【群馬】「軍艦よりも飛行機だ」 早期退職して15年…太田市のエンジニア(70)が陸軍四式戦闘機「疾風」(キ84)復元中
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復元された疾風の機体前部と黒田さん=群馬県太田市
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コックピットの計器は当時の部品が使われている=群馬県太田市
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群馬県南東部に位置し、北関東随一の工業都市である太田市。このまちは、飛躍的な発展を遂げた自動車大手、SUBARU(スバル)の本拠地だ。同社のルーツは中島飛行機。元海軍機関将校の中島知久平(明治17年〜昭和24年)が「飛行機報国」を念じて大正6年12月に創設した。
同市宝町に居を構える黒田郁夫さん(70)は、大戦中に中島飛行機が製造した戦闘機の復元を進めている。機体は陸軍の四式戦闘機「疾風(はやて)」(キ84)。米国から「日本最優秀戦闘機」として恐れられた戦闘機だ。
「小さなころから大空にあこがれ、退職するまでグライダーで空を飛んでいた」という黒田さんは「本で知久平を知っていた。『軍艦よりも飛行機だ』という先見の明は神様のように感じた」と語る。
知久平を慕って、大学卒業後の22歳の時に山形市から太田市に移り住んだ。
電機メーカーのエンジニアだった約20年前から中島飛行機の戦闘機の中から「機体がスマート」という理由で疾風の復元を計画、資料などを探していた。
55歳の時に会社を早期退職し、以来15年間、専門誌に掲載された設計図や戦時中の写真などをもとに、自宅の工房で毎日4時間、1人で復元作業を進めている。部品は全国から収集したほか、足りない部品は自ら製造した。
これまでに復元されたのは、プロペラからコックピットまでの機体前部の約5メートル。コックピットの計器などには当時の部品が使われているという。黒田さんは「機体前部の部品は1割は当時のもの、9割は自分で製造した」と明かす。今後も部品の収集などを続け、主翼や機体後部を復元し、2年後の完成を目指している。
復元された前部の機体は今月2、3の両日、太田市民会館(同市飯塚町)に展示された。黒田さんによると、2日間で予想を超える約1100人の航空機ファンらが訪れたという。
黒田さんは「エンジンを取り付けるが、大空へ飛ばすことはとても無理。でも、滑走できるようにはしたい」と意欲を燃やしている。
(前橋支局 平田浩一、写真も)
◇
疾風 全長9・92メートル、全幅11・24メートル、最高時速655キロ。昭和19年に登場。終戦までに約3500機生産された。日本軍の戦闘機としては海軍の零式艦上戦闘機「零戦」、陸軍の一式戦闘機「隼」に次ぐ生産機数。中島飛行機の戦闘機の集大成ともいえる機体で、速度や武装、航続距離などに優れた傑作機とされている。特攻機としても使われ、現存するのは、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館にある1機のみという。
産経ニュース 2017.12.31 07:00
http://www.sankei.com/premium/news/171231/prm1712310007-n1.html 軍艦よりも飛行機だ?知るか馬鹿!そんな事よりオ〇ニーだ!! 飛ばない飛行機作ってんの?
ばかじゃん。
ただの模型じゃん。 70て、また微妙な
戦後生まれの慰安婦や特攻隊(こっちはおらんか?)に、またグダグダ言われるぞ
私は慰安婦でしたー!まだ10代だけどなー!!!キリッ!
もう最近、そんなのを笑い飛ばす気持ちも無くなってるからエエよもう
そもそもバブって好き放題やった世代だろ
死ぬ前位は静かに死んどけや
変に周りを刺激すんなボケ >米国から「日本最優秀戦闘機」として恐れられた戦闘機だ。
いや、そう評価されたのは戦後に調査した時なんだけどね >海軍機関将校の中島知久平(明治17年〜昭和24年)が「飛行機報国」を念じて大正6年12月に創設した。
当時の中島飛行機は凄いものでした。社員が20万といまのボーイング社やロッキード社以上の大きさ。
戦中、戦後と米軍から眼の敵とされましたが、今でもスバル(富士重工)として残っています。゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
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■12月に6回、1月に5回、2月3回。のべ1000機。
中島飛行機武蔵野製作所は5回爆撃された。
■中島飛行機は巨大産業となっていた。群馬県太田市、宇都宮など12の
製作所、56の分工場、社員20万人。1944年は
機体8000機、エンジン1.4万個生産を記録。
【出典】『戦闘機「隼」』(光文社NS文庫/碇義郎)
【参考】ロッキード社12万人、ボーイング社16万人(2017)
【参考】米国に眼の敵にされた中島飛行機は戦後解体されたが富士重工(スバル)として残る。
軍用ヘリなどを供給。漫画でも有名なインプレッサなども生産。 カーボンとチタンの航空用複合素材で機体を造り、
ターボプロップのエンジン、フライバイワイヤ、
フェイズドアレイレーダー、アシスト用のAiと最新のアビオ搭載。
これを空母いずもに乗せて哨戒機として使って欲しい。
艦載機なので四式戦というよりは烈風って感じだが。 日本最優秀戦闘機として恐れられた
嘘つけw
アメリカは、P51という当時世界最優秀機があったし
ジェット戦闘機のP80も実戦配備間近だったろうが >米国から「日本最優秀戦闘機」として恐れられた戦闘機だ。
こういう表現をよく見るが、公平に見て当方のF6FやP51やB29の恐れ具合のほうがずっと大きいというか
米軍別に恐れてないんじゃないの
向こうさんは、こういう兵器が出てきた、じゃあこうしようと対策するけど
こちらは、こんな兵器を投入されてはもうどうにもなりません、と万歳だもの >>1
このペースだと死ぬまでに完成できないやんか >北関東随一の工業都市である太田市。このまちは、飛躍的な発展を遂げた自動車大手、SUBARU(スバル)の本拠地だ
パナソニックワイルドナイツの本拠地なんは無視なんね(泣 >>19
たしかにw
15年間かけて
> プロペラからコックピットまでの機体前部の約5メートル。
それでもって
> 今後も部品の収集などを続け、主翼や機体後部を復元し、2年後の完成を目指している。
どう考えても無理じゃろw 当時の燃料は
米国よりオクタン価が低くて
性能が落ちていたものが多い 誉 ・・・じゃなくて、ハー45どうすんの?
どっかで掘るんかな。 疾風ねえ、良い機体だったらしいが、搭載された誉エンジンが額面通りの働きをしなかったからその性能をいまいち発揮できなかった不遇の戦闘機だったな。
戦後アメリカ軍が入念に整備してテスト飛行を行ったところ最高速度680キロ以上を記録したらしい。
>>1では最高速度655キロになってるが中島と陸軍が発表した最高速度はたしか624キロだったと思うが。 鹿児島にある実機は、今でも改修したら飛ばせる代物なの?
幼いころ、京都の嵐山博物館で見た記憶があるのだが。
誉エンジンを他のに載せ替えたら大丈夫なのでは? ドイツにも88mmFlakとかパンターG型を自分で復元しながら
自宅に隠し持っていたオッサン居たけど、逮捕されて没収されちまったんだよなあ。
あれは可哀想だった。 これの時計海軍の奴つこうとるやろ。
疾風は陸軍機なんやから陸軍制式の百式飛行時計つかえや。 ヒカウキ ヒカウキ そんなん昔の話誰も知らないってば >>3
電撃文庫がすでに2作品を
ガーリー・エアフォース
早々に大コケ
戦闘機少女クロニクル 何でみんな否定的なんだろう?
趣味として最高じゃん。
70歳でこんな道楽に没頭出来るなんて一握りだろ、絶対
!? 55歳で早期退職して残りの人生自分の好きなことに打ち込んで過ごすとか
かっこいい人生だな >>18
米国戦闘機がシルエットが似てるオスカーだと思って攻撃仕掛けたら
実はフランクで逆襲されたという事例はある。
ソースは多分松本零士の戦場漫画 記事には2年後の完成とあるが、たった一人で出来るんだろうか こういう真剣に遊ぼうとするマニアは好きだぜ。
人に迷惑をかける鉄オタとは雲泥の差だ。 >>37
否定的なのは、バカチョンですから、こういう戦時中の兵器には必死になるのが在日ですw >>18
南支ではP-51の活動を一時的にせよ抑えた。
赤鼻のエース若松大尉は中国空軍から懸賞金をかけられたくらいのP-51
キラー 中島飛行機の末裔はスバルだけじゃない。
日産と合併したプリンス自動車や
汎用機のロビンエンジンを受け継いだ、工具メーカーのマキタも
中島飛行機の流れを汲んでいる。 中国戦線で鹵獲したP51Cを、国内で仮想敵機として模擬空戦で各地を回った際
テストパイロットは相手が自信喪失しないよう全性能は出さなかったという話があったが
腕が同じならやはりP51のほうが戦闘機としては使いやすいではなかろうか
ましてや整備と燃料を考えれば、実戦ではカタログスペック以上の差があったのだろう
ちんたらやってるな その期間で日本が4回敗戦してるぞ >>32
やりすぎだろw
動くだけでも街で無双できる
疾風の跳ぶところ見てみたいものです゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
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https://en.wikipedia.org/wiki/Nakajima_Ki-84
★中島KI−84「疾風」
中島Ki−84疾風は第二次大戦帝国陸軍に使用された単座戦闘機である。
連合軍のコード名はfrankであり、日本陸軍では4式戦と呼ばれた。
優れた性能と高い機動性を持ち、Ki−48は大戦を通じて大規模に使用された機種としては
日本の最優秀戦闘機と見なされている。連合国の戦闘機と対等に渡り合い、高空を飛ぶB−29をも
迎撃できた。その強力な武装(30mm2門20mm2門)は破壊性を増した。
後期の貧弱な生産品質、手間のかかる中島製エンジン、不揃いの燃料品質そして経験不足の搭乗員。
これらにもかかわらず疾風は(米軍にとって)恐るべき敵であることを自ら証明した。3541機が生産された。
燃料が良質できちんと作られたならば、日本軍で最速だった。
最初に参加した主要な戦闘は1944年終わりのレイテ戦だった。そこから大戦最後の日まで
疾風は激戦地に配備された。高空での性能はよくなかったが、中高度、低高度では良かった。
米陸軍第14航空隊との戦いを見れば、それは即座に、対応を要する戦闘機である、という評価を
獲得した。戦闘攻撃機版も投入され、1945年4月15日、11機の疾風は沖縄の飛行場を
攻撃し多くの航空機を地上で撃破した。
(中島飛行機)Ki−84(疾風)と川崎Ki−100(五式戦)そして川西航空機N1K2(紫電改)の
3機種は、連合軍の新型戦闘機に対抗できる日本のベスト戦闘機である。
The Nakajima Ki-84 Hayate (キ84 疾風"Gale"?) was a single-seat fighter used
by the Imperial Japanese Army Air Service in World War II. The Allied reporting
name was "Frank"; the Japanese Army designation was Army Type 4 Fighter
(四式戦闘機 yon-shiki-sent?-ki?). Featuring excellent performance and high maneuverability,
the Ki-84 was considered to be the best Japanese fighter to see large scale operations
during World War II.[2] It was able to match any Allied fighter, and was able intercept
the high-flying B-29 Superfortresses.[3] Its powerful armament (that could include two 30 mm
and two 20 mm cannon) increased its lethality.[4] Though hampered by poor production quality
in later models, a high-maintenance Nakajima Homare engine, landing gear prone to buckle,[3]
inconsistent fuel quality, and a lack of experienced pilots above all else, Hayates proved
to be fearsome opponents; a total of 3,514 were built.[2] The Ki-84 was the fastest fighter
in the Imperial Japanese military if good fuel was used and the aircraft was in good shape
The first major operational involvement was during the battle of Leyte at the end of 1944,
and from that moment until the end of the Pacific war the Ki-84 was deployed wherever
the action was intense.[8] The 22nd Sentai re-equipped with production Hayates.
Though it lacked sufficient high-altitude performance, it performed well at medium
and low levels. Seeing action against the USAAF 14th Air Force, it quickly gained a reputation
as a fighter to be reckoned with. Fighter-bomber models also entered service. On April 15, 1945,
11 Hayates attacked US airfields on Okinawa, destroying many aircraft on the ground.
The IJAAF's Ki-84, Kawasaki Heavy Industries' Ki-100, and the Kawanishi Aircraft Company's
N1K2-J IJNAF naval fighter were the three Japanese fighters best suited to combat
the newer Allied fighters. 楽しそうだ
★ Historical War これが本当の歴史だ
http://militarymatome999.web.fc2.com/index.html
★幻の超重爆撃機富嶽とかつおどり
★中島飛行機物語について 第二回 中島に関わった人々
★中島飛行機物語について 第一回 WW2戦闘機秘話
★2.28虐殺事件 国民党の黒歴史 軍艦は沈んでもなんとかなりそうだけど
ゼロ戦は落ちたら死ぬ 松本零士の戦場漫画シリーズでも疾風が日本最強の戦闘機みたいに描かれていたな 英語だらけの操縦席だな
全然再現されてないね
当時の日本って英語禁止だったんだろ? 「じゃりん子チエ」のはるき悦巳が「右向け右」という傑作短編を描いているね。宮崎駿に限らない、やっぱヒコーキは男のロマンだわ。 疾風に米国産オイルとガソリン入れたら最高速伸びたらしいね >>30
完璧にレストアされたあと日本に
返還され、入間の航空ショーで飛行
したのよ。
それが日本に来たばかりに飛べない
ポンコツになった。
レストアした人たちは日本に返還した
ことを後悔していた。 >>58
禁止ではなく英語を使わないよう宣伝してただけ
法律で禁止はしてない 三洋の人かな
元三洋のエンジニアはわりと技術力がある人が多いよね >>65
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-nakazima.htm
ここを丹念に金属探知機使って掘ればあるいは・・・
B29の一トン爆弾が先に出るかもだが。 >>58
軍人は英語の教育を受けたりwそりゃ困るでしょ? 飛行可能な機体を野ざらし展示で、飛べなくしたあの人達。 最優秀は五式戦闘機な、四式戦はひ弱なサラブレッド。 > 太田市のエンジニア(70)が陸軍四式戦闘機「疾風」(キ84)復元中
形だけのハリボテなんだから「復元」じゃないだろ(´・ω・`) 初期の鋳込みフィンのシリンダーの誉なら額面どうり出力がでたけど、相次ぐ製造変更で金星と変わらなくなった。
乱造誉の疾風じゃ580Kmしか出なかった。 >米国から「日本最優秀戦闘機」として恐れられた戦闘機だ。
恐れられてはいないかったかな。 側だけの模型なのか耐空証明受ければフライアブルなリバースエンジニアリングなのか
よくわからないけど、オリジナルのパーツが盗まれないような保管をしてくれる施設が
見つかるといいね 今は未発達の飛行機だがいずれ戦艦を沈められるようになる…とか
日本は巨大戦艦を一隻建造するより飛行機をたくさん造った方が良い…と
海軍の軍人なのに上に進言したが聞き入れられず
辞めて飛行機会社を設立した創業者だけど
その会社がもっぱら陸軍との取り引きが多かったのは
海軍に設立の経緯を嫌われたからなのだろうか >>58
日本「ニュース」
https://www.youtube.com/watch?v=uMKAUFE32DI
>>64
完璧ではなかったとオーナーが語っていた。
計器類の欠品に主脚は作動不良だった。 大正13年度(1924年度)、東京帝大工学部航空学科の合格者8名
一高 → 木村秀政、堀越二郎、駒林栄太郎
松山高校 → 由比直一、児玉幸夫、村上和祥
山形高校 → 中川守之、土井武夫
↓
三菱 ← 「零戦」などの堀越二郎
中島飛行機 ← 「隼」などの太田稔、糸川英夫、「疾風」などの小山悌
川西航空機 ← 「紫電改」などの菊原静男
川崎航空機 ← 「飛燕」、「五式戦」などの土井武夫
その他 ← 「桜花」の木村秀政
↓戦後
この中から5人はのちに「YS-11」の設計などに携わり、糸川博士はロケット開発の方にいった。 >>78 終戦直後の米軍が
the best of japan fighters
と言ったんであって、
戦後70年の彼我が積み上げた研究成果ではない。
終戦直後はレシプロエンジンの重戦闘機時代。
零戦みたいに軽く小回りがきく戦闘機の3機編隊の曲芸ではなく、
戦闘速度を高速に保って軽戦闘機の勝機を剥奪しながら、
遠くまでまっすぐ飛ぶ弾を4機編隊でばらまく戦法になっていたんだ。
そうした戦法で考えた場合、大戦末期の松根油で620km/h、米軍規格ハイオクで680km/h出る疾風は、
重武装と高速旋回性と速さの3点がそろっていた。
あなたが言う五式戦は高速旋回で操作を誤るとスピンして墜落してしまう傾向があり、
これだと米軍の求める2機2機で4機の編隊空戦でアルファー機ならともかく技量に劣るブラボー機が墜落してしまう。
だから5式は日本軍で個人技が適してるパイロットには天与の名機たりえたが、
米軍は手放しで賞賛はしなかった。 時系列がメチャクチャになるのはある程度仕方ないんだろうけど、例えばP-51の方が全然初飛行も早い、いわゆる旧型なんだよね。
疾風が初飛行する1年も前にヨーロッパではジェット機が初飛行に成功してるし疾風初飛行の翌年にはアメリカでもジェット機の時代を迎えてる事から考えると技術力の差はもはや絶望的だった・・が正解だろうね。 >>71
英霊も眠っているから掘り起こすのはちょっとなぁ (´・ω・`)
でもサンクス! >>85
疾風 入間航空ショー1973 でYouTube検索
すると、当時の8ミリフィルムがアップ
されている。脚はちゃんと格納されて
いるよ。
今は知覧に展示されている。 >>88 面白いことにエアコブラ型のレイアウトなんだよね。あれ。
機体の重心がすごく後ろにあって緩横転がプロペラ機というよりジェット機みたいな挙動になる。
アメリカもなりふり構わず手当たり次第の迷走をしてたw >>1
「丸メカニック」のコクピット画を思い出した >>86
錚々たる同級生だな。
俺はこの中では土井さんが好き。
「空戦で重要なのは翼面荷重ではなく翼幅過重」のアスペクト比フェチ。
だから飛燕はエレガントで美しい。 なんでこんな忌々し過去の産物また出したがる
ニュースにすんな 個人でひっそり作れ糞野郎 何でそんなに恐れられてたことを必死で否定したがる人がいるんだろね?
ゼロ戦や隼ならダックハント状態でポンポン落とせた時に
対等の生きるか死ぬかの戦いを強いられる機体が出てきたら恐れるに決まってんじゃん 復活のハンターフォーメーション!!
楽な機体なのに2-5止まりのヘタレパイロットでした >>91
だけどそのP-39は初飛行時(1939)に排気タービンを実用化、装備した高出力強武装の高性能傑作機だったのに何故か武器も高出力エンジンも外して低能機になった不思議な戦闘機www
超軍事機密のターボを外に出したくなかった説も有る。
でも日本が結局最後までモノに出来なかったターボが真珠湾より2年も前に実用化出来てた事は意外と知られてない。 >>17
高度6千m以下では上昇・速度・旋回性能あらゆる性能において
疾風はP51を上回ったという米軍レポートがある >>97
佐貫又男先生によると、そもそもがダメっ子らしいじゃん。
プロペラ延長軸の不利はさておいても、アリスンエンジンの
高空性能が悪かったらしい。
そんな中、戦闘機を「翼の生えた鉄砲」とみなしていたソ連に買って
もらえたのは、エアコブラにとって幸福なことだったよね。 >>99
ごめんごめん、試作機が高性能なのに制式機がホームラン級の駄作機という不思議な戦闘機なのよ。
最初の設計はかなり良い思想。
機首の前輪、37mm砲、ターボチャージャーを装備して抜群の高空性能、上昇力、最高速だった。
なのに何故全部外したのかww??
不思議過ぎるから調べてみて。
時代が早すぎたのかも。 >>98
大きな欠点がない機体という意味ではやはりその二つだよな。 >>93
土井さんは単発戦闘機だけじゃなかったからね・・・ >>2
ホームセンターレベルの資材で作った、ぼくのかんがえた疾風だから大丈夫ww 1980年代のジェーン年鑑で北朝鮮軍の保有機にKi84があったそうだけど、
今でも持ってるのかな? 軍艦より空母と航空機
それよりも潜水艦
という発想ができる人間がいればな 電機メーカーだったら5式砲戦指揮装置を復元して欲しい
産業史的にはアナログコンピュータは重視されてないからね 電機メーカーならレーザーガンとかビームサーベル開発してほしいw >>1
スピナー見ると疾風も自力でエンジンかけられないんだ? 艦隊決戦とか、戦争にロマンってものが無いよね。
現代は。 >>108
富嶽と原爆を戦争前につくって置けば・・・ 逆に考えるんだ。
2118年にF22をDIYで復元てな感じだろ。すげえなおい。 まあ 嫁さんが邪魔だと言って
鉄道模型のように捨てられるんだろう
興味ない家族にとってはゴミだからな >>17
日本機としては最優秀だろ
頭おかしいとしか 俺の記憶が正しければ中島も確か政治家までなったんだよな。
しかしその話を知っていく程
官僚と軍属のチンパンジーどもが呆れる行動してて
コレは戦争負けますわって印象を得た これは復元でなく改悪されてるような気が
一般に流通しているようなオリジナルとは別の素材使って全く別物になってるような…
素人が手を出して1割の現存部分をダメにしちゃったパターンだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています