任天堂は出自がこれだから・・・

>京都の一角にて創業した花札屋。
>カルタ職人・山内房治郎氏は、そこに 「任天堂骨牌」と名付けました。
>下京区・七条界隈は、江戸初期から市場で賑わう宿場町となり、 遊女屋が営まれ、
>寺院では浪人(失職武士)達が賭場を開き、バクチ稼業を始めます。
>ヤクザの運営する賭場用の花札には、高い品質−色艶の美・張りムラ・打ち音−が要求されました。
>職人・山内房治郎はそれに適うだけの腕を磨いていたのです。
中略
>後に勇猛果敢と讃えられたサムライには、実はバクチに負けた者が多かったとか。
>しかし、江戸時代・太平期を迎えると彼らは失職します。そして浪人となり幕府の弾圧に合うのです。
>農村に帰る者、内職に励む者、テキ屋を始める者。そして博奕稼業を始める者。
>ここに賭博用具としての花札と、任侠を建前に生きるヤクザが誕生します。
>参考文献:『別冊太陽 いろはかるた』 (平凡社)、『賭博』 (半澤寅吉/原書房)