>>161
>強固な大地主と小作農の関係で閉鎖的縦社会

豪族的な大地主といえば日本海側の北日本
それも小作農が圧倒的に増えたのは明治以降
関東なんかでは近世の比較的早い段階に解体されてるから



これはやはり列島の東部と西部の社会のケガレに対する感覚の違いに起因すると考えられます。
もともと列島東部では狩猟が非常に盛んであり、それを背景として東国には広大な「牧」が設定されていました。
ですから人々は家の厩のような身近なところで飼育された牛馬ではなく、牧場を飛び跳ねる野獣に近い馬と接していました。
東の王権、鎌倉幕府はその馬に乗って戦闘する武士の集団によって支えられていたのです。
それ故、東日本の人々は獣を殺し、その肉を食べることについて、西日本の人々のように敏感ではなかったということが出来ると思います。
ケガレの問題については列島東部の社会が鈍感であると前に述べましたが、その背景としてこのような社会の実態があったことが考えられるでしょう。
網野善彦(日本中世史、日本海民史)『歴史を考えるヒント』新潮社(2001年)