【歴史】遺伝的に近かった「出雲人」と「東北人」…「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!
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読売新聞 2017年12月15日 05時20分
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html
(『核DNA解析でたどる日本人の源流』に掲載された図をもとに作成)
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20171214/20171214-OYT8I50004-L.jpg
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沖縄・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から出土した約2万7000年前の日本最古の人骨
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日本人のルーツの一つ「縄文人」は、きわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤 成也 教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、わかった。現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。縄文人とは何者なのか。日本人の成り立ちをめぐる研究の現状はどうなっているのか。『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社)を出版した斎藤教授に聞いた。
世界最古級の土器や火焔土器…独自文化に世界が注目
縄文人とは、約1万6000年前から約3000年前まで続いた縄文時代に、現在の北海道から沖縄本島にかけて住んでいた人たちを指す。平均身長は男性が160センチ弱、女性は150センチに満たない人が多かった。現代の日本人と比べると背は低いが、がっしりとしており、彫りの深い顔立ちが特徴だった。
世界最古級の土器を作り、約5000年前の縄文中期には華麗な装飾をもつ火焔土器を創り出すなど、類を見ない独自の文化を築いたことで世界的にも注目されている。身体的な特徴などから、東南アジアに起源をもつ人びとではないかと考えられてきた。由来を探るため、これまで縄文人のミトコンドリアのDNA解析は行われていたが、核DNAの解析は技術的に難しかったことから試みられていなかった。
斎藤教授が縄文人の核DNA解析を思い立ったのは、総合研究大学院大学教授を兼務する自身のもとに神澤秀明さん(現・国立科学博物館人類研究部研究員)が博士課程の学生として入ってきたことがきっかけだった。「2010年にはネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)解読が成功するなど、世界では次から次に古代人のDNAが出ていたので、日本でもやりたいと思っていた。神澤さんが日本人の起源をテーマにしたいということだったので、縄文人の核DNA解析に挑戦することにした」と振り返る。
福島・三貫地貝塚人骨のDNA解読に成功
問題は、縄文人骨をどこから手に入れるか、だった。ねらいをつけたのは、自身が東大理学部人類学教室の学生だったころから知っていた東大総合研究博物館所蔵の福島県・三貫地貝塚の人骨だった。同貝塚は60年以上前に発掘され、100体を超える人骨が出土した約3000年前の縄文時代後期の遺跡。同博物館館長の諏訪元教授に依頼すると、快諾。男女2体の頭骨から奥歯(大臼歯)1本ずつを取り出し、提供してくれた。
解析を担当する神澤さんがドリルで歯に穴を開け、中から核DNAを抽出。コンピューターを駆使した「次世代シークエンサー」と呼ばれる解析装置を使い、核DNAの塩基32億個のうちの一部、1億1500万個の解読に成功した。東ユーラシア(東アジアと東南アジア)のさまざまな人類集団のDNAと比較したところ、驚くような結果が出た。中国・北京周辺の中国人や中国南部の先住民・ダイ族、ベトナム人などがお互い遺伝的に近い関係にあったのに対し、三貫地貝塚の縄文人はこれらの集団から大きくかけ離れていた。
「縄文人は東南アジアの人たちに近いと思われていたので、驚きでした。核DNAの解析結果が意味するのは、縄文人が東ユーラシアの人びとの中で、遺伝的に大きく異なる集団だということです」と斎藤教授は解説する。
続きは>>2 アジア集団の中で最初に分岐した縄文人
20万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)は、7万〜8万年前に故郷・アフリカを離れ、世界各地へと広がっていった。旧約聖書に登場するモーセの「出エジプト」になぞらえ、「出アフリカ」と呼ばれる他大陸への進出と拡散で、西に向かったのがヨーロッパ人の祖先、東に向かったのがアジア人やオーストラリア先住民・アボリジニらの祖先となった。
縄文人は、東に向かった人類集団の中でどういう位置づけにあるのか。「最初に分かれたのは、現在、オーストラリアに住むアボリジニとパプアニューギニアの人たちの祖先です。その次が、縄文人の祖先だと考えられます。しかし、縄文人の祖先がどこで生まれ、どうやって日本列島にたどり着いたのか、まったくわかりません。縄文人の祖先探しが、振り出しに戻ってしまいました」
アフリカを出た人類集団が日本列島に到達するには内陸ルートと海沿いルートが考えられるが、縄文人の祖先はどのルートを通った可能性があるのだろうか。「海沿いのルートを考えています。大陸を海伝いに東へ進めば、必ずどこかにたどり着く。陸地に怖い獣がいれば、筏で海へ逃げればいい。海には魚がいるし、食料にも困らない。一つの集団の規模は、現在の採集狩猟民の例などを参考にすると、100人とか150人ぐらいではなかったかと思います」と斎藤教授は推測する。
分岐した時期は2万〜4万年前の間
では、縄文人の祖先が分岐したのはいつごろか。「オーストラリアやパプアニューギニアに移動した集団が分岐したのが約5万年といわれるので、5万年より古くはないでしょう。2万〜4万年前の間ではないかと考えられます。日本列島に人類が現れるのが約3万8000年前の後期旧石器時代ですから、4万年前あたりの可能性は十分にある」と指摘。「旧石器時代人と縄文時代人のつながりは明確にあると思う。後期旧石器時代はもともと人口が少ないですから、日本列島にいた少数の後期旧石器時代人が列島内で進化し、縄文人になった可能性も考えられます」と語る。
また、縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。
以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。
日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原和郎(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。
遺伝的に近かった出雲人と東北人
日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。
数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。
「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。 南九州の熊襲族・隼人族は、黒潮の流れでたどり着いたムー大陸のムー民の子孫。
熊を襲うほど強い熊襲民族。
隼のように素早い隼人族。
テロの主導者を歌って踊って崇拝するのは
朝鮮人だけ? >>1
> 現代の日本人と比べると背は低いが、がっしりとしており、彫りの深い顔立ちが特徴だった。
なんか ネアンデルタール人みたいだな .
/⌒ヽ_/⌒ヽ
| <ヽ`∀´>
/(ノ三|)
(∠三ノ
_/∪∪L >>3
同族で南北に別れて
殺し合い戦争中なのが、朝鮮人
面白い事に
多文化共生!と吠える ウリ達が日本の兄ニダ
というバカチョンのウリナラファンタジーがまた、、。 > 「縄文人は東南アジアの人たちに近いと思われていたので、驚きでした。
> 核DNAの解析結果が意味するのは、縄文人が東ユーラシアの人びとの中で、遺伝的に大きく異なる集団だということです」
えーと、これ驚くところなんでしょうか?
縄文人が大陸で絶滅した古モンゴロイドの末裔で、
大陸のアジア人種は新モンゴロイドの末裔で遺伝的に大きく異るなんて常識じゃなかったですかね? 縄文人は韓国人だったってことかw
日本人涙目wwだな >>13
朝鮮人の先祖は、熊
人間を見た熊が
人間に成りたいとか言ったんだって もし朝鮮人が日本人の先祖だとしたら朝鮮人の方が猿に近い 大和以前に朝鮮半島には統一国家がない。
朝鮮人とか韓国人とか言っても、そういう国はまだなかった。 >>4
そんな強い民族も朝鮮渡来人に征服された、と やっぱり日本人は濃い顔だよな
一重の奴らどっか行けよ 最後の手段、
最悪アレで脱出だそうですw
さっさと片付けたら???
犬小屋に隠蔽してもらってるけど、
お顔がそのままw 同族が南北に別れて殺し合い戦争する遺伝子は
朝鮮人 島根の中でも、隠岐の島人は特に縄文の血が濃いと思うな
実例は俺w >>23
熊襲族・隼人族は、黒潮の流れで南九州に到着したムー大陸のムー民族の子孫。
だから、最後までヤマトイモ民族の侵略に抵抗し、最後まで独自文明を守るために闘った。
数多くの戦闘で熊襲族・隼人族は勝利し、「ヤマトイモ民族はひ弱でチョロイ」、と思われた。
しかし悪知恵だけはよく働くヤマトイモ民族。
まともに戦っては屈強な熊襲族・隼人族には勝てないと判断した。
まるで熊が襲ってくるような強さから「熊襲族」、隼のように俊敏な動きをするから「隼人族」とヤマトイモ民族から呼ばれ、恐れられてた。
そこでヤマトイモ民族は刺客(アサシン)として、ヤマトイモタケルというオカマを派遣した。
小柄なヤマトイモ民族の中でひと際小柄で、見た目も仕草もおんなの腐ったようなのがヤマトイモタケルであった。
・・・いつものように熊襲族・隼人族は酒盛りをした。
「今日もヤマトイモ民族を蹴散らしてやったわい!」「あいつら貧弱、貧弱!」「赤子の手を捻るようなもんじゃ!ガハハハハ!」といつもの戦勝を祝う酒盛りをしてた。
それを近くの藪の中から覗き込むヤマトイモタケル。
すでに女装してる。
酒盛りも終盤を迎え、多くのものが酔いつぶれてきた。
「今ニダ!」
ヤマトイモタケルは藪からこっそり飛び出し、熊襲族の長(おさ)の横にちょこんと座った。
「お、新しいおなごか、見慣れない顔だが苦しゅうない、ちこう寄れ!」
女装したヤマトイモタケルは、熊襲の長(おさ)に酒を進め、すっかり酔いつぶれさせ我をなくさせた。
「チャンスにだ!」
ヤマトイモ民族は懐から短刀を取り出し、長(おさ)の脇腹を「えい、やあ!」と一突きにした。
そして一目散に藪の中に逃げ込み、スタコラサッサとヤマトイモ陣営に逃げ込んだ。
なんと卑怯で奸智のまわる民族であろうか、ヤマトイモ民族は!
・・・こうしてヤマトイモ民族の”オカマ作戦”は成功した。
長(おさ)を失い酔いつぶれた熊襲族・隼人族の戦士は混乱、まんまとズル賢いヤマトイモ民族の悪だくみに引っかかって南九州を侵略されてしまった。
貴重なムー大陸由来の文化・文明、オーパーツは失われた。
南九州で平和に暮らしていた人々はヤマトイモ民族に支配され、おんなは犯され同化された。
https://o.5ch.net/tbup.png
>>25
どう読んだんだよ。
縄文の血は琉球とアイヌで守られてただけで本州は大陸人に征服されてるじゃないか。 今の日本人は自覚していなくても縄文人>弥生人の潜在意識があるよな
昔は大陸的な平安美人が上だったかもしれないが、今はブス扱いだ 韓国人と日本人は100%同じDNA
元々は同じ民族だった
5000年前は韓大陸と日本は繋がってた 日本列島の中心から離れていくほど標準語とかけ離れた方言になっていくのと類似してるね 在日韓国・朝鮮人は、在日の組織力で、韓流や
芸能人の在日韓国・朝鮮人をTV番組にいつもごり押ししてきて、
日本人に自慢するのだが、DNAを調べれば、朝鮮人と日本人は全く異なるのである。
在日韓国・朝鮮人は早く日本の国土から去れ! 皇族の遺伝子を調べたらどうなのかな
結果は予想できるから怖くて出来ないか >>38
お公家さんってのっぺり顔だし縄文ではないな エベンキの穢れたDNAなんて一切混じっておりません。
チョーセン人は日本にからんでこないで下さい。 >>1
昔から言われてたそのまんまじゃん。
縄文人がすまっていた日本に、黒潮に乗って新モンゴロイドが移住(天孫降臨)してきて人口を増やし、
やがて東上(神武東征)、奈良京都に都を定める。
だから、南九州〜沖縄、東北、北海道は縄文系、南九州から西国は平べったいのっぺりとした新モンゴロイド。
何が新しい発見なわけ? 沖縄、アイヌ、アメリカインディアン、南米の原住民。
これ、太平洋を中心にして、同じ顔してんだよな。
派手な装飾を顔や髪、体に施したり、テントみたいな家屋も同じ。
だから、北極からアメリカに渡ったり、太平洋を渡っていったんじゃないの。 読んでも理解できなかった頭の弱いやつがチョウセンチョウセン鳴くスレ 縄文人だけじゃなくて弥生人だって大陸にいた集団はとっくに滅んでるだろう 出雲の旧社家の人が書いた伝承の本によると祖先はインドの古族で
北回りで日本に入り東北を経て南下してきたとあった。
こうした古代伝承を盲信しないまでも真面目に検討すべきと思うが
古事記日本書紀を覆せないという古代史研究の障壁が立ちはだかっている。
ヤマタイ国の謎なども本当は解けているのではないかと思うが
大和朝廷に都合が悪かったことは今も都合が悪いので歴史家には期待できない。
DNA研究とか科学方面から動いてくれることに多少は期待したい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています