>>835
鬼畜米英なんて、左翼に煽られた軍部の一時のたわごと

開戦の2年前にはまだ米艦が友好訪日している。

誰も本気で米国と戦争するなんて思ってなかった
〜「壁新聞」が伝えた開戦間際の「日米友好」
(井上 寿一)
現代ビジネス 講談社(4-5)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44644?page=4

日中戦争下の日米友好の演出は、
1939(昭和14)年の米艦アストリア号の訪日となる。
アストリア号は、同年2月にワシントンで客死した
斎藤前駐米大使の遺骨の移送を任務としていた。

写真壁新聞「友誼の護送軍艦/斎藤前大使の遺骨を故国へ」
(3月10日号)は、アメリカ側の決定を伝える。
写真は「ルーズベルト米大統領の友誼の申出に依り逝去した
斎藤前駐米大使の遺骨を故国日本に護送する」アストリア号である。
4月に横浜港に到着したアストリア号を歓迎するセレモニーと
斎藤の葬儀は、日米友好を訴求する機会となった。