>36
みんな、大介花子の大介や片桐はいりみたいな顔してる。 >>65
うむ。自分も一式陸攻一一型だと思う。
しかし、なぜ終戦時に初期型の一一型が作りかけで放置されていたのかいたのかが謎だな。 暖房に石炭を使っているせいか、ビルから黒煙が上がりまくっているのが印象的だ。 >>75
そら焼け野原にされたからね、谷根千は奇跡的に空襲を逃れたので、古い木造住宅が残ってる GHQが撮ったカラーなんとかなんて何十年前から書籍化もされて図書館とかにいっぱいあるじゃん。
今さら驚いてるとか馬鹿じゃねぇの。 >>77
庶民だからでは?
明治大正の知的階級とか
奥目で鼻筋通った顔立ちが多い >>83
奥目って合ってるかな
白人みたいにアイホールがちゃんとある顔ってことね >>81
谷根千あたり行っても
そこまで風情を感じなかったな
食事の質が下町ってだけで、、
お寺なんかはレトロな雰囲気あったけど
教徒の町屋のほうが普通と違う感がある 撮影者がど素人で意味不明の被写体・構図・露出・ピンボケその他多すぎ
youTUBEにある当時の高解像度の動画に比べると酷さがよくわかる そんなセオリーなんてろくになかった時代に無茶言うなよ
ネットで情報漁って後出しジャンケンとか卑怯だろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています