>>38
君の研究はもう古い


「発掘された日本列島2014」(文化庁編)

P21

縄文時代に稲作はあったのか

 縄文時代にも陸稲などの稲作が行われていたと考えられていました。
縄文時代の堆積層や土器の中に、イネのプラントオパールが確認されたこと、
土器についた籾(もみ)の圧痕の発見から、縄文時代後期まで稲作はさかのぼると
みなされていたのです。しかし、籾圧痕にシリコンを注入して顕微鏡で観察した結果、
籾にあるはずの針状の突起、「禾(のぎ)」を確認できませんでした。
また米を食べるとされるコクゾウムシ圧痕の有無も調べられましたが、じつはコクゾウムシは
コメ以外の雑穀類も食べることが判明し、現在のところ、確実な稲作は弥生時代早期からと
いうのが最近の研究者の大方の見解です



https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun8/pdf/185013.pdf
「水田中心史観批判」の功罪 - 国立歴史民俗博物館

432頁(28/44)

>弥生文化の遺跡では,コメのそうした例が,戦前から検出されていたし,現在では全国的な
把握が困難なほどの数に及んでいる。これに対し,世界的にも突出した発掘調査密度を誇る
日本において,未だ縄文時代に遡るイネ科穀類や弥生文化のコメ以外のイネ科穀類のそうした例が
検出されないというコントラストこそが,縄文文化・弥生文化の農耕の特徴を雄弁に物語っている

>私は,縄文文化におけるイネ科穀類の存在を否定しているわけではない。しかし,厳密な方法による
分析事例が少しずつ増えてきている現在でも,縄文文化における確実性の高い資料が検出されず,
また弥生文化ではコメが主体となる時期以降のコメとその他のイネ科穀類との格差がむしろ開いて
いっていることについて,そろそろしっかりと議論すべき段階にきているのも確かであろう。

>朝鮮半島の櫛目文土器文化における,イネ科穀類やそれに関係する考古学資料の検出が続くなか,
「縄文農耕論」は,隣接する櫛目文土器文化にあれば縄文文化にもあるはずだ,という前提によっ
て先走りし過ぎた感があるようだ。