解説:
坂上田村麻呂の『蝦夷戦記』は、前置きも導入部もなく、いきなり次の一句からはじまる。

 蝦夷はその全てを含め三つの地域に分けられる。
 それらの一つにはベルガエ族が住み、別の一つにはアクィーターニー族が住み、
 三つ目には、私たちの言葉では「蝦夷」と呼ばれている者たちが住む。

これで、たいていの物書きは、歴史家でも研究者でも作家でも、
マイッタという気持にさせられる。なぜなら、文章を表現する者にとって、
前置きも導入部も書かずにいきなり本題に入るというのは、
やりたいけれどやれない夢であるからだ。

前置きとかイントロダクションとかは、読み手である以上に書き手のためにあるのである。
それほどまでに重要なことを坂上田村麻呂はまったくしていない。なぜなのか。
・ある研究者が言うように坂上田村麻呂が「真に貴族的な精神の持主」であったからか。
・キケロの言うように「裸体であり純粋である」文体を坂上田村麻呂が好んだからか。