TBS系日曜劇場「陸王」(日曜午後9時)が、人口8万3000人の地方都市・埼玉県行田市を変えた。
ドラマや映画の長期ロケを招致したことが1度もなかった同市が、環境経済部商工観光課を中心にロケ地探しや
道路を封鎖してのマラソンシーンの撮影など全市民を挙げて撮影をバックアップした結果、ロケ地めぐりに足を運ぶファンが殺到。
グッズ購入などによる市の経済効果は、24日の最終回放送の段階で1カ月あたり10億円超えが確実という試算もあるという。

最終回の放送2日前の22日に、最後の撮影が行われた行田市産業文化会館には、最低気温が氷点下1・9度と冷え込む中、
早朝から多くのエキストラが集まり、長蛇の列をつくった。同局関係者によると、その数は最終的に3000人を超えた。
行田市環境経済部商工観光課の森原秀敏課長は「物語の舞台となった町として、
全市民を挙げて、何としてもドラマの撮影を成功させたかった」と感慨深げに語った。

 行田市は、12年の映画「のぼうの城」の舞台となった忍城(おしじょう)で知られ、合戦シーンも撮影されたが、
わずか1日だけで「4カ月に及ぶ長期ロケを受け入れたのは『陸王』が初めて」(森原課長)だった。市街地の最寄りの秩父線行田市駅は、
東京駅から約71キロと離れている上、平日朝の通学、出勤時間帯は1時間に5本、運行されているものの
、少ない時は1時間に1、2本程度しか運行されておらずアクセスが悪い。「のぼうの城」以降は撮影などのオファーは0。
撮影の誘致、支援を行うフィルム・コミッションは全く機能していない状態だったという。

その中、行田市に「陸王」撮影の話が舞い込んだ。ロケの拠点が行田市になることを受けて、
7月上旬から商工観光課を中心に関係者が市内各所でロケ現場を探し、
地元企業、関係者に協力を要請し続けた。作品の中心的な場面となった、こはぜ屋の作業場は、市内の倉庫業者に倉庫を借りた。
偶然、撮影が行われるタイミングで半年、空いており天井を取り払って作業場を作らせてもらった。

 行田市では9月2日のクランクイン後、大規模ロケ12回をはじめ、こはぜ屋、倉庫などを使ったロケが連日、行われた。
そのたびに市民をはじめとしたエキストラ、ファンが足を運んだ。役所広司(61)が演じた四代目社長・宮沢紘一が、
試作品の陸王を履いて走った水城公園、行田市民駅伝のシーンに登場した忍城、
こはぜ屋の外観として登場したイサミコーポレーションスクール工場など、主要なロケ地の多くは市街地に点在しており、
エキストラ、観光客は市内のロケ地、観光地をめぐり、市内の「足袋とくらしの博物館」は、前年比5倍の観光客が訪れた。
森原課長は「土日、人が歩いていなかった町に若者がバンバン、歩くようになった。ガラガラだった秩父線の車内も満員です」と笑みを浮かべた。

さらに「十万石まんじゅう」を生産、販売する十万石ふくさやが発売した「陸王」の焼き印が入ったコラボ商品も大好評で、
工場は24時間フル稼働だという。そうした一連の動きを加味し、
行田市全体の経済効果は1クール10話終了の段階で1カ月あたり10億円を超えることが確実視されており、周辺の自治体にも波及しているという。

 森原課長は、そうした経済効果以上に「全ての市民、エキストラの皆さんが全力で撮影に携わってくださったおかげで、
『陸王』を通じて市民の一体感が生まれ、何もなかった田舎の町が活気づいた」と強調した。行田市ではマラソンシーンのロケが9回、行われ、
そのたびに市内の道路を封鎖したが、市民からの苦情は1件もなかったという。ロケ現場でエキストラと市民が語り合い、何度も撮影に参加し、
制作陣を含めて顔見知りになった人の輪が広がったという。クランクアップ後、役所ら俳優陣が現場を後にして1時間がたっても、
福沢克雄、田中健太両監督をはじめとしたスタッフと歓談したり、サインを求める市民、エキストラの列が続いた。

 行田市は今回の実績、経験を元に、今後もドラマ、映画の撮影を積極的に誘致し、町おこしを進めていきたいという。
森原課長は「『陸王』がなければ、行田の名前を全国に広げることは出来なかった。この成功をきっかけに、市は勉強させていただき
、体力も付いた。市民の機運も高まっている。今後は積極的に撮影を誘致する後押しと並行し、民間の力なくしては出来ないので、
やる気のある市民の力による町づくりを進めるための何かを作りたい」と力を込めた。そして、かみしめるように言った。

 「全ての行田市民、市にとって『陸王』は、行田市の永久の宝物です」

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