【歴史】戦艦「大和」に設計図にない連装機銃…資材不足で?★2
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潜水調査の画像解析で確認された25ミリ連装機銃。これまで搭載された記録はなかった=大和ミュージアム提供
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20171207/20171207-OYT1I50008-L.jpg
戦艦「大和」の図
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1941年10月、全速力で試験運転する戦艦大和=大和ミュージアム提供
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太平洋戦争末期、米軍の攻撃で鹿児島県沖に沈んだ戦艦「大和」に、従来知られていなかった砲身2本の25ミリ連装機銃が搭載されていたことが、広島県呉市の潜水調査でわかった。
当時は対空戦に備え、砲身3本の25ミリ3連装機銃増設が進められたが、戦争末期の混乱で計画通りに設置できなかった可能性があるという。
潜水調査は昨年5月に実施。水深約350メートルの海底に沈む大和をとらえた約50時間分の映像と約7000枚の写真を調べたところ、連装機銃1基が確認された。設置場所や全体の搭載数は不明という。
呉市の「大和ミュージアム」によると、大和の装備に関する資料は終戦前後、軍の命令で多くが焼却されたため、現存するのは1944年に旧海軍が作製した設計図が最も新しい。米軍が45年4月の攻撃時に撮影した写真などと合わせた解析の結果、12・7センチの連装高角砲12基、13ミリ連装機銃2基などの存在に加え、44年以降に増設された3連装の25ミリ機銃は、艦中央部を中心に計約50基あったと考えられていた。
大和の建造時は戦艦同士の戦闘を想定して巨砲が装備されたが、やがて海戦の主力が航空機となり、44年以降の改修で、機銃や高角砲などの対空装備が増設されていた。今回見つかった連装機銃は、機銃の前に写っていた波よけのための覆いが3連装用の大きさだったため、増設時に何らかの事情で急きょ機材を差し替えたとみられるという。
同館の戸高一成館長は「戦争末期は空襲で国内の流通が破壊されており、資材の供給がうまくいかなかった可能性がある。大和の装備についてはまだ謎が多く、今後も調査を続けたい」と話している。
同館では、今回撮影した写真パネルなどを展示した企画展「海底の戦艦大和」を開催している。来年3月25日までで、問い合わせは同館。(松田祐哉、山本慶史)
読売新聞 2017年12月07日 09時13分
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20171207-OYT1T50020.html
前スレ:2017/12/07(木) 19:19:44.19
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1512641984/ 資材供給ができて対空装備が十分だったら沈められてなかったってこと? ガキの頃大和のプラモ作ったんだがおそらく後期改造後のやつで
対空機銃の数が半端なくて貼ってるうちにめんどくさくなってきて
艦橋の上とか主砲の上とか舷側とかめちゃくちゃに魔改造した苦い思い出 ■昭和の3大馬鹿査定
伊勢湾干拓
青函トンネル
戦艦大和←■これな? 全艦対空兵装ハリネズミ化が必須だったのだから
かき集めてもたりなくてなんかのお下がりも
大和でも付けざるをえないわな こんな鈍足の巨大な鉄の塊作るくらいなら空母や零戦を量産すべきだった 大和は他戦艦群と比べて比較的浅い350メートルの深さに沈んだはず。
時間をかけて調べれば、設置場所はどこかもいずれ判明しよう。
たぶん第一主砲塔周辺に固めてる気がするんだよねえ。 >>6
載せる飛行機がなくても航空戦艦伊勢と日向は集中攻撃から生還した >>13
足りないのは燃料とパイロット
飛行機はアルミ
砲戦やれば間違いなく最強なのだから
トラックに居座るだけで大和はそれなりに役目果たした 鬼畜、東京都北区赤羽住民、創価学会集団ストーカーに加担する
ド ト ー ル コ ー ヒ ー は 創価学会だ
赤羽警察署は偽証申告した住民の犯罪を
もみ消しにかかってる
っhっっっっっっっっjっhっyひゅう >>9
ある意味最大の難所w
俺は馬鹿げてることに、機銃を作り終えてから燃え尽きて放置してある…
作らないとな… 4万5千トンの戦艦といろいろつくると大蔵を騙して大和つくったんだけど本当に
そうしておいたほうがよかったわけだね >>11
戦艦大和は極秘で作るために、各部分をユニット化して各地で作って
最終的に現場でドッキングさせて短期間で組み上げるという技術的革新があって
それは戦後の車や住宅などの産業の生産体制にも役立ったので無駄バカとは言えない 穴あけ機銃がこんなとこにw
PT対策だろ、まあ戦艦がやることじゃないが
バルジか女神か缶積んどけw 特攻機も白黒をカラーで色づけしたものをNHKでみたら
塗装が剥げてボロボロだった。
片道燃料積まなくても本当に飛ぶの?という酷い状態。 >>1
発見された武蔵の潜水画像でも、知られていなかったタイプの機銃が映ってて、軍オタに衝撃が走ってたな。 大和が一回だけ主砲撃ってアメリカの巡洋艦だかが一発で沈んだって本当? そもそも戦艦なんかいらんかったんや
全部空母にしときゃよかったのになー >>15
どっちかの艦長が戦闘機乗りかなんかの出身で、急降下爆撃のタイミングを外す操船を編み出したんじゃなかったか。 ヤマトには資材が優先して使われ、修理場の独占敵にあてがわれ、護衛艦隊、駆逐艦隊から
憤激をかった。
不必要に燃料をつみこみ、不要の人材をのりこませ、一揆の撃墜もなく沈んでいった。
昨今の大企業の破産につうヅルところあり。
敵前逃亡の実績と疑いがあり、大本営の若い参謀は一緒にヤマトに乗り込んで督戦せんとして
拒否された。(さすがにぷらいどがゆるさなかったのだらおうが、当時の雰囲気がわかる。
功抜群?の戦艦ヤマトの乗組員として戦後は楽に暮らせると期待したのか?) >>32
今からならそれも言えるが当時の空気では無理でしょ これが
http://wikiwiki.jp/kancolle/?plugin=ref&page=%C1%F5%C8%F7%A5%AB%A1%BC%A5%C9%B0%EC%CD%F7&src=weapon040-b.png
これ
http://wikiwiki.jp/kancolle/?plugin=ref&page=%C1%F5%C8%F7%A5%AB%A1%BC%A5%C9%B0%EC%CD%F7&src=weapon039-b.png >>13
終戦時には本土決戦用に、陸海合わせて航空機は5000機くらい保有してた
とにかく燃料だったり、まともな訓練も出来ないので操縦士が不足 >>34
松田千秋?
大和は大きいから舵をきってから動くのにちょっと時間かかるらしいから
同じやり方はむりだろね >>25
時すでにジオンにはビグザムが、
日本には大和を量産する国力は無かった・・・ 実際に当時に生きていた訳でもないのに書籍やネットで仕入れた薄っぺらい知識を
ひけらかして悦に入ってるミリオタwww >>35
音声認識に自動変換を咬ませるとこんな文章になるのか? >>13
大和はそれでもまだマシ
武蔵に居たっては敵より乗り組員の方が死んでるくらいだし >>34
ええー ゲームじゃないのに上からダイブしてくる
航空機の軌道から逃げる操舵なんて無理だろー
とりあえずラッキー程度に当たらないようにジグザグはあるかもしれんが >>45
レイテ沖の大和もかなり攻撃を受けてるんだけど森下艦長が大和型操艦の達人だからほとんど至近弾で切り抜けてる
武蔵の猪口艦長は着任して2ヶ月だからな、満足な回避なんてできんよ >>51
全戦闘を通じて「伊勢」は至近弾46発を受けている。遠弾を含めると「伊勢」を襲った敵機は150機を超えていることは確実だ。それらをことごとく回避した中瀬艦長の腕の冴えは見事というほかない。
敵機が投弾した時、中瀬艦長は、ちゅうちょなく、"取舵"をとったという。つまり、常に左回頭をすることによって、敵機を振り切ることに成功しているわけだが、(略)
中瀬艦長『───米軍機というものは、単機で急降下するということが、ほとんどなくて、数機またはそれ以上の密集編隊が急降下してくるんですよ。当日はまったくの快晴で雲一つない状態だったので、
急降下するとき、太陽の反射でキラキラするのですぐわかるんです。この瞬間に急速転舵をして回避にうつり、弾着と同時に、急速、舵を戻して旧針路に戻したわけです。
つまり敵編隊が急降下に入ったとき、こっちが転舵すると、それに即応して進入進路を修正することができないんですね。編隊を組んでいるから、修正するとたがいに接触する危険があるわけです。
やむなくそのまま突っ込んで爆弾を落とすんですが、まるで命中しないわけです。(略)
回避運動で、取舵ばっかりとっていたのは、とくに理由なんかありません。あれは、むしろ私のクセですね。"トリカージ"と言ったほうが言いやすかったからです。
しかし、毎回取舵をとったのは多少のご利益があったかもしれませんね。
つまり、敵の後続編隊が先頭隊の投弾によって取舵に回避するのを見て、こんどはオモカジにとるだろうと考えて、急降下に入る寸前、先頭隊とはやや反対側を狙ってきたのがありましたよ。
ところが、同じように取舵をとるもんだから、弾着位置が右舷遠方になってしまった。ということがありましたね。敵のウラのウラをかく結果になったわけです。』
佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』(光人社、1983年)51,52頁「用兵の極地 戦艦「伊勢」艦長・中瀬泝少将の証言」から引用 どっから持ってきた平面図か知らんけど、せめて左右の副砲を撤去したの使えよ。 ちなみに同著72頁,73頁の日向艦長・野村留吉少将「武人の本懐」より
野村艦長『敵機は、もっぱら後方から急降下爆撃をしてきましたね。そのとき回避運動をするのですが、まず艦橋の見張員が報告したら、艦長は敵機の様子を見て操艦するわけです。
だいたい見張員が「突っ込んできますッ!」と叫んだ瞬間に「オモ舵一杯ッ!」と叫ぶわけです。敵機を見ている暇がないときは、ほとんどカンで操縦しますね。
ぼくの場合は、たいていオモ舵一杯と言ってました。
爆撃に対しては、オモ舵でも、トリ舵でも、どっちかにとればいいんです。とっさの場合だし、それが言いやすかったから、ぼくはオモ舵一本でやったわけです。
「伊勢」の中瀬艦長はもっぱらトリ舵で回避していたと言ってましたね。
戦闘中は最大戦速で走っていますからね。「日向」は25ノットですが、そのスピードでいきなりオモ舵一杯をとると、急激にブレーキがかかって回頭します。
戦闘艦橋がぐーっと傾いて海の上に出ますよ。体が傾きますしね。あまり気持ちのいいものではないですよ。
そのとき、約5ノットくらいにスピードが落ちます。そうすると急降下の態勢に入った飛行機は、目標が後落して行くので、機首をどんどん下げて前のめりになる。とうぜん照準が狂ってくるというわけです。
投弾しても、なかなか艦には命中しない。だから、どっちに舵をとってもいいんです。
ところが、魚雷の場合はそういうわけにはいきません。低空で来る角度や、雷跡などを見て操縦していましたがね。アメリカの魚雷は、泡をはっきり出して疾走してくるから、角度がよくわかるんですよ。
それに雷撃機の場合、魚雷を発射するとき、弾倉を開けるのですぐにわかる。
「雷撃機、弾倉を開けましたッ!」と見張員が叫ぶんです。ですから、発射する前に舵をとることができましたね。』
伊勢と日向は一発も直撃弾を食らっていない >>53
ワラタ 言ったもの勝ちだなw
その内一式陸攻でドックファイトとかでるんじゃね? >>58
南雲のバカがミッドウェーで司令官職ほったらかして赤城操艦して魚雷4本かわしたとか威張ってなかったっけ? >>59
実際に伊勢も日向も1発も直撃弾を被っていないんだけどね? 大和のドンガラに現代の兵装やレーダー、エンジンとかを積んだら当時なら無双できた? >>60
ミッドウェーならすごいのは飛龍だね。
攻撃した敵機は115機、回避した魚雷26本、回避した爆弾は約70発。
最後はやられるんだけどね。 >>32
飛行機の生産能力と乗員の育成能力の問題。
入れ物を作っても乗せるものが間に合わないと断念。最後は取りあえず入れ物を作ってみたが案の定乗せるものが無くなった。 >>13
日本人は途中で計画を変えることができない ゴミ虫民族の悲しい所 >>60
赤城なのに青木艦長だった?開戦後に着任したのこと人だったはず
まずい時はしのごの言ってられん あんだけ広い甲板なんだから機銃で埋め尽くせばいのに 戦艦大和に毛が生えて〜
大砲一つに玉二つ
自慢じゃないけど伸び縮み〜
たまには黄色いお茶も出る♪ ゴールキーパーの2、3基でもポン付けしときゃ歴史が変わった EDAJIMAがあと10人居たら日本は勝ってたのにな… >>61
航空戦艦と称して飛行甲板を付けたものの
艦載機が無いから代わりに単装機銃をテンコ盛りに搭載したのが
功を奏したのでは・・・?
機銃手のセンスで多連装より柔軟に攻撃出来たんじゃないかな
敵機編隊にとっては脅威だったと思うよ・・・ >>22
へー
モジュール概念か
そういうことできてたのに、なぜ共通規格は軽視したんだろな
特に銃弾 ジェット桜花が完成したら勝利 もち射出シート装備でね(潜水艦救出チームも同行) >>31
嘘だな
護衛空母に撃ったかもしれないという程度
まあ、その弾もすぱすぱ貫通しちゃって抜けちゃったんだが 日本の愚かさ、虫ケラさ、ゴミクズさの象徴だよな大和って >>32
戦艦は有用だったけどね
なんだかんだ防空性や堅牢性において高い能力を持っているから価値のあるユニットだぞ
空母だけなんてバランス崩壊してるわ >>83
普通にドックの屋根が低すぎて
船体だけ作って甲板上構造物を後で建造したってコトでは?
まぁブロック工法のはしりではあるが・・・ 米軍はレーダーもよいものがあって管制された防空システムに発展できたけれど、
日本ではそれができなかったから各自の判断で戦闘する方向に進んだと聞いたことがある。
軽武装化はその一環だったのかもしれないと思った。 >>82
この二人の艦長の証言だと艦後部につけた噴進砲が役立ったとさ >>32
マリアナ後のシブヤンじゃ、空母なんて単なる囮扱いだぞ >>90
シブヤン海海戦で武蔵沈没後の進撃、サマール沖海戦、栗田ターン決断時、反転後、帰還途中と空襲くらいまくってる >>63
そんな近代兵器積まなくとも、VTとかあったらそれで十分脅威度が増しただろう
あと、機銃の威力を増したりね >>93
大して威力は無いが、見た事も無いロケット砲に
敵機は相当ビビったらしいね >>92
レーダーにしてもCPUにしてもOSにしても、発明者はいても市場が拒否するもったいないお化けの国ニポン >>1
資材不足でたった2基だけ連装にするわけなしw
しかも竣工したのは戦争末期でないし、当時は大和と同時にたくさんの艦船作ってんのにw 模型なんかを見ると機銃の数がスゴくて最大の売りのはずの主砲よりも印象に残る 早く復刻大和造ってよ呉さん
で、内部をホテルにして
主砲もそのままに
いい観光の目玉になるよ http://livedoor.blogimg.jp/gabareki/imgs/1/7/177e0871.jpg
虫ケラジャップの糞カス虫ケラさ全開 全国民全員アメリカにおもしろおかしくぶち殺されるべきだったと思う
なんで人間のフリをしてるんだろうな? 武蔵についてた砲身3本の25ミリ三連装機銃
シールド無
http://www.ms-plus.com/images_item/28000/28432.jpg
シールド付
http://www.ms-plus.com/images_item/34000/34423.jpg
今までシールド付きの25ミリ三連装機銃が設置されたと言われたが
2015年3月の調査でシールド付きの25ミリ三連装機銃が設置されたとわかり
スレまで立ってた >>34
伊勢の艦長かな?
敵機が急降下始めた瞬間に舵を切ると一瞬船が減速するから飛行機から見ると船がバックして避けていくように見えたと >>107
さすがにシールドなしは危ないだろ 怪我しちゃうよ 『男たちの大和』の25o三連装機銃なんて足元スカスカ、砲身グラグラだったぜw 遺族というかまだ生きてる人の
兄弟とかが平気で眠ってるお墓だからな
しばらくほっとくべき
プリンスオブウェールズ墓荒らし
したらイギリスは切れるはず
日本人が騒いでんじゃねーよ >>103
ソレよりも先ずはニチモの1/200大和を最新考証でリニューアルして欲しい! >>6
そういう次元の攻撃じゃないから無理だろ
武蔵撃沈の経験から徹底的に大和を撃沈するための戦術を編み出してたわけだし
よしんば対空装備を一新できていたとしてもたかだか数時間延命できてただけだろう
根本的に当時の日本の対空迎撃システムそのものが劣ってた上に絶対大和沈めるマンな航空機の群れが襲ってきてたわけだからどうしようもない >>112
そんな科学力のある時代なら
米軍はとっくに反射衛星砲を開発している! >>1
こういう記事や研究者の話を聞くと
ホント情けなくなる
就航時の設計を維持する意味は?
ねえ、設計図通りじゃないって驚く自体バカげてると思わないの?
戦争する為の武器なんだぞ
話にならないよね。 >>13
アホがいる
そもそも大和と武蔵の建造が始まったのは空母主流になる以前の話
空母がその威力を実戦で示したのは真珠湾攻撃でそれ以降は日本は戦艦を建造してない
他国がまだ新型戦艦を建造していたことを考えると大型艦を空母一本に絞ってた日本はその辺理解してたよ
ダメだったのは人材育成
効率的に優秀なパイロットを育成し、その技量を維持するための教育システムをきちんと構築できなかった
そのくせアホな作戦でパイロットをすりつぶして特攻に頼るような愚行に走ったわけで 大和の総工費は当時のお金で1億円な。
映画「連合艦隊」のパンフレットに書いてあった。豆な。 >>36
大和型戦艦として起工した信濃を空母にしてるくらいだからきちんと理解はしとったよ
根本的に国力が米軍とやり合えるレベルじゃなかっただけの話 大和型よりいきなり沈んだ大鳳のが
込み込みで考えたら高コスト
建造費もほぼかわらんし
艦載機とパイロット込みで上回る >>99
香港でイギリス将校を捉えた日本兵が尋問
日本兵「この無線機のマニュアルにある「ヤギ」は何か?」
イギリス将校「知らんのか、お前たち」
注、八木アンテナは日本の八木博士の発明 >>117
日本は両用砲でモノになったのって防空駆逐艦の長10cm砲ぐらいだからな
アメリカは巡洋艦クラスまで対空仕様に改装されて両用砲装備してたからな 資材不足で人員はむき出し状態
爆弾食らったらみんな死亡 デカ過ぎて水足らなくなるから夕方以降は水使えなかったて近所のじーさんが言ってたな
バルブ完全に閉じちゃうからぴちょんぴちょん落ちてくる滴で我慢したて 八木アンテナあったら負けなかった?
(勝ったとは書かない) >>6
単独では無理だ。
対空装備=航空部隊による護衛とするなら持ち堪えた可能性はある >>130
日本も電探はきちんと開発してたでよ
もっとも根本的な技術力不足でどうしようもなかったが
なんにせよ相手が悪すぎた
大西洋方面に戦力を展開しながら日本を圧倒する戦力を太平洋に展開できる化け物とかね >>691
だからクレジットスコアリング技術やろ。この技術が無い業者は退場してもらうという話。
早晩破綻するやろうけど。
保証人立てられない老人はアホみたいに出てくるやろうからな。 >>130
戦中の建造数
勝てる?
日本 アメリカ
正規空母
2隻 1941年 0隻
2隻 1942年 1隻
0隻 1943年 7隻
5隻 1944年 7隻
0隻 1945年 7隻
9隻 合計 22隻
軽空母
2隻 1941年 0隻
3隻 1942年 15隻
3隻 1943年 31隻
1隻 1944年 34隻
0隻 1945年 13隻
9隻 合計 93隻
戦艦
1隻 1941年 2隻
1隻 1942年 2隻
0隻 1943年 4隻
0隻 1944年 2隻
0隻 1945年 0隻
2隻 合計 10隻
巡洋艦
1隻 1941年 1隻
2隻 1942年 8隻
3隻 1943年 11隻
1隻 1944年 14隻
0隻 1945年 15隻
7隻 合計 39隻 >>695
旗色を見せない明石家さんまでさへ、出してもOKな平和主義という旗を
出してしまった位、現実感の無い舐めた時代やったよな。 >>120
既に戦艦の時代は終わってたのに、史上最大の排水量と主砲を持つ戦艦を
艦隊決戦を想定して建造したのは言い訳できない
結局、最新艦にもかかわらず大和武蔵共に何の戦果も挙げられず沈んで
しまった >>746
そらそうやろう。厳しいボスより甘いボスの方が皆好き。
けど、本当に持続性をもって利益を上げ続ける会社には厳しいボスが居る。
オバマやクリントン(夫)やカーターみたいな奴がボスの場合、業績は必ず傾く。 煙突ミサイルというネーミングばなんとかならなかったのか。 機銃を山盛りにしても、結局は弾薬が足りなくなる。
だから、長期航海の場合は節約しながら撃つ事になる。
これが航空機による五月雨攻撃が有効とされた理由。
あと、空母を作っとけばなんて話も良く聞くが、全力出撃数回分くらいの燃料と弾薬しかないのに、空母だけでどうするのかと。
一度発艦してしまうと、爆弾や魚雷は投棄しないと着艦できない。
空振りなんてしたら最悪である。
それが当時の空母というもの。 >>134
ノルマンディの使用引いても、
圧倒だな。さらに情報収集も差あるね。
武士に食わぬど高楊枝では、勝てない。 >>139
索敵をミッドウェーで懲りたマリアナ沖海戦みたいに三段索敵にする 最後の沖縄特攻だが、何故残った艦船と飛行機を全戦力投入して沖縄に特攻しなかったのか理解できないよな。中途半端に戦力温存しても無意味なのは自明だったのに。 世紀の役立たずに郷愁抱くより
なぜ日本人は方針転換ができないのかを分析するほうが未来のため >>59
> その内一式陸攻でドックファイトとかでるんじゃね?
空自のジェット輸送機なんて空戦機動できそうなくらいだがDNAを受け継いでるんだろうな >>98
アメリカですら実用化してない対空ミサイルを日本は農民が手作りして撃ちあげていると、GHQが占領査察でマジガクブル涙目になりながら「次に日本と戦争したら、負けるのは我々アメリカだ」と溢した逸話もあるよ。
そのままミサイル製造禁止にされてしまった「秩父龍勢祭」がそれで、近年は威力と規模をかなり弱めて復活している。
アメリカ科学者や技術者が農民と仲良くして製造方法教えて貰う為に酒もって毎日通った。←逸話!
シールズはアメリカの爪の垢煎じて飲んで見習えだと
アメリカはロケットやミサイルに驚異だったのだろうね。 >>142
日本人は気質的に日本民族根絶まで戦う可能性があり
自覚もしていたので一部の人間が終戦工作に動いた
菊水作戦以上の兵力って日本人が無くなることに
意味や価値があると考えてるのかな >>101
三連装が足りなくなって陸揚げしてあった二連装を充てがったのでは?
三連装より二連装のほうが先に開発されていたので開戦当時の軍艦の
25mm機銃は全て二連装。
三連装は飛竜から初めて採用された。 >>136
いや、だから大和型の建造計画が立った当初はまだ空母は補助戦力だったんだが
どこの国でも同じ
当初は戦艦が空母の航空戦力で撃沈されるなんて誰も想像してなかった時代なんだけどね
まあ馬鹿には理解できないんだろうけど >>142
だって油ないもん。
呉の全ての燃料集めても大和の燃料タンク7000トンのうち4000トンぐらいしかないんだぜ
飛行機は本土決戦用に温存、なお3000機くらいあった模様 そもそも水上特攻そのものが無意味な行動だからな
単なるメンツのためだけに死なされた将兵が本当に哀れだ >>148
戦争中期以降は、対空強化に艦橋バルコニーや甲板でスペース開いているところに25ミリ連装機銃増設。
それを戦前の港や基地に行ったときに外して陸に設置して、25ミリ余っているところで搭載するみたいな泣ける遣り繰りもあったみたいだよ。 >>149
第一次大戦ではUボートが多数の輸送船を沈めて連合国を苦しめてる
その時代に鈍足の巨大戦艦など造るのは間抜けすぎるだろ 現場の評価は単装>>>>連装>三連装>>>シールド付三連装
連装と三連装は俯仰角(縦方向)と方位角(横方向)を別々の人員が操作するので極めて照準が難しかった
加えてモーターが非力で三連装だと重くて遅い。シールド付はさらにひどい
高射装置連動も可能だけど、高射装置も旧式な上にその旧式にすらついていけない遅さ
ついでに、シールドは波除けでしかなく、機銃どころか破片さえ防げないペラペラなので戦闘時は邪魔なだけだった
アメリカ軍の40mm四連装機銃もモーターはハイパワーで管制装置もレーダー連動だけど
近距離での取り回しの遅さが問題になって人力の20mm単装機銃を大量増設したりしてる >>149
駆逐艦一隻でも数か月〜年単位かかるのに,
ドレッドノート就役で,建造中のものまで一気に時代遅れになったり,
真珠湾攻撃やマレー沖海戦で空母の運用がガラッと変わったのとか,
計画・竣工段階と運用段階とでは乖離はどうしても生まれるのに,
何で未だに後付けで言う人が居るんだろうねぇ >>153
直近の大海戦は第一次世界大戦のユトランド海戦。数十隻同士の戦艦が殴り合う壮絶なものだった
潜水艦は確かに強力ではあるけど、当時は水中では10ノットも出ない鈍足なので主役になるのは不可能だった
ウルフパックが考案されたのも第二次世界大戦なので戦間期はあくまで水上艦艇が主役という考え方だった >>153
その為に戦艦を駆逐艦で固めてる
丸裸の戦艦なんか潜水艦など大層なものいらん
魚雷艇(簡易モーターボート)で囲んで終わり マレー沖海戦前だったら栗田艦隊なんて
はっきり言って突っ込んできたら止める方法ほぼ無い >>158
第二次世界大戦の欧州では戦艦単独行動が普通。艦隊戦だけじゃなく通商破壊にも戦艦を使ってたからね
第二次世界大戦中に潜水艦に撃沈された戦艦はロイヤル・オーク、バーラム、金剛の3隻だけ
このうちロイヤル・オークは母港停泊中の奇襲、金剛は元から中破状態で修理のため回航中に被雷
純粋に無傷で洋上航行中に潜水艦の雷撃だけで沈んだのはバーラムだけ
ほかに大和やノースカロライナが雷撃を受けてるけど両者とも浸水だけで致命傷には至らず小破程度だった >>153
そのイギリスやアメリカで決戦兵器としと戦艦は建造され続けた
軍縮条約で、日本が長門型の陸奥を保有する為に頑張ったら、米英もそれプラス一隻同世代艦保有するって頑張った
だが軍縮中でも潜水艦や魚雷の開発は遅れに遅れ、対戦初期米潜水艦乗りは
魚雷があまりに信用できない出来で当てても当てても爆発しないから
とうとうラムアタック戦法の研究までするぐらいになっていった
アメリカは海戦までは世界トップクラスの大艦巨砲主義
陸軍も欧州戦始まるまでは、爆撃機以外何の役に立つの?って空気が漂ってた >>156
強大な工業力を持つアメリカだって戦艦1隻建造するのに3年はかかるっていうのにね
途中で運用思想が変わったからって言って完成間近の戦艦をスクラップにするのかっていう話
大和型がいつ計画されていつ起工していつ進水したのかよく分かってない人がそういう寝言を言い出す感じ >>159
アメリカ軍は第3艦隊の新型戦艦6隻と第7艦隊の旧式戦艦6隻
栗田艦隊は新型戦艦2隻、旧式戦艦3隻。勝負にならんよ >>160
でも結局、日本軍を壊滅させたのは米軍の潜水艦による補給路破壊だよね >>162
ぶっちゃけ信濃を途中で空母転用したりしたわけだし当時の海軍は割と柔軟だよねぇ >>164
潜水艦は確かに重要な兵器だけど潜水艦だけ作っていれば勝てるというわけでもあるまい
戦艦には戦艦の役割はあるわけで、その役割は潜水艦にはできない
航空機が主流になった後でも戦艦の役割自体はなくなりはしない
日本にはそれを発揮する機会が生じなかっただけのこと >>164
それを結果論という
てか米国の潜水艦って1943年末まではまともに戦果挙げてない。魚雷が欠陥品だったので
この時期までの輸送艦の被害はほぼ空襲。潜水艦の魚雷は当たっても刺さるだけでめったに爆発しないシロモノだった 国歌として戦略爆撃によるダメージは国民士気以外では言われてる程ではない
船の通過をカウントして、何回か目に爆発するやたらとハイテクな機雷ばらまいたのが一番効いてる 映画「男たちの大和」別名「男たちに三連装機銃座」は
文字通り三連装機銃を二人の男がペダルで回転や仰角を与えて
射手に装塡係、目標指揮官が揃ってこそ絵になるんだよ
連装機銃では様にならん
それはともかく、あの映画、大和本体は全く空虚で実体感が無かったが
三連早期銃座だけは妙な現実感のある、アンバランスな映画ではあった。 >>170
いやあの機銃座はダメでしょ
演技や見栄えからか機銃の機関部を豪快に省略してるのでハリボテ感が半端ない
そして機銃自体も弾倉も重量感皆無だった。所詮は邦画だなぁという感じ
あと敵機襲撃シーン使い回しすぎで史実より撃墜数マシマシになってる。映画でシーン使い回しとか酷すぎ >>32
当時の戦艦は、今で言う戦略核兵器のような扱いだった
数が多いほど脅威と見られていた
国際連盟化での軍縮会議で、各国の戦艦保有数が決められていた >>53
米軍機「爆撃開始」
伊勢「取り舵一杯」
米軍機「くそっ外したか。次は面舵だろう」
伊勢「取り舵一杯」
米軍機「外した!また取り舵か?今度こそ面舵の筈だ!」
伊勢「取り舵一杯」
米軍機「ガッデム!」
有名な話。 >>176
松田千秋少将考案の爆撃回避術で防御機銃を撃墜狙いではなく敵機の誘導に使ってた
機銃射撃と操艦を連動することで敵機の投弾タイミングを見事に外してた
ずっと同じ方向なのは単に言いやすかったかららしいけどね >>14 写真撮影されているのに
設置場所は不明というのは変だよね。
3連装機銃のための覆いがあるということは
第一主砲のあたりではなくて艦橋周辺だろう。
主砲の爆風で覆いが飛ばされてしまうから。 >>43
パルスレーザー砲って古代が言ってなかったっけ??>さら戦あたり。 >>136
アメリカだってアイオワ級4隻作ったからまるっきり戦艦が無駄だってわけじゃない
防空能力考えれば戦艦無しの機動部隊だけではミッドウェーみたいになる
レイテだって瑞鶴やら囮の空母は全部沈んだが伊勢日向は帰って来たわけだし 3連装だと、真ん中の機銃や大砲というのは、装填だの
人員の配置だのがやりづらい。
2連装の方が簡単なんだよな。 >>154
ボフォースは中距離用だろ。その前に28mmで中、近距離を担当していた。縦深防御の考え方は日本は
だいぶ遅れていた。それにくらべてFlaK38なんて4連装、防循、装填員を乗せて一人で操作できた。 >>153
誤解がある、当時は魚雷の性能が悪かったんで、Uボートは浮上して砲撃、
非武装の輸送船を主に狙ってたんで、退艦要請出して救命ボートに
乗員を乗せる、それから砲撃、撃沈、非難した輸送船の乗員に水、食べ物を渡して
救難信号を打電して逃げるを繰り返してたが、イギリスも偽装船のQボートを
使いだしたんで、Uボートは損害をだしてるからな。
ドイツもやっぱ戦艦使って海上封鎖しないとな・・・となり
装甲艦とか作ってるよ。 アメリカの戦艦は空母の防御の役割は果たせたけど
対空能力ゼロの日本の戦艦はどう見ても資源の無駄遣いだったね >>186
湾岸戦争では、ミズーリ引っ張り出してきて
艦砲射撃してるからなw
改修してトマホークを使えるようにするわ、
今でも動態保存していて、ミズーリは動かせるんじゃなかったけ? >>180
そういう半端な反論はダメ
条約明けから太平洋戦争終戦までに起工された戦艦は日本4隻に対して米12隻
その半分が艦容攻撃力共に大和級にそん色ないアイオワ級なんだからどっちが大艦巨砲主義を貫いたかは明らか 12.7cm連装高角砲だと?
2次大戦中は戦車も空飛んでたのか? 集団ストーカーでおもしろいのみつけた
ここじゃないかもしれないけど、ちょっと一言
集団ストーカーは現在は簡単に言うと電気通信
通信で電気制御による嫌がらせをしてる
いろいろ書いてもほぼ電気通信一択なんだよね
ここにあるから興味ある人は見てね
火消しもできない残念レベルのアホ工作員と偽者ばっかりだからわかりやすいよ
私の書き込みは最近だけだけどね338ぐらいからがおもしろいよ
チンカス犯罪者で絞れば私のはある程度わかるかも
世界的に問題になりそうなこととか、簡単な方法でも触れる人が一切いないよ
人権蹂躙の集団ストーカー
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/rights/1401997624/
ここには書き込み少々
部落民と在日朝鮮人による集団ストーカー
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/rights/1255949063/
不正を暴こうとする人や告発しようとする人が差別や迫害されるのはまさに人権問題なんだよね
プライバシー侵害は人権侵害ネタそのもの
オレが正しいとは言ってないよ。正しいかどうか、事実を世界中にありのままに見てもらおうと言ってるだけ。
そのわりにはコソコソやってるみたいやけど、アカンことやってる自覚があるなら言い訳厳しいぞ。脳みそ足らん個人や数人ならともかく、数千、数万やと上から下までアホしかおらんと思われるで。 >>187
動く部分もあるよというだけで、動態保存は無理だろ >>186
輪形陣の一番外側に伊勢と日向はいたぞ。
護衛艦艇の数が少ないためすきまが多すぎて
輪のレベルじゃないが。 >>189は何をどう考えているのか
興味がわくねs。12.7cm連装高角砲
というのは何の不思議もない。 軍縮条約切れのあとは建艦競争になったわけだが、
日本はどうせ建造数では勝てないとはいえ、
空母と戦艦の水線下の構造は共通にして、10隻ぐらい量産化した方が
良かったな。飛龍も翔翮も大和も機関部などはみなバラバラだ。
ばらばらだと量産向きではない。
金剛型はもう30年近く経っていて老朽化してたし。
長門型は2隻しかなかったから、
3万トンから4万トンの40センチ砲搭載の戦艦を4隻か6隻、
同じぐらいの巨大空母も4隻または6隻の計10隻を
1年に3隻のペースで3年で10隻作る。実際は戦争になって
空母が必要になるから、戦艦建造の後半は空母に改造する、
と妄想してみた。 >>194
大型の軍艦を作れるドックが4ケ所しかないのにそんなにたくさん作れるか? 帝国海軍も、大和型は2隻で打ち切って
加賀も信濃も空母型に改修してるし
極端な大艦巨砲主義でもなかったという 厳しい環境から逃げた負け犬大和
こんなんに一億とか横浜もアホやな >>196
アメリカの方がよっぽど大艦巨砲主義や
イギリスなんか戦後に戦艦作ってるし 最後に作られた戦艦は仏のジャン・バール(1955年完成)な >>199
艤装中に祖国が敗北して未完成状態でマサチューセッツと交戦してた
からなあ。 大和だと一番砲塔に直撃弾が当たった有名な写真が有るけど、あれが他の艦だったら沈没してる? >>7
その三連装機銃の近くに、連装機銃が設置されてた
射界制限から、舷側に並んでたはず 大艦巨砲主義ってのは、戦艦が居たら海戦で勝てるって主義ではねえってのに。
日露の昔から、むしろ水雷艇の肉薄攻撃の方が、敵艦にダメージ大きいのは知られておった
大艦巨砲主義というのは、一定の国力さえ有れば、双方とも夜陰に乗じて敵の都市を大砲で焼き払えるから、そもそも戦争が起きないということ。
そして、一定の国力が無ければ、たった一隻の戦艦で全ての都市を焼き払えるから、植民地は宗主国に永遠に逆らえないということ。 >>203
要塞砲に戦艦では対抗不能なんだけど何言ってるんだ? 戦艦にとって最も大切なのは、巨砲そのものではない。
その巨砲の前に広がる甲板。
そこに植民地の人々を招いてダンスパーティするのよ。
それにより、植民地の人々は、絶対に宗主国には逆らえないこと、従う限りは絶対に守られることを、骨の髄から理解する
空母には、その機能がない。空母の甲板でダンスパーティしたら危ないし邪魔だし、しかも別に威圧感もない。
植民地を再び抑えに行くつもりだった英仏が、戦艦を作り続けたのは、当然と言えましょう >>204
真正面から打ち合うための兵器ではないって言ってるだろが
夜陰に乗じて近付く戦艦を、長距離から捕捉できるようになったのは、レーダーが発達した後だ
それ以前までは、視力しか無いんだから、真っ暗な海上の戦艦を捕捉できなかった
他方、戦艦から都市を狙うのは容易だった >>201
陸奥って大爆発起こしても主砲はそのままの形で残ってたから
日本の戦艦の主砲はどいつもこいつも丈夫なんじゃね? >>207
あのさあ、それじゃ戦艦も見えないんだけど?
戦艦がどうやって観測するかわかるか?観測機が必要なんだよ、夜は飛べないの
そして砲撃後低速の戦艦がどうやって殺到してくる高速の水雷戦隊から逃げるんだよ?
日本海海戦でもバルチック艦隊に致命傷を与えたのは東郷ターンからの戦艦決戦じゃなくて逃げる戦艦への夜間の執拗な水雷戦隊の追撃だぞ? ちなみに戦艦の有効射程は最大でも30km程度だからな?
大和の46kmとかは「弾がそこまで届く」ってことだ
それじゃ港湾都市しか狙えないよね、つーか哨戒艇に引っかかって水雷戦隊が殺到してくるほうがよほど可能性高いわ
ドゥーリットル空襲ですら日本からかなり離れたとこにいる空母が哨戒の漁船に発見されてるんだぞ?
もちろん日本海海戦もそうだ >>201
あれ250kgもしくは500kg爆弾で主砲天蓋にあたって跳ね返されて爆発してるけど
戦艦は最も薄い金剛型でも152mmの装甲がある
装甲空母大鳳は飛行甲板100mmの装甲で高度700から投弾された500kg爆弾に耐えられるので
金剛型でも楽勝だよ 戦艦が直近に来たら、都市が丸焼けにされると分かっていたから、官民挙げて必死の偵察していたんだよ。
本来は戦術的兵器ではない。現代のICBMのような、相互破壊確証を与えるための兵器。
そら敵の首都を丸焼きにした後は、追撃喰らって逃げられないかも知れないが、それはあまり大した問題ではない。
大艦巨砲主義が終わったのは、航空機というよりレーダーのせいであろうな。
これでもう近付くことすら出来なくなった。 >>11
同時期にアリゾナやプリンスオブウェールズを建造
その頃航空機や空母の威力を見通せなかった
最初にその威力を発揮した場所が真珠湾 >>213
ところでアリゾナは真珠湾攻撃で再起不能になった旧式戦艦であった。
精々同じく旧式戦艦の金剛型や扶桑型と良い勝負である。 個人的には、近年、アメリカが軍事的プレゼンスを増そうと海軍を活動させる度、貨物船と衝突し負けて死者を出してるのを見ると、
やはり巨砲はともかく、重装甲の大艦は要ると思う
所詮、人間なんて単純な動物なので、巨大で強靭な頑丈な存在に対すると、本能的に威圧される
いかに強力なミサイルを積んでいても、貨物船と衝突し負けるんじゃ、威圧感が足らんだろう >>216
扶桑型って勝負以前の話じゃなかった?
砲の配置失敗してまともに砲を撃てないから苦し紛れに指揮能力全振りのジェンガ艦橋にしたとか聞いたけど? >>153
大和型戦艦の最高速力は最後まで27ノットで、
大戦末期に追加装備や改修された後のサウスダコタ級やドイッチュラント級ポケット戦艦の26ノットを若干上回っているし、
同時期に建造、就役したノースカロライナ級、キング・ジョ−ジ5世級とは大差無しである。 >>208
ミッドウェーの直前に砲塔爆発事故を起こした日向(爆発の瞬間が映像で残っている)でも砲塔の原型は留めてるな >>218
田布施システムって、ウソがばれて失敗した反日デマだよ どんだけ増設しても 一発の爆弾で 多くが吹き飛ばされたのだろうが
単装機銃も至る所に増設されて 最期の出撃時は さながら針鼠のようだったと聞く >>223
大和に限らず昭和19年以降の艦艇は甲板以外にも砲塔の上や上部構造物の上にも機銃マシマシにしてる
空母も航空機の発着艦以外の時はソリに載せて移動できるようにした25ミリ単装機銃を飛行甲板に並べて対空戦闘を行ってる >>31
沈めたのは駆逐艦。
軽空母も共同で撃沈してるが、撃ったのは副砲。 >>212
226事件の時は鎮圧のために戦艦並べて国会議事堂を艦砲射撃するとかいってたな >>219
いや、最初は違法建築してない
一次大戦のユトランド沖海戦で砲戦距離が従来の想定より長く
そこから命中弾当てていける事から、より遠くを狙う指揮所が必要となった
そして始まる違法建築 >>226
ベルリンとかモスクワとかワシントンとかロンドンとかどうやって戦艦が攻撃するんですかね…?
東京が港湾都市だからだろ、それ >>98
敵からすると自分に向かって変な物体が飛んでくるわけだからね、硫黄島でもアメちゃんの脅威だったらしい。 >>226
ただそれやると国会周辺だけじゃなくて市ヶ谷や四谷あたりまで吹っ飛ばす恐れがあったという >>227
ユトランド沖海戦の戦訓で砲戦距離がが従来の想定より長くなったんだけど
それより前に作られた扶桑型は遠距離砲戦に重要な水平装甲が重要区画で約60mmしかないという走る火薬庫状態
これはWW1当時の60kg爆弾には耐えられるけどWW2で99式艦爆や爆戦が積んでた250kgには到底耐えられないので爆弾命中したら当たりどころが悪ければ即主砲弾誘爆で轟沈という悲惨さ 実は三連装の銃心が一本折れていただけだったりして。 まあ、昭和20年に入ると、B29の爆撃や、戦闘機による機関銃掃射も怖かったが、
日本本土近くまで来た戦艦による艦砲射撃が怖かったという証言は多いね。 >>232
二次改装で不安が残る程度までには水平防御もマシになってなかったっけ?
というか、一次大戦の船にそんなこと言ってやるのも いまだにガトーショコラと聞くと散々苦しめられたガトー級を思い出して苦い気持ちになる >>234
沿岸部の街で不発弾が見つかった、という話だと航空機の爆弾より戦艦の砲弾の方が多いような印象あるな。 戦艦の弾はどこに飛んでくるかわからないし量が多いから怖い >>153
おま、そう言って艦隊型潜水艦ばっか作った帝国海軍が、
1隻でも潜水艦で戦艦、沈めたかい?
当時の潜水艦は今とは違う。
可潜艦にすぎんよ。
通商破壊はできても、
艦隊決戦なんか無理。 >>240
アメリカの潜水艦は艦隊決戦でもないけど
翔鶴、大鳳、金剛、愛宕、とかボコボコ沈めてるよな まぁもう大型大砲が不要だったんやろな
慌てて急遽つけたと >>245
元々大和型には両舷の中ほどにも副砲塔があったんだけど
改装で取っ払われて高角砲射撃指揮所になってる
あとなんか12.7cm高角砲よりも高性能な月型駆逐艦の主砲である長10cm砲を装備したかったけど、
既に当時の国内事情では資材不足で作れないレベルだったらしい >>241
大和型自体は駄目じゃない
武蔵は一方的にボコられても沈められるのに五時間もかかってる
これがまともな海戦ならよっぽどじゃなきゃ負けない
問題は大和型云々じゃなくそんな艦というより水上要塞みたいなものがあってもどうしようもない絶望的な米日の戦力差 >>48
ありもしない強制連行を喧伝するより良いと思うがw 伊武雅刀演じる海軍提督「大和の諸君、私からのささやかな贈り物だ」 デスラー総統の中の人が軍人役で出てくる映画では大抵ろくな人間として描かれていないよね >>164違うよ
物量、の一言で方がつく
極少数の潜水艦が勝敗の分かれ目になったわけじゃないんだから 大和は戦艦が無用の長物になったタイミングに重なっただけ 超高性能のレーダーよりもスパイの方が役に立つ
今もそんな世界 >>257 日本人は昔から諜報活動が
からっきし駄目な国。
スパイと呼んで
せっかく情報を届けても国民も上層部も
大事にしない風潮だからな。
北朝鮮のハングルもほとんど読めない人が大部分。
英語でさえ同様。
ただ、諜報活動そのものを日本が不得手とするのは、
日本の国土が豊かで住み易いというおかげであることが主因。
よその国へ移り住んで永住しようという気にならないからな。
だからどうしても他国のことに関心が薄くなるし、現地情報も大事にしない。 それでは>>259が沈んだ大和を引き上げて元の状態に戻してください >>9
俺は長門のプラモを作って風呂桶で進水式もやったぞ
最後埃で汚くなったからゼロ戦プラモをぶつけて
撃沈させたけどなwww >>13
元々日本海軍の守備範囲は日本近海
要はロシアバルチック艦隊戦程度しかできない
機動力。(燃料の問題でな)
それを無理して南方進出までしたから燃料がなくて
大和武蔵は稼働できなくてホテル旅館化www >>226
ペリーの砲艦外交から全然学んでいない日本だなw
中大兄皇子は中国との戦に負けてからさっさと
内陸の近江に逃げたのによw
★戦艦大和沖縄突入:よくある質問★
【問】どうして戦艦大和を沖縄突入させたの?
【答】1945年4月1日米海兵隊が沖縄に上陸して以来、陸上での抗戦と
航空機による特攻攻撃が始まっていました。沖縄にたどり着いて
意図的に座礁して陸上砲台となり米軍を攻撃。万一たとり着かなくても
敵航空勢力を吸収しよう、という作戦です。
【問】突入できる可能性はあったの?
【答】天候によってはありました。航空機は夜は攻撃できませんし、雨になれば
雲が邪魔して同様に攻撃できません。沈没したのは4月7日でしたが、
翌日8日は実際に雨が降りました。成功と失敗は紙一重です。
【問】突入できたらどうなったの?
【答】不足していた物資を搬出すると共に、三式弾を米軍拠点にぶち込んだと
思われます。一発1.5トンあり「一個大隊を殲滅できる」と言われて
いるものを1000発打ち込めるので大きな戦果をあげられたの
ではないでしょうか
【問】でも突入できなかった
【答】米軍戦闘機を吸収する、という役割は果たせたと思います。
天一号作戦の一環なので大和だけを見るのではなく全体を見ることで
正しい意義が見えてきます
---
■天一号作戦とは1945年3月大本営が立案した沖縄方面への米軍への攻撃作戦
<特攻機出撃数/戦果>
・4月6日 303機/駆逐艦3隻撃沈+空母1隻損傷戦艦1隻損傷巡洋艦1隻損傷駆逐艦15隻損傷
・4月7日 077機/砲艦1隻撃沈+空母1隻損傷戦艦1隻損傷駆逐艦2隻損傷
・4月8日 011機/駆逐艦2隻損傷
【参考文献】『最後の決戦沖縄』(光人社NF文庫/吉田俊雄元海軍参謀) >>192
駆逐艦に大型艦の盾になる意識がなかったのがいたので、穴と言うか隙にもなったんだよね。
有名なのが雪風。
駆逐艦は魚雷1発で沈むが、大型艦は魚雷1発では沈まないと航空機や魚雷を避けて大型艦を囮に… >>265
4月7日も雨天だったけど?
雲が低く垂れ込めて米軍側は大和のジャミングもあり攻撃に困難を
覚えたが大和以下の艦艇も対空射撃が困難になった。 >>246
長12.7センチ砲ね。
長10センチ砲搭載艦から威力や炸裂範囲が小さいから、敵機落としにくく扱いにくいクレームがあった。
そこで長12.7センチ砲の艦載型開発となった。
資材不足と言うよりも人材もすべて足りずに開発遅れて、開発やっと始まってすぐ終戦だったかな。
射撃爆風被害半径も従来の12.7センチ砲よりも小さい優れもの。 >>265
バーカ無理だ無理
そんな器用に水平に座礁なんて出来るわけないだろうが >>265
仮に沖縄突入に成功して海岸に乗り上げても艦が傾斜するので揚弾機や砲塔の旋回に支障が出たり
射撃に必要な電力などの供給が難しかったのではないかという意見がある(戦艦山城のサイパン突入案の際に指摘されている) 大和ってダメ戦艦の典型
おまいらってダメ人間の典型 昭和20年7月の室蘭艦砲射撃戦闘詳報を観たことあるけど、
ニュージャージー他単縦陣でイタンキ浜沖で、まず東南から西北へ、地球岬越しに製鉄所や港に
ドカンドカンと砲撃。同じ道をUターンして、今度は左砲戦でドカンドカン撃って引き上げ。
日本側の反撃は皆無。やりたい放題だな。射撃海面からは目標地点が見えないので、偵察機を上げて
方眼に軍用地図を区分けして、片端から埋めていくという絨毯砲撃。偵察機の通信も書いてあったが
「通信感度良好」とか「よし、手際よくやろうぜ」とか、もうゲーム感覚に近い雰囲気。
この砲撃で室蘭の製鉄所はほぼ壊滅。民間人の死者も100名以上出たようだ。ドラム缶のような戦艦の
砲弾がバシバシ飛んでくるのだから怖い。一ヶ月も経たずに降伏だからなあ。 大和に限らず、帝国海軍は、いや帝国政府は、戦艦の使い方を、完全に間違えていた。
あれは敵の軍艦と戦うための戦術的兵器ではない。
植民地の連中が逆らわないよう恐喝するための政治的兵器だった。
要塞砲の最大の欠陥は、海にしか向いてないことです。
都市の方に向くように建設もできたろうが、さすがに色々と政治的に難しかったのでしょう。
はっきり言えば、むしろ海になんか向ける必要がなかったぐらいだが。
憶測ではあるが、チャーチルがシンガポールに戦艦を派遣したのも、本当は海戦のためじゃなく、シンガポール人が日よって敵に加担しないようにではなかったかもと。
まあ、その内陸側から迫りつつある自転車軍団も脅威だったでしょうけど。
最初から戦艦を港の中に据え付けておいて、内陸砲撃専用に充てておけば、もうちょっと展開も違ったかも分からんよ。 >>276
>最初から戦艦を港の中に据え付けておいて
約一年前に起きた
タラント空襲の二の舞になってしまうのでは >>241
大和建造時、世界中で航空機や空母の威力を見通せる人はいなかった、それは米英日同じ
日本が最初に機動艦隊を編成し、真珠湾攻撃後、その威力が世界中が認識された >>276それを間違いだと断言するのはおかしい
歴史とノウハウを積み重ねた戦後から振り返った視点からの評価でしかないからだ
それを間違いと言うのは「下衆の後知恵」と称される考え方だ
後知恵というのは、小学生でも朝鮮人でも言えますからなあ(嗤
●小学生 (プロ野球中継を見ながら)「なんであんな球投げたの?変化球まっていたじゃん」
●朝鮮人 「米国と戦う時点で戦略的に間違っていたニダ」 >>278
空母艦載機による奇襲攻撃はイギリス海軍によるタラント空襲が先である。 なんでもっと早く使わなかったんだろう。
ホテルだったんでしょ。
武蔵だってただの的だったしね。
高い買い物だよな。
負けるために作ったようなフネだな。 >>283
>なんでもっと早く使わなかったんだろう。
なんでだろうね? >>283
今度は時代遅れの
巡航ミサイルでおなじことやろうとしています >>262
いや、別に航空機の驚異がないなら動かしただろうけど
制空権取れないガ島への砲撃に大和や武蔵うぃ出すわけにいかないからな
だから高速の金剛型投入した訳でして >>281
マジレスすると、ヘタリア海軍+夜間に停泊中+プリエーゼ式被害拡大防御
の三点セットでなし得た事だと思われてた節がある
日本は米英に比べそもそも数が少ないから、それを補う為に航空機に力いれてた >>288
それただ単に任務ごとに編制された部隊ってだけで機動部隊を示す訳じゃないぞ >>283色々使ってたぞ
四六時中砲撃してないと使ってるとは認めないタイプか 大和乗組員の証言やと、裸の連装機銃は大砲撃った時に爆風で飛ばされたらしいね >>281
イギリス軍の人が日本で飛行機の艦上発進・着陸訓練を指導してたんだよね
後に日本のスパイとして捕まったけど >>283
ガダルカナル攻防戦で大和を投入する案は出たけど「万が一沈められたらヤバイ」ってのと
それやるとトラック泊地の燃料事情が悪化して他の艦が動けなくなるので結局出さなかった どうせ特攻するなら西海岸までいって最後にサンフランシスコを砲撃すればよかったのに 46センチとか積んでるんだから25ミリとかゴミでしょ POWとレパルスを潰した、航空支援無しの戦艦のみをやっちゃったから
大和武蔵が沈んだのは当たり前なんよな
まあ真珠湾とマレーがなかったとしても
アメリカの新型戦艦の群れに押しつぶされただけだろうけど
そもそもアメリカは日清のあたりから日本を太平洋覇権の敵として準備始めてるし 大和に積まれていた防空用の対空砲はホチキス社製
つまり、おフランス産 >>296
チェーンソーに剃刀の代わりは出来ないぞ。 日本海軍の25mmって半端で使い物にならない機銃の典型だろうに >>301
弾が共有できなくてほとんど使えなかったやつか 戦艦大和に設計図には無い装備を導入した税金搾取の疑いで東京地検が査察・逮捕に。 >>301
零戦のエリコンFFと同系統の20mm機銃が米海軍の主力近接防空火器だったのは皮肉だわな
25mm連装および三連装機銃の肝である高射装置連動は肝心の機銃用高射装置(四式高射射撃装置)の完成が遅すぎてほとんど使われず
ただ重くて照準が難しくて取り回しの悪い機銃と化していた。ここで取り敢えず単装に切り替えたら少しはマシだったんだろうが
高射装置さえ完成すれば全てがハッピーエンドと考えていたらしく路線修正はされなかった >>150
だからその航空機を全機大和護衛につけるべきだったよな。沖縄にたどり着けたかも知れない。 >>305
設計図にあるときから、駆逐艦や潜水艦造る予算献上で国会通しているからなぁ。
煽った朝日にガサ入れで頼むw
戦艦三笠四姉妹もそれで、姉妹唯一太平洋戦争に参加して終戦まで健在だった艦名は朝日。
朝日の名はしぶとい不沈名w もっと言うと、ミッドウエー敗北直後に連合艦隊全艦船を集結させて米軍に突撃させれば勝機はあったかもな。温存小出しで悲惨な結果になった史実より100万倍マシ。 >>307
3000機あるといってもそれは全国に散らばってる分を種類問わず合計した数からなあ
そもそもそれだけの機数を飛ばすには南九州の基地だけじゃ足りないし
末期の航空機は粗製乱造だからまともに飛べる機がどれだけあるかも怪しい 大和をはじめとする連合艦隊を調査するために、海の水を抜く作業をします。 戦艦大和の設計コンペを描いた『アルキメデスの大戦』って漫画が面白かった。 >>308
もし今後、改大和型巨大戦艦を建造するとしたら
艦名は嫌な名前だが朝日と付けるか!
両舷に豪華フェリーのさんふらわあ宜しくデカデカと
旭日マークをあしらって・・・ どうあがいても、アメリカ側はコンスタントにどんどんと艦船を建造できたし、
燃料もある。終戦時にB29のバックログ(未出荷分)2000機をキャンセルしたぐらいで、
いくらでも兵器を生産する余力があった。原子爆弾も長崎型プルトニウム爆弾を
原子炉からの抽出により月産で1−2個程度が生産できる体制も既に出来ていた。
日本の食料供給を壊滅させるために、枯れ葉剤も開発していて、終戦の年にも
それを散布する計画もあった。日本列島にこもって持久戦に持ち込んでも、
資源が不足して餓死、凍死、などあったし、ソ連が北海道に進行して制覇、
九州に毒ガスを散布して陸軍を殲滅、四国も獲られ、。。。などとなっていただろう。 >>307
本来は隙間なく戦闘機の護衛が付くはずだったんだけど、連絡の行き違いで一部が早朝から別任務に出撃してしまっていた
で、ちょうど生じた隙間に空襲された形になった。ただ、護衛がいたところで結果は同じだろうけどね
大和沈没後に戦闘第303飛行隊(零戦52型)が溺者を掃射していた米戦闘機隊(F4U-1D)に優位から攻撃しかけたけど返り討ちにされてるし 時代は繰り返すというが戦艦の時代はもう来ないのかな。
イージス艦とかちょっと事故っただけで大穴空いてんじゃん。
大和ならコンテナ船とかタンカーとぶつかってもびくともしないだろ。
だからどうしたという話の気もするが。 >戦艦の時代
戦艦は、米海軍オハイオ級3番艦ミズーリが1992年に退役していらい
世界に一隻もありません。
「戦艦」の定義にもよりますが、電磁誘導砲を攻撃の主体にした艦艇は
また出てくるかも知れません゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
----
●艦隊旗艦:推移
1805年 03500トン木造 ビクトリー(トラファルガー海戦)
1868年 02600トン木造 開陽丸(戊申戦争。幕府海軍。16cm砲18門)
1894年 04300トン鉄鋼 戦艦松島(日清戦争。30cm砲1門)
1904年 15000トン鉄鋼 戦艦三笠(日露戦争。30cm砲4門)
1916年 30000トン鉄鋼 戦艦アイアン・デューク(第一次大戦。36cm砲5門。ユトランド沖海戦)
1941年 65000トン鉄鋼 戦艦大和(太平洋戦争。46cm砲9門) >>317
近い将来、艦船にレーザー兵器が搭載されるようになったら戦艦が復活するかもしれない。
レーザー兵器があれば、撃たれたミサイルを確実に撃墜できる。
しかしレーザー兵器は戦艦の砲弾のような質量兵器からは防御できないので、対レーザー兵器搭載艦対策として戦艦の出番になる。 まー宇宙船の時代が来れば戦艦は確実に復活するじゃろね
誘導兵器の類いは対空レーザーで確実に焼き払えるようになれば長距離からのビーム兵器の撃ち合いになるだろうし >>319
やはり核融合動力で超電磁主砲、レーザービーム対空高角砲搭載仕様だな
それらを発射する強力なエネルギーは艦の動力エネルギーを転換して充填するという・・・
いよいよ「エネルギー充填120%!」と叫ぶ時代が来るんだなぁ、胸熱じゃ! >>150
1945年9月4日 第88回帝国議会における陸海軍大臣の報告
陸軍 海軍
開戦時保有数 約3000 約1200
戦時生産数 約3万2500 3万0295
戦時損耗数 約2万5500 2万5609
終戦時保有数 約1万 5886
但し練習機や輸送機も含む >>316
別の特攻隊護衛終えた岩本徹三に要請が入って
小隊率いて急行してF4Uを3機撃墜してるそうだがな >>314
戦艦三笠姉妹の朝日の名は、ビッグネームでもあるからね。
海自が先になるか、海保が先になるかはわからないけど、復活させて欲しい名前の1つに思う。 >>324
ネタですよね?
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https://mainichi.jp/articles/20161020/k00/00e/040/184000c
新型護衛艦「あさひ」進水 ハイブリッド方式
海上自衛隊の新型護衛艦の進水式が19日、長崎市の三菱重工長崎造船所であり、
「あさひ」と命名された。ガスタービン2基に推進電動機2基を組み合わせたハイブリッド
推進方式を海自の艦艇で初めて採用。ガスタービン4基の従来の護衛艦に比べ、
維持整備費の低減を図った。
あさひ型の1番艦となる同艦は基準排水量約5100トン >>11
干拓なんかどうだっていい
それよりJR式マグレブだよ >>313
話が巡り巡って大和建造阻止から史実の大和を上回る巨大戦艦の建造計画とかやってるな。
どういう結末迎えるんだろうね。 世の中には真珠湾攻撃の部隊の後方に
足の遅い戦艦大和は司令をするための艦船として
作戦に従事していたと誤解している人が大勢居る。 竣工日 昭和16年12月16日
もちろん、実弾試射とかは済んでいただろうが、まだ聯合艦隊に所属していない艦だろう。
真珠湾攻撃とは関係ないね。
なお、武蔵の竣工日は昭和17年8月5日。ミッドウェー海戦の2ヶ月後だ。 ミッドウェー海戦で主力最強の4空母を一瞬に失ってしまったので
武蔵が完成しても、あまり嬉しくなかったんだろうな。
「しまった、大和・武蔵野代わりに翔鶴型4杯も作っておけば・・・」とホゾを噛んだのかもしれない。
そんなこんなで、三番艦信濃は難儀しながら空母に改装。 教授!どうしてもっと早くに全戦艦で一丸となりハワイへ突入しなかったのですか? >>335
その一週間後に米海軍の豆潜による魚雷攻撃にて撃沈される >>13
それはそうかもしれんがまあ所謂結果論だよね、あの当時はあれが正解だった若しくは間違ってても貫くしかなかったのかも、しれない。人生もそうだよねあの時あの会社に入社していれば、みたいな >>336
ニミッツは日本艦隊が一丸となって襲って来たら
相当ヤバかったって言ってたらしいな 日本の機関銃は昔から、今の自衛隊に至るまで「ゆうこと聞かん銃」なんだよなあ。
友邦独逸の機関銃はホント高性能だったのに。ヒトラーの電動鋸とか。
ノルマンジーのオマハ海岸でも威力を示したようだ。 >>13
いやいや、ゼロは端から欠陥機だからwゼロは要らない。
それより隼と疾風 >>343
通説では25ミリ三連装機銃と25ミリ単装機銃の搭載は分かっていたが
今回の調査で25ミリ連装機銃も積んでいたかも?って分かった 要するに最新鋭戦艦の改修でも新型機銃すら積めなくて旧型を積んだ状況だったと >>347
大和に限らず海軍の艦艇は基本洋式
潜水艦なんかは和式だったらしいが 当時だから普通とは反対向きに座る人も多かったんでしょうか? 日本の軍艦は便器が少なく下士官・兵用だと100人に一個の割合でしか
便器がなかった。 >>283
空母機動部隊が健在であれば、上陸地点への艦砲射撃や防空艦としての使い途はあった。
(アメリカの戦艦もそうだし)
機動部隊を失った時点で無駄に沈む運命は確定した。
それでも、レイテ突入を果たしていれば最後に一花咲かせるチャンスはあったんだがな。 >>345
そもそも、新型機銃なんてものがない。
25ミリ機銃が役立たずだとわかっていてもそれしかないから使うしかなかった。
武蔵なんか、高角砲の製造が間に合わなくて(それも旧式の)、高角砲の砲座に機銃乗せてたんだぜ。 >>335
3番艦信濃は、4番艦土佐(紀伊など諸説あり)と一緒に建造中止になり、さっさとドックをあかして駆逐艦や小艦艇作りたかった。
4番艦は解体してパーツ化した方が早くドックをあけられるので、バラして大和と武蔵の補修改造、伊勢と日向の空母化改造パーツなどに使われた。
信濃は工事が進んでいたので、突貫で進水させた方が早くドックがあくと判断されて、暫くゴミとして係留されて使い道思案されたあげく空母が足りなくなり改造となった。 >>354
艦載型長12.7センチの開発が始まったのが終戦間際だったからね。
12.7センチ砲や機銃は、4番艦の分があるから足りないはなかったと思うよ。
信濃は長10センチや長12.7センチが足りずに、自艦で余っていた12.7センチ搭載。 >>355
4番艦の3重艦底部は解体しないでその上に海防艦を造船。 >>265
【問】突入できる可能性はあったの?
【誤答】天候によってはありました。
【正答】戦術によってはありました。航路上空は厚く雲が覆っており効果的に煙幕を張れる気象状態でした。
もし煙幕を展張していたら損害軽微で沖縄にたどり着けた可能性が高かったのです。
しかし、海軍的にはもはや敗戦が目前という段階での海上特攻に伊藤長官が納得せず、
草鹿参謀長の「一億総特攻のさきがけ」という亡国必至の基地外言辞を受け入れたことにより、
沖縄にたどり着くことは事実上放棄されてしまいました。
開戦責任のある伊藤に負け癖のついた草鹿、歴史とはなんと皮肉なものなのでしょうか。 >>357
5番艦は資材集め途中で山で置かれて、人手もなく何があるのか整理が出来ないまま終戦で戦後復興資材になったという話もあるよね。 どうせ自暴自棄の戦いなんだから、大和はどうせなら何故主砲砲撃しなかったのだろう。
一隻でも一機でも或いは戦果が上がったかもなのに。 >>360
自暴自棄にはなってないよ。
大和が活躍出来なかったのは、大和型で完成した数が2隻しかなかった。
将棋で例えるなら戦艦は飛車で、空母は角。
大和型は数がなく、金剛型のように飛車として使えず金として使ってしまい生粋の攻め振り駒として使えなかったんだよね。 >>361
ごめん、沖縄特攻戦の話でした。その前は少ないが主砲撃った事はあったので。 >>362
相手は飛車も角も何十枚もあるわけで、指し手でどうなる問題じゃないな。 >>362
羽生震えを持ってしても難しい指しだったと思うよ。
逆に囲いが崩壊したあとでも入玉で粘りに粘ったと思う。
>>363
沖縄の場合は結果論だけなら、偽装進路と之字運航しないで戦艦大和の全速力35ノットで真っ直ぐ突っ込んでいったらアメリカ艦隊とガチンコ砲撃戦だった可能性があったんだよなぁ。
まあ、結果論でしかないけど。 もし,大和が沖縄まで往復できるくらいの帳簿外の重油があることが上層部にバレていたら,
長門や榛名も沖縄特攻に出撃させられていたんだろうか。 戦艦制限している間でも準備できたのにせずにいたため、大和完成が遅くなってしまったのはあまりにも痛い >>355
進水 1944年10月8日[11]、もしくは10月6日[12]、10月5日[13]
竣工 1944年11月19日[11][8]
最後 1944年11月29日沈没[14] >>366
大和型は公試のときに、余裕で30ノットを越えてしまった。
機密保持にそれ以上速力出すことを禁じて、試験中止になった。
艦長が大和に搭載されている主砲が46センチと教えて貰えず、42センチだと思い込んでいた笑えない話も…
>>367
長門と大淀は横須賀で健在だったから、呉に回航して大和艦隊に編入予定だったよ。
呉に回航するまでにやられてしまうから、無駄な犠牲を出したくないと中止。
その他にも多数の艦が理由付けて編入予定を中止している。 >>372
軍縮条約破って戦艦建造したら、大和と武蔵が出来る頃には
モンタナ4隻、アイオワ6隻で艦隊組まれてるだろうな
イギリスはキング=ジョージV世4隻にレパルス4隻かな?日本超ヤバい >>13
提督の艦隊でその戦法取ると日本が圧勝できるくらい強くなるんだよな >>372
それは知ってるが、軍縮条約が1936年12月まで有効なのに368は何言ってるのやら
それ以前に日本語があれだから仕方ないか >>374
技術的に可能かどうか置いといてノースカとダコダをスキップしても、
1942年までにアイオワ、モンタナを計6隻そろえるのが精一杯だったのでは? こういう小さな機銃ってどんくらい効果あったんだろ、飛んでる飛行機相手にあたるものなのかな >>378
2連装、3連装機銃は弾幕を張って敵機の侵入を食い止める用途があった
単装機銃は基本1人でぶん回せるので命中率では単装の方が良かったという話もある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています