お前らに本当の歴史を教えてやろう

あの有名な「白村江の戦い」は白村江だけで終わっていない
勝った勢いで唐軍は出雲に攻め入ってきた

当時、倭国は出雲王朝をトップとし、九州王朝
(ヒミカの国)などからなる連邦国家であった

既に戦力ボロボロの倭では戦いにすらならない

太平洋戦争で日本がアメリカに負けたときを思い出そう
東京裁判、新憲法、教科書、様々な政治体制が一新された
それと似たようなことが、白村江の戦後にも起きていた

東京裁判と同様に、出雲王朝の王族は処刑された

当時の唐のトップは女帝・則天武后
その名前をもらった「天武天皇」を擁立し傀儡とした

則天武后の別名を「照」と言い、
女神「天照」を頂点とした国家神道が作られた

天武天皇の指示で新たな歴史書が作られた
それを日本書紀、古事記と呼ぶ

中国では王朝の交代を「禅譲」と言う
革命を自己正当化するため、奪い取ったのではなく、
前の支配層から譲られたことにしたい、というヘンな建前だ
そしてそれを歴史書に書いて史実にしてしまう

「国譲り」神話を日本書紀、古事記という「歴史書」に書く
そういう発想は中国王朝しか思いつかない

また、中国の憲法、法律体系である「律令」を導入したものが
あの有名な大宝律令である

こうして政治・思想・イデオロギーは全て唐のものになった
「大和朝廷が中華思想」なのは当たり前である

「未服従の人々」=出雲王国の生き残り、と考えれば全て理解できる
唐軍の攻撃から生き延びた出雲人は東へ東へと落ち延びていった
だから、東北の人々は出雲人と近い、という話を今でも聞く
4つの諏訪大社に囲まれる長野の諏訪湖周辺も出雲の居留地となった

そうした出雲の生き残りの反撃を恐れ、大和朝廷(唐の傀儡)は
蝦夷と呼んで蛮族あつかいし、徹底的に追撃していった

「ヤマトの外に独自文化」とは、古代出雲王朝、倭国の文化のことである

大和朝廷は、藤原氏=藤氏=とうし=唐氏によって支配され、
その支配がばれない様に、様々な歴史書、遺物が消されたり書き換えられたりして、
日本の歴史は、チグハグで矛盾点の多いものになってしまった