日本の街から電柱がなくなる日は来るか? : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
立命館大学客員教授 高田昇

災害に弱く、危険な存在
気がついてみると、日本だけが“電柱大国”として取り残されてきたのには訳がありそうだ。
明治以降、富国強兵に走り、第2次大戦後の復興のために安価で早い電力供給に走り、
高度経済成長期には景観に目もくれずに走る、という歴史に起因しているのかもしれない。

そして今、多くの人たちは見慣れた風景に特に疑問も感じていない。
時には「親しみやすい」「日本の風物詩だ」という人もいるし、外国人が珍しがって電柱の前で「記念写真」を撮る光景に納得している人もいる。

無電柱化の主な目的は「防災」「交通安全」「景観・観光の増進」である。
第1の「防災」については誤解が多い。
地中化は地震、水害に弱いと思われることもあるが、全くその逆である。
阪神・淡路大震災では8000本ほどの電柱が倒壊し、建物を壊し、道路をふさいで避難や緊急車の通行を妨害した。
被災率を比べると、地中化されたところは電力で2分の1、電信で80分の1という大差が生じている。
東日本大震災の津波では、電力・電信とも2万8000本の電柱が倒壊。
台風、竜巻にもきわめて弱い。
電柱は災害に弱く、危険で、無電柱化は災害に強いことがはっきりしている。

第2の「交通安全」についても、案外気づかないところで問題が生じている。
電柱との衝突事故は、2014年に1498件発生しているが、他の事故と比べて、死亡に至る確率が約10倍と、電柱はきわめて危険な存在となっているのだ。
幅員の狭い生活道路が多い私たちの街では、5〜6メートルの道幅が普通であるが、電柱のせいで有効幅員が3分の1ほど減少している。
おそらく、表面化しない自動車と電柱との衝突、接触は無数にあるだろう。
車いすの人や登下校の子どもたちが電柱と自動車の間をすり抜けるように通る姿を、私は日々冷や汗をかきながら見ている。

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