鼎談する(左から)星さんと小阪教授、安藤宮司
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 福島県郡山市の安積歴史塾は20日、同市の安積国造神社会館で、著書出版を記念した公開講座「東北を置き去りにした明治維新」を開いた。同市の歴史作家星亮一さんと長州藩士子孫の文学博士小阪康治郡山女大教授、同神社の安藤智重宮司が鼎談(ていだん)、旧幕府軍と新政府軍が明暗を分けた背景などについて語り合った。

 同塾が著書「東北を置き去りにした明治維新―戊辰戦争の謝罪なしに、日本の融和はない」(文芸社)を15日に出版したことを受け、開催した。

 小阪教授は、長州藩が置かれていた地理的条件について「最先端の軍事が学べる長崎が近かったことは大きい」と強調。「大陸も近く、欧米の脅威を肌身に感じられる環境にあったことが、攘夷への動きにつながった」との見方を示した。

 小阪教授の意見を受け、星さんは「会津藩は当時日本最強の部隊といわれていたが、時代遅れの側面があった。先進地に若者を派遣して学ばせる体質が重要だった」と指摘。「幕府も旧態依然とした体制に安住し、薩長との差が付いた」とした。

 安藤宮司は、松下村塾を開いた吉田松陰について「儒学者安積艮斎から『仁』に基づく統治を学んだが、外国の脅威から次第にナショナリズムに目覚め、領土拡大など積極的な国防策を唱えた」と述べ「塾でシンパを広げ、松陰の思想が行き渡り、周囲が倒幕に動いていった」と分析した。

福島民友 2017年12月21日 09時23分
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