【東京/経済】銀座の華、昭和史刻み幕 名門キャバレー「白いばら」来年1月閉店
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銀座の華、昭和史刻み幕 名門キャバレー「白いばら」来年1月閉店
2017年11月19日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201711/CK2017111902000128.html
戦前からの歴史を刻む、東京・銀座のグランドキャバレー「白いばら」が来年一月十日、施設の老朽化を理由に閉店する。「あなたの郷里の娘を呼んでやって下さい」がキャッチフレーズ。地方出身のホステスたちのお国ことばでの接客が人気だった。キャバレー不況を乗り越え、盛況が続いていただけに惜しむ声は絶えない。 (梅村武史)
銀座三丁目の中央通りから有楽町寄りにある「ガス灯通り」の一角。店の外壁に大きな日本地図が張られ、ホステスの名前を出身都道府県とともに紹介する。白と黒の市松模様の床の上に真っ赤なソファが並び、一段高い場所にステージがある。
イラストレーターのなかだえりさん(43)=足立区=は十年前から通う。「内装やショーも魅力的ですが、アットホームな雰囲気が大好き」。四十年来の常連という江戸川区の会社役員岡村義裕さん(74)も「銀座なのに素朴なムードがある。心を癒やしてくれるオアシスだった」と話す。
五十年以上店で働いた元店長の山崎征一郎さん(75)らによると、創業は満州事変が勃発した一九三一(昭和六)年。三六年の二・二六事件前夜には、来店した青年将校が「あすの号外を楽しみにしろ」とうそぶき、軍刀で観葉植物を切って立ち去ったという逸話も残る。
戦前は何度も店名を変え戦時中には店舗が焼失。五二年に現在の「白いばら」の名で再出発した。キャバレーは高度経済成長とともにブームとなり、ステージには無名時代の歌手美輪明宏さんや、落語家の立川談志さんが上がった。横綱の大鵬や北の湖も客として訪れた。
客足のピークは一九七五年ごろ。酒場の多様化につれキャバレーは斜陽産業となり、多くのライバル店が姿を消した。そんな中、店内での雪合戦などユニークなイベントや料理のレベルアップなどで集客に成功。店のあかりを守ってきた。
現在も、昼間に百貨店で働く女性など二百人超のホステスがいるが、ノルマも罰金もチップもない。働きやすい環境が、客の居心地の良さにもつながるという経営理念が背景にある。山崎さんは「銀座という場所なのに若いサラリーマンにも来てもらえた」と振り返る。
活況が続く店を閉めることについて、三代目オーナーの大住一誠社長(54)は「木造の建物の傷みが激しく、災害時に客やスタッフの安全を確保することが難しい。店を愛してくれた方々には申し訳ない」と説明。現在は入場を制限しており、営業終了に伴う特別な企画の予定もない。「静かに幕を下ろしたい」と言う。
<キャバレー> 風俗営業法で定められる飲食店で、バンド演奏のステージやダンスホールを備えホステスが接客する。1960〜70年代の最盛期は全国で200店超があった。中でも大規模店は「グランドキャバレー」と呼ばれ昭和の歓楽街のシンボルだった。現在、都内で「白いばら」以外にグランドキャバレーを名乗る店は「キャバレー太郎」こと福富太郎さんが創業した「ハリウッドチェーン」の赤羽店と北千住店がある。 >>135
ブルーノートとか
コットンクラブとか
ロボットレストランとか
のレトロ版かな?? あの出身地、嘘も混ざってるんだよな
別に嘘でもいいけどすぐバレるようなのはやめて欲しい 直ぐ隣のブロックで働いていた。
携帯電話以前の時代だが、店の前に赤電話があって、よくドレスの女性が電話していたね。
お客さんを呼んでいたのかも。
若い女性も居た様だけどそれなりの年齢の女性も居たように思う。(お客の見送りに出入り口まで出てくるのでわかる)
一度も行った事が無いけど、やっぱ行かないわ。
一つの歴史が終わる感じだ。
洋食のレンガ亭は未だ有るのかな?
つばめグリルも未だ有るかなぁ? 東京に住んでた時良く逝った。
ホステスさんと仕事抜きで仲良くなれるいい店だったな。
死ぬ前のポール牧を見たのが印象的だった 時間帯でドリンクの値段が違う
たとえば、ビールは開店から一時間は600円そのあと800円とか
好きな子を指名して1200円、バックマージンは半額分と日給
日給も一日最低が三千円とか上は稼ぎ次第
12月は売れっ子だと百万ぐらいは持ってく
男子は働いても楽しかったし月給もそんな安くはない二十万はもらってた
子供を抱えた後家さんとかは助かったと思うよ
育児所もあったし送りもついてた
引き抜きがあるからホステスさんは大事にされていたよ
働いていたけどあの時代は自分の宝だと思う
NKGさんありがとう、new Jさん
青春の思い出 >>149
ポールさんよく来てたよねw
ポールさん来るとボーイのコールが必死になる
AさんAさん37番!37番!みたいなw 着物系の人いたよね
かなり年配者で70代?
でも指名多かったんだよ確か
品の良い老紳士とのツーショットはこれぞ銀座という
雰囲気で良かった
あんな綺麗に遊べる老紳士になりたいと憧れたな 昔勤めてた職場、ここからよく男性陣に手紙が届いてたわ
男性達は皆で行ってるから平然としてた
私は近くを通るだけだったけど何故か淋しい気持ちだわ >>21
日本では違うと思うぞ
生バンドがいて
歌手が歌ったりして
あと
客とホステスがダンスとか ここのホステスさんってみんな60代70代かとオモテたw >>158
幅はすごいあるぞ
上は50代もいるだろ? >>160
クラブだとメンバーズだったりするから
一見さんお断りだったりもある
キャバレーはふらっと入れるよ…
で明朗会計
お試しで安く済ませるなら早い時間に入る事だ 去年の忘年会をここでやった
そこそこ贅沢できたと思う
女の子が綺麗 >>163
トン。空いてそうな土曜のオープン直後にでも試してみる。 まあ
絶滅危惧種だからな
東京だと後ハリウッド位か… 楽しいロンドン
愉快なロンドン
ロンドォ〜ンロンドン 地元の昭和のキャバクラ、女の子なかなか来なくていつも最終的に男同士の飲み会になる キャバレーはね、大人の避難所
昔は優しいお姉さんたちがたくさんいたんだよ
男たちは疲れた羽を休めに行って
明日からの英気を養ってたの
あまり住みよくて破産するまで通った叔父たちもいたんだよ 竜宮ってとこだと魚の名前の子たちがいっぱいいた
黒鯛さんは年増で、金魚ちゃんは若い子で、
出身地の名前の店もあったな
仙台さんとか秋田さんとか、東京さんとか
一晩に二回のミニショーがあって有名ではない歌手が唄ってたっけ
たまにヌードショーもあったな
値段は一緒だけど有名歌手が来るとチャージが取られてた
一晩遊んで一万から二万円
楽しかったな 初めて行くなら七時前にはいるとすこし安いよ
指名の子はいないと言うとフリーで二人つけてくれる
気に入ったら店内指名というので付けてやると喜ぶ
その分高くなるけど二時間ほどいて一万五千ぐらい取られるかな
ま、二万は見てもいいか
俺の時代の高い方の店の話だよ
五千円ぐらいでも遊べたけど
お金出したほうが面白かったね キャバクラ、キャバレー、スナック
何が楽しいか全然わからん、馬鹿な女と話し
て何かいいことあるの?本でも読んでた方がいい >>178
キャバレーは生バンドがいてダンスフロアがある
その分箱もでかい
そこが違うとこだな
ダンススペースないとキャバレーとは
名乗れない >>177
キャバクラはそうだろうな
まあ行かないけど
キャバレー年数回なら行く
スナックは行きつけはあるよ
静かでいい店
でも基本は個人経営の居酒屋かな
大将やママと話すのが楽しい
後BARも行く >>165
この店、シラフで入ったことあるけど結構キッツいって感じ…
有楽町辺りでロング缶二本ほど飲んでから店逝くといいかも?
アルコールって適度に理性を喪失し、お姐様方が艶めかしく見えるw 今日ここの前通ったからマジマジと外観を見てしまった
行った事ないけど道案内の目印にしてたから寂しい気分になったわ >>49
鶯谷はスター東京とワールドだよ。
スター東京はしばらく建物そのままだったよね。
ミカドは赤坂。
新宿にもクラブハイツ、ムーランドールなんかのグランドキャバレーあったね。
池袋には杯一。
宝塚なんかも池袋にあったな。 >>23 もうね。今はネットの時代なんだよ。人と人との触れ合いは時代遅れなんだよ。 ニューラテンクオーターは
あれもグランドキャバレーって括りでいいのかな?… グランドキャバレーの中の乱雑感は良かったな
片やヤクザの席、町のおっちゃんたちの席
会社役員達らしき連中の席、たった一人でほったらかされている席
ホステスに囲まれて固くなってしら〜としている席
若いのがはしゃいでキャビキャビの席
婆ホステスがたまっている席
見ているだけでも楽しかったよ えーまじかよ
なんか昭和な雰囲気で気になってたのに 20年近く前になるかな、取引先の社長がここお気に入りで何度か連れて行ってもらった。
若いお姉さんもいて楽しかった。
お手洗いに「女の子には触らないでください。嫌がって辞めてしまいます」とか「お支払いは
現金のみでお願いします。カード会社に手数料を払うといまの料金ではやっていけません」
みたいな注意書きがあって、まじめに商売してるんだなと思った。 酒も会話も好きでない俺みたいな人間にとって、こういうところは拷問だけどな
若い頃は変人扱いだったけど、最近の若い連中は俺みたいなのが多いんだろ? 潮時かねえ
バブル世代よりも若い人たちに受けそうな感じがしないもんなあ
昭和は遠くなりにけり ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています